雨は藤色の歌

園下三雲

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湖月の夢

7.

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 公同礼拝の朝は、だからといって何か特別なことがあるわけではない。いつも通り五時半に起床し、身支度を整え、自室の清掃をし、六時に揃って朝食を食べ、七時から小礼拝堂で朝礼を行う。そわそわと落ち着きのない学徒らをアルバートが注意し、ルカがくすりと微笑う。ガブリエル卿が穏やかに立っている。

 朝礼後、学徒は年長の者と年少の者の二人で一組になり、それぞれ持ち場につく。シェーベルは今回ルカの助手として補佐業務にあたるため、次に年長のレオナルドがマシューと組んで入口の清掃に向かった。

「マシューは、公同礼拝は二回目だっけ?」
「うん! でも、前の時のこと、あんまりおぼえてないから、はじめての気分だよ」

 どこか落ち着かない様子のマシューに、砂を箒で掃きながらレオナルドは軽く雑談を持ちかける。自分にもこんな頃があっただろうかと思い返そうにも、あまりにも遠くに仕舞われた記憶は欠片の煌めきさえ見つけることが出来なかった。

「今日は、ご家族はいらっしゃるの?」
「姉さまが来る!」
「そうなんだ! 楽しみだね」

 公同礼拝は、普段寮で生活している学徒らが家族に会える機会の一つでもある。普段の奉仕活動で街に出る際に家族と顔を合わせる学徒らもいるが、マシューのような貴族階級の子らはそうもいかない。その点、公同礼拝は全ての市民が教会に集い、祈り、感謝し、教えを学ぶ機会であるために身分に差をつけず広く開かれている。したがって、マシューらにとってこの公同礼拝は、数か月に一度、家族に会うことの出来る貴重な行事であった。

「レオナルドは? 誰か来る?」
「うん。母さんと妹が。毎回来るんだ」
「いいなあ~。僕も会える?」
「会えるよ。迷子にならなければね」

 塵取りで木くずや落ち葉を集めながら、レオナルドはマシューに向かって悪戯に笑って見せた。「ならないよ! 迷子なんて!」と膨らませたマシューの頬を人差し指で潰す。ハハハと笑って見せればマシューも明るく笑って、要らない緊張も解けたようだった。

「このあとは、調理場から大鍋と食器を運ぶよ」
「うん! 今日は、豆と人参のスープだって。マルコが楽しみにしててって言ってた!」
「そうなんだ。今からお腹がなっちゃいそうだね」
「ふふふ、さっき朝ごはん食べたばっかりだよ」

 掃除用具を仕舞って、二人は手を洗ってから調理場へ向かう。長い廊下に陽が差してまろやかに暖かく、今日が十月の終わりだということを忘れてしまいそうだった。

 調理場へ向かう最後の角を曲がると、大鍋を抱えたマルコの姿が見えた。

「レオ! ちょうどよかった! 手伝って!」

 切羽詰まったような声のマルコに駆け寄って、レオナルドは大鍋の持ち手の片方に手を添える。マルコの後ろには、ダニエルとヨセフが二人で一つの大鍋を運んでいた。

「ごめん、来るのが遅くなった?」
「大丈夫! 俺らが早かっただけ」

 助かったよ、と言うマルコに「流石に一人は無謀だよ、マルコ」とレオナルドが注意すると、「いやぁ、行けると思ったんだけどね。きつかったわ」と彼は笑った。

「マシューは、調理場に向かってくれる? ルーク達がいるから」
「分かった!」

 返事をするや否やマシューは駆け出して、「マシュー! 歩いていきなさい!」とレオナルドは声を強めた。「はい!」とマシューは一度固まって、それから早歩きで調理場へ向かう。レオナルドは困ったように眉を寄せ、「僕らも行こうか」とマルコに小さく笑いかけた。

 大鍋からスープの熱が伝わってくる。額に、手に、レオナルドはじんわりと汗をかいて、制服で手を拭いながら持ち手を何度か持ち替えた。

「ふぅー。重かったー」

 庭の端に大鍋を並べておくと、四人は一息ついて手巾で手や顔を拭った。蓋を開けるとぶわぁと湯気が立ち上がって、いい匂いが鼻をくすぐった。

「今日のスープも美味しそうだね」
「へへ、自信作!」

 マルコが胸を張ってピースサインを向ける。ダニエルとヨセフも、その後ろではにかんでレオナルドに小さく頷いてみせた。

「あ! シェーベル!」

 マルコが窓に向かって指をさす。シェーベルも気がついたようで、教会の中から窓を開けて手を挙げた。

「おお、運び終わったんだな」

 マルコが五、六歩駆け寄って、立ち止まる。レオナルド、ダニエル、ヨセフの三人は動かずに二人を眺めていた。

「シェーベルは? 何してんの?」
「ああ、先生方に名簿をね。いや、もうバタバタだよ。似たような書類ばっかりだしさ」
「お? 愚痴か?」
「いや、そんなんじゃないけどさぁ。てか、今日の炊き出しは何?」
「シェーベルの大好きな豆たっぷりのスープだよ」
「はぁ……。豆以外は何もなし?」
「人参もあるけどー」
「んじゃ、俺のは人参たっぷりでよろしく」
「了解。豆多めな」
「おい!」

 テンポのいい会話を交わしながら、マルコとシェーベルは互いに笑いあう。その姿はいつもと変わりなく見えるのに、レオナルドはほんの少し居心地の悪さを感じていた。

「まぁ、いいわ。シェーベル疲れてるっぽいし、意地悪しないでやるよ」
「正直、助手がこんなに大変だなんて思わなかったよ。マルコ、代わる?」
「いやいや、シェーベルが音をあげてんのに、俺に出来るわけないじゃん」
「ははは、確かに」

 マルコの声がわずかに硬い気がした。レオナルドは思わずマルコに一歩近づいて、自分の中の後ろ暗い気持ちがその足を留めた。

「でもさ、なんだかんだ言ってシェーベルなら大丈夫っしょ。ルカ先生直々のご指名だったんだし」
「いやぁ、うん、まぁ」
「この野郎、羨ましいぞ! ルカ先生独り占めしやがって」

 マルコはもう、いつものように笑っている。

「ははは、じゃあな。遅くなると叱られる。ルカ先生、結構怖いんだよ」

 シェーベルが窓を閉めて、手を振って去っていく。

「……知らねえよ、ルカ先生が怖いだとかそんなこと」

 呟いたマルコの声は、誰の耳にも届かないまま風に消えていった。
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