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第1話 偶然の出会い
しおりを挟む森の奥、霧が淡く揺れる早朝、
セリオ王子は足を滑らせ転んだ。
「くそ……また迷ったか」
王子は顔をしかめ、湿った土を払い
ながら立ち上がった。王都ルヴァニア
の広間とは違う、冷たく澄んだ空気
が肺を満たす。背筋に不思議な緊張
が走った。ここは……イルディア森域。
王子は狩猟服に身を包んでいたが、
森の奥の道は人の手がほとんど届か
ず、枝や蔦が行く手を阻む。深く息
を吸うと、土や苔の匂いが混ざった
独特の香りが鼻腔をくすぐった。
「誰か……いるのか?」
小さな声で呼びかけた。返事はなく、
ただ風が葉を揺らす音だけが返って
くる。しかし、次の瞬間、茂みの陰
から柔らかな光が差した。
そこに立っていたのは、一人の女性。
長い銀色の髪が朝日に揺れ、耳の
先は人間より細く尖っていた。目は
深い森の緑色で、見る者の心を映す
ような澄み方をしている。
「あなた……人間?」
彼女の声は風鈴のように透明で、
しかし確かな力を宿していた。セリオ
は思わず手を止め、驚きのあまり口
を開けたまま立ち尽くす。
「え、ええ……王国から……迷い込んで
しまったんだ」
セリオは少し照れたように答える。
心臓が異常に早く打ち、言葉が震えた。
女性はにっこり微笑んだ。だが笑顔
の奥には警戒の光があった。
「ここはイルディア森域。簡単に入れる
場所ではありません」
「す、すまない。道に迷っただけで……」
セリオは深く頭を下げた。王族として
の矜持と、迷子の無力さが奇妙に混ざる。
「森は生きています。侵入者に優しく
はありません」
彼女の声は静かだが、重みがあった。
セリオはその言葉に胸をざわつかせる。
人間の常識では測れない力がそこに
あると直感したのだ。
「名前は?」セリオは自然に尋ねた。
「リアナ」女性は短く答えた。
その一言で、セリオの胸に小さな火
が灯った。未知なる存在への興味と、
不思議な親近感が混ざり合う。
「リアナ……僕はセリオ。ルヴァニアの
王子です」
王子という立場を言うべきか迷ったが、
今はただ真実を伝えたかった。
リアナは微かに眉をひそめ、しかし驚き
は見せなかった。「王子……ですか」
それだけ言うと、静かに首を傾げる。
二人の間には沈黙が流れた。風の音、
木の葉のざわめき、遠くの小川のせせらぎ
が小さな背景となる。セリオは心の奥
で、ここで何かが始まる予感を感じた。
「森の中で迷う人間は滅多にいません。
あなたは運がいい……」
リアナの声には柔らかさが戻る。
セリオは小さく笑い、肩の力を抜いた。
その瞬間、森の奥から光が差し込み、
霧がきらめいた。リアナの髪が銀色に
輝き、まるで森そのものが息を吹き返す
ようだった。セリオは目を逸らせず、
ただ立ち尽くすしかなかった。
「少し、ここで休むといい」
リアナは手招きした。セリオは恐る恐る
近づき、湿った苔の上に腰を下ろす。
「ここ……静かですね」
「森はそうです。静かで、時に厳しく」
リアナは微笑む。その微笑みに、王子
は自然と心を許していた。
朝の光が二人を包む中、セリオは気づく。
この出会いは偶然ではないと。運命に
導かれた、特別な瞬間だと。
森の空気、霧、木漏れ日、そして彼女の
存在……すべてが王子の心に深く刻まれた。
この日から、二人の物語は静かに、しかし
確実に動き始めたのだった。
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