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雪原の紅い風
21.
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「オズワルドさんの手、僕、好きです」
「このゴツゴツが?」
「はい。アルバート先生の手と違う。逞しくて、大きくて、男の人って感じ」
「アルバートも男だぞ」
「そうだけど、なんか、こう。アルバート先生には髪を梳いて貰いたい感じで、オズワルドさんには、こうやって頭をガッて、ギュッて、ガシガシッて」
レオナルドがうまく言葉に出来ないでいると、
「こうか!」
と、オズワルドが力強く頭を撫でてきて、思わずレオナルドは「キャァ!」と甲高い悲鳴を上げてしまって笑った。
「しかし、君は本当に美人だな。造形もそうだが、心の清らかさがそのまま顔に出てる」
レオナルドは涙が止まらないままオズワルドを見つめる。
「ちょっと、アレだな。ルカに似てるな」
オズワルドの言葉に、レオナルドは後ろめたいこともないのに何故かドキリとした。
「ルカ先生やアルバート先生と、ご関係があったのですか?」
「ほら、君らも今度、建国記念の劇を演るだろ。十年前のヴィル役がルカで、俺は演技指導をしてたんだ」
「へぇー!」
「ルカはほら、あの見た目で歌も上手いし、本当にヴィルにぴったりでな。その時も俺はルカをうちの劇団に誘ったんだよ。でも断られたんだ」
オズワルドは首を振ると、鼻から一寸息を吸う。
「僕は、アダムスでアルバートと一緒に居たい! ってさ」
ルカの声真似か、無理に高い声を作るオズワルドに、レオナルドは一瞬ポカンとして、それから二人で目を合わせて笑った。
「アルバートはアルバートで、筆記試験で満点を取るくらいの秀才でな。しかし丁度声変わりの最中だったから、歌唱試験を免除された代わりに、脚本執筆を任されてたんだ」
へぇー、と相槌を打って、レオナルドはリトゥムハウゼの手記を思い出した。確かあれは、十年前に縁あって貰ったと言っていたはずだ。もしかして、その執筆の際に貰ったものなのだろうか。アダムス地区の先生は、想像よりもずっと凄い人達なのかもしれないとレオナルドは唾をのんだ。
「だから、それなら二人でうちに来いって言ったんだよ。そしたら、やっぱり二人とも断りやがった。アダムスにはその頃ガブリエル卿しか大人がいなくてな? まあ、大人が一人しかいない教会なんて特別珍しくもないんだが、二人はアダムスに残って先生になるんだって頑なで」
オズワルドが眉間に皺を寄せて言う。しかしその目には鋭さも悔しさもなく、ひたすらに穏やかだった。
「強制するもんでもないから、そん時は俺も泣く泣く諦めたんだが……。レオナルドの話を聞いたり、今ああして子どもらと居るアルバートの姿を見たりしてると、これで良かったんだなぁと思うよ。アルバートは、なんだ、ちょっとビビられてる所もあるみたいだが」
オズワルドが、いい気味だとでも言うように笑うから、レオナルドは「ふふふ」と小さく笑った。
「お二人とも、とても良い先生です。ルカ先生は私に未来を下さったし、アルバート先生は、隣で一緒に月を眺めてくださいます」
レオナルドが真っすぐにオズワルドを見る。涙はいつの間にか流れるのをやめていた。
「そうか。ちゃんと先生やってるんだな」
オズワルドがどこか親のような安心した顔を見せると、
ポーン!
と、何処かから、まるで空が一気に晴れ渡るような音が響いた。
「お、上手いな」
「何の音ですか?」
「サックバットって楽器だ。見に行ってみるか」
レオナルドは頷くと、撫でられて乱れたままの髪を直そうとして、その手をオズワルドに止められた。
「ああー、直さないで行ってみろ」
「でも」
「いいから」
オズワルドが悪い顔をして笑う。レオナルドはその意味が分からずに首を傾げたが、この足場の悪い場所に取り残されては困るので言われた通りそのままにしておいた。
階段を下りていくと、近くにいたアルバートが二人に気づいて近寄ってくる。
「団長、レオナルド。上に行っていたんですか」
「ああ。あそこは特等席だからな」
アルバートは何も言わずにレオナルドのグシャグシャの髪を整えると、「ん?」と両頬に手を当てて目を覗き込む。
「どこか痛めた? 酷い目に遭わされたり、きつい言葉を言われたり……」
「おいおい、信用ねえな」
「貴方がレオナルドを傷つけたのなら、私は考えられ得る限りの残虐で卑劣な手段を使って何度貴方を殺したっていい」
「そいつは物騒だな」
ピリピリと緊張感の走る二人のやり取りにレオナルドは魚籠ついて、
「あの、大丈夫だから。貴重なお話たくさん聞かせてもらって、僕の話も聞いてもらって、ルカ先生とアルバート先生の昔の話も聞いて、とても楽しかったから」
と必死にアルバートに釈明した。
「本当に?」
「本当に」
頷いて見せても疑いをやめないアルバートに、詳しいことは後で話すと左の頬を掻いて合図する。それを見てやっとアルバートはレオナルドから手を離すと、オズワルドに向き直った。
「先ほどの非礼を詫びるつもりはありませんが、……ありがとうございました。私には、この子にこの顔はさせられませんでしたから」
頭を下げるアルバートに、
「年の功、だな。しかし、お前の過保護も変わらないもんだ」
と、オズワルドはどこか感心したように笑う。アルバートは何でもないというようにオズワルドから目をそらした。
「それより、あのサックバットを吹いてる少年だ。どこの子だ?」
オズワルドが音の鳴る方へ目を向ける。人だかりができていて、オズワルドやレオナルドにはその渦中に誰がいるのか分からなかった。
「拾い子です。名をダニエルといいます」
アルバートの言葉にレオナルドが目を丸くする。
「そうか。あんまり綺麗に音を出すもんでな、驚いたんだ。元の家、探してみようか?」
オズワルドの提案にアルバートは黙り込んだ。サックバットの音が、やけに響いて聞こえる。
「……いえ、あの子は今、うちで静かに、ささやかに暮らせていますから」
視線を落としたままのアルバートに、オズワルドは厳しい目を向けた。
「それは、お前のエゴか?」
威厳のある問いかけに、アルバートはキッと顔を上げる。
「いえ、あの子の意思です」
アルバートの力強い言葉に、オズワルドは「そうか」とだけ言って、それからニヤッと笑ってアルバートの頭をグシャグシャと掻き回すように撫でた。
「何なんですか全く――」
「いやあ? なんとなくな!」
オズワルドにされるがままのアルバートの顔がどこか幼く見えた気がして、レオナルドは先ほど聞いたアルバートの若い頃を想像した。眼鏡はかけていただろうか。髪型はどんなだったのだろうか。思い描く彼の姿があまり変わらなく見えるのは、七年間見てきたアルバートの容姿がほとんど変化のないものだったからかもしれなかった。
「あの、楽器、近くで見てきてもいいですか?」
撫でる撫でないの攻防を繰り広げる二人にレオナルドが声をかける。
「ん? おう! ほら、アルバートも行くぞ」
「私は別に」
「お前だって初めて見る楽器だろうがよ。すました顔してないで、吹いてみな」
強引に腕を引くオズワルドに眉を顰めながらついていくアルバートの表情を覗こうとすると勢いよく彼が顔を背けるから、レオナルドは愉し気に笑った。
「このゴツゴツが?」
「はい。アルバート先生の手と違う。逞しくて、大きくて、男の人って感じ」
「アルバートも男だぞ」
「そうだけど、なんか、こう。アルバート先生には髪を梳いて貰いたい感じで、オズワルドさんには、こうやって頭をガッて、ギュッて、ガシガシッて」
レオナルドがうまく言葉に出来ないでいると、
「こうか!」
と、オズワルドが力強く頭を撫でてきて、思わずレオナルドは「キャァ!」と甲高い悲鳴を上げてしまって笑った。
「しかし、君は本当に美人だな。造形もそうだが、心の清らかさがそのまま顔に出てる」
レオナルドは涙が止まらないままオズワルドを見つめる。
「ちょっと、アレだな。ルカに似てるな」
オズワルドの言葉に、レオナルドは後ろめたいこともないのに何故かドキリとした。
「ルカ先生やアルバート先生と、ご関係があったのですか?」
「ほら、君らも今度、建国記念の劇を演るだろ。十年前のヴィル役がルカで、俺は演技指導をしてたんだ」
「へぇー!」
「ルカはほら、あの見た目で歌も上手いし、本当にヴィルにぴったりでな。その時も俺はルカをうちの劇団に誘ったんだよ。でも断られたんだ」
オズワルドは首を振ると、鼻から一寸息を吸う。
「僕は、アダムスでアルバートと一緒に居たい! ってさ」
ルカの声真似か、無理に高い声を作るオズワルドに、レオナルドは一瞬ポカンとして、それから二人で目を合わせて笑った。
「アルバートはアルバートで、筆記試験で満点を取るくらいの秀才でな。しかし丁度声変わりの最中だったから、歌唱試験を免除された代わりに、脚本執筆を任されてたんだ」
へぇー、と相槌を打って、レオナルドはリトゥムハウゼの手記を思い出した。確かあれは、十年前に縁あって貰ったと言っていたはずだ。もしかして、その執筆の際に貰ったものなのだろうか。アダムス地区の先生は、想像よりもずっと凄い人達なのかもしれないとレオナルドは唾をのんだ。
「だから、それなら二人でうちに来いって言ったんだよ。そしたら、やっぱり二人とも断りやがった。アダムスにはその頃ガブリエル卿しか大人がいなくてな? まあ、大人が一人しかいない教会なんて特別珍しくもないんだが、二人はアダムスに残って先生になるんだって頑なで」
オズワルドが眉間に皺を寄せて言う。しかしその目には鋭さも悔しさもなく、ひたすらに穏やかだった。
「強制するもんでもないから、そん時は俺も泣く泣く諦めたんだが……。レオナルドの話を聞いたり、今ああして子どもらと居るアルバートの姿を見たりしてると、これで良かったんだなぁと思うよ。アルバートは、なんだ、ちょっとビビられてる所もあるみたいだが」
オズワルドが、いい気味だとでも言うように笑うから、レオナルドは「ふふふ」と小さく笑った。
「お二人とも、とても良い先生です。ルカ先生は私に未来を下さったし、アルバート先生は、隣で一緒に月を眺めてくださいます」
レオナルドが真っすぐにオズワルドを見る。涙はいつの間にか流れるのをやめていた。
「そうか。ちゃんと先生やってるんだな」
オズワルドがどこか親のような安心した顔を見せると、
ポーン!
と、何処かから、まるで空が一気に晴れ渡るような音が響いた。
「お、上手いな」
「何の音ですか?」
「サックバットって楽器だ。見に行ってみるか」
レオナルドは頷くと、撫でられて乱れたままの髪を直そうとして、その手をオズワルドに止められた。
「ああー、直さないで行ってみろ」
「でも」
「いいから」
オズワルドが悪い顔をして笑う。レオナルドはその意味が分からずに首を傾げたが、この足場の悪い場所に取り残されては困るので言われた通りそのままにしておいた。
階段を下りていくと、近くにいたアルバートが二人に気づいて近寄ってくる。
「団長、レオナルド。上に行っていたんですか」
「ああ。あそこは特等席だからな」
アルバートは何も言わずにレオナルドのグシャグシャの髪を整えると、「ん?」と両頬に手を当てて目を覗き込む。
「どこか痛めた? 酷い目に遭わされたり、きつい言葉を言われたり……」
「おいおい、信用ねえな」
「貴方がレオナルドを傷つけたのなら、私は考えられ得る限りの残虐で卑劣な手段を使って何度貴方を殺したっていい」
「そいつは物騒だな」
ピリピリと緊張感の走る二人のやり取りにレオナルドは魚籠ついて、
「あの、大丈夫だから。貴重なお話たくさん聞かせてもらって、僕の話も聞いてもらって、ルカ先生とアルバート先生の昔の話も聞いて、とても楽しかったから」
と必死にアルバートに釈明した。
「本当に?」
「本当に」
頷いて見せても疑いをやめないアルバートに、詳しいことは後で話すと左の頬を掻いて合図する。それを見てやっとアルバートはレオナルドから手を離すと、オズワルドに向き直った。
「先ほどの非礼を詫びるつもりはありませんが、……ありがとうございました。私には、この子にこの顔はさせられませんでしたから」
頭を下げるアルバートに、
「年の功、だな。しかし、お前の過保護も変わらないもんだ」
と、オズワルドはどこか感心したように笑う。アルバートは何でもないというようにオズワルドから目をそらした。
「それより、あのサックバットを吹いてる少年だ。どこの子だ?」
オズワルドが音の鳴る方へ目を向ける。人だかりができていて、オズワルドやレオナルドにはその渦中に誰がいるのか分からなかった。
「拾い子です。名をダニエルといいます」
アルバートの言葉にレオナルドが目を丸くする。
「そうか。あんまり綺麗に音を出すもんでな、驚いたんだ。元の家、探してみようか?」
オズワルドの提案にアルバートは黙り込んだ。サックバットの音が、やけに響いて聞こえる。
「……いえ、あの子は今、うちで静かに、ささやかに暮らせていますから」
視線を落としたままのアルバートに、オズワルドは厳しい目を向けた。
「それは、お前のエゴか?」
威厳のある問いかけに、アルバートはキッと顔を上げる。
「いえ、あの子の意思です」
アルバートの力強い言葉に、オズワルドは「そうか」とだけ言って、それからニヤッと笑ってアルバートの頭をグシャグシャと掻き回すように撫でた。
「何なんですか全く――」
「いやあ? なんとなくな!」
オズワルドにされるがままのアルバートの顔がどこか幼く見えた気がして、レオナルドは先ほど聞いたアルバートの若い頃を想像した。眼鏡はかけていただろうか。髪型はどんなだったのだろうか。思い描く彼の姿があまり変わらなく見えるのは、七年間見てきたアルバートの容姿がほとんど変化のないものだったからかもしれなかった。
「あの、楽器、近くで見てきてもいいですか?」
撫でる撫でないの攻防を繰り広げる二人にレオナルドが声をかける。
「ん? おう! ほら、アルバートも行くぞ」
「私は別に」
「お前だって初めて見る楽器だろうがよ。すました顔してないで、吹いてみな」
強引に腕を引くオズワルドに眉を顰めながらついていくアルバートの表情を覗こうとすると勢いよく彼が顔を背けるから、レオナルドは愉し気に笑った。
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