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第3話 失われた記憶の欠片
しおりを挟む氷晶の迷宮は、戦いの痕跡を残さない。
砕けた氷牙獣の破片も、床に残った足跡も、しばらくすると淡い光に溶けて消えていく。
リオハは歩きながら、その光景を無言で見つめていた。
まるで最初から何もなかったかのようだ。
「……記憶みたいだな」
独り言のつもりだったが、胸の奥がわずかに反応する。
ノアが振り返り、短く鳴いた。
通路は次第に細くなり、天井が低くなっていく。
氷壁の中に、何かが埋まっているのが見えた。
人影だ。
「……人間?」
近づくと、それは氷に閉じ込められた誰かの姿だった。
目を閉じ、苦悶の表情を浮かべたまま、時間が止まっている。
――契約に失敗した者。
迷宮に挑み、魔獣との同調を保てなかった者の末路だと聞いたことがある。
魂が迷宮に絡め取られ、肉体ごと氷に縫い止められる。
そのはずなのに。
氷像を見た瞬間、頭の奥が、ずきりと痛んだ。
視界が歪む。
足元の感覚が消え、代わりに別の光景が流れ込んでくる。
雪原。
吹雪の中、誰かが叫んでいる。
――リオハ!
自分の名だ。
だが、呼んでいる声の主がわからない。
次の瞬間、氷の壁が崩れ落ち、白い光が全てを覆った。
「……っ!」
リオハは膝をついた。
息が詰まり、右手の契約印が激しく脈打つ。
ノアが慌てたように近づき、肩口に前脚をかける。
――見るな。
強い意志が流れ込む。
拒むような、守るような感情。
「今のは……なんだ」
問いかけると、ノアは低く唸った。
迷宮が、記憶に触れたのだ。
氷晶の迷宮は、ただの遺跡ではない。
訪れる者の心を測り、最も脆い部分を映し出す。
「俺の……過去?」
思い出そうとすると、頭の中が霧に包まれる。
名前、剣の使い方、傭兵としての知識。
それらは確かにあるのに、それ以前が抜け落ちている。
――失われている。
ノアが静かに座り込み、氷像から距離を取るよう促した。
その仕草には、迷宮への警戒と、リオハへの気遣いが混じっている。
「ありがとう」
そう言うと、胸の奥が少しだけ温かくなった。
歩き出してしばらくすると、通路の壁に奇妙な模様が現れた。
円と牙――契約印に似た紋章。
古い。
だが、はっきりと刻まれている。
――かつて、ここにも契約者がいた。
そして、彼らもまた何かを失った。
「この迷宮は……奪うだけじゃない」
気づいた瞬間、視界の端に淡い光が揺れた。
幼い子どもの影。
振り返ると、そこには何もいない。
だが、胸が締め付けられる。
――守れなかった。
理由はわからない。
それでも、確かな後悔だけが残る。
ノアが、そっと額を押しつけてくる。
冷たいはずの感触が、今はやけに優しい。
――思い出す時が来る。
その言葉は、約束のようだった。
リオハは深く息を吐き、立ち上がる。
迷宮は、まだ答えをくれない。
だが、確実に何かを示し始めている。
「行こう」
ノアが応えるように立ち上がる。
失われた記憶の欠片は、まだ氷の奥だ。
それでも二人は、迷わず進んでいった。
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