雨は藤色の歌

園下三雲

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雪原の紅い風

20.

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「この国の名はフルーヴィアだ!」

 リトゥムハウゼの高らかな宣言に、ステージ上の全員で建国讃歌が歌われて歌劇は幕を閉じた。

 観客の拍手は空が割れんばかりに大きく、演者一同は大手を振ってそれに応え、何度も深々とお辞儀をする。ざわざわといつまでも冷めない興奮にもう待ちきれないと言ったように、ちらりちらりと雪が降り始めた。

「皆さま、ありがとうございました! どうぞ、お気をつけてお帰りください!」

 進行役が声を張り上げる。それを合図に演者らはもう一度礼をすると、手を大きく振ってステージからはけていく。ステージがすっかり空になってようやく人が動き出した。感想を口々に家へ帰っていく者、ステージに駆け上って演者の真似をする子ども、広場はキラキラと明るい感情に満ちていた。

「ヤバイヤバイ。凄くない?」
「ね! ね! もう凄い興奮!」

 学徒らもまた、内側から溢れ出す熱気にうかされたようにはしゃいでいた。普段から賑やかな者も、物静かな者も、区別がつかないほど目を爛々と輝かせて飛び跳ねている。

「龍よ、腰を曲げ、火の雨を呼び山を起こせよ」

 ヴィルの口真似をするダレンに、
「パカッ ゴゴゴゴゴ ドカン!」
と、川が割れ、地面が盛り上がり噴火して山が出来るのをマルコが体中で表現する。

「キャハハハハ! 僕もそのシーンすごい好き!」
「めっちゃ格好いい。迫力ありすぎ!」

 二人の真似に学徒らはきゃいきゃいと盛り上がる。

「気持ちは分かりますが落ち着きなさい。挨拶に行きますよ」

 アルバートの声に一旦学徒らはポカンとして、それからワッと一層騒がしくなった。

「ええ! 会えるんですか!」
「は、はなし、話とかできますか!」
「僕、名前呼んでもらいたいです!」

 詰め寄る彼らにアルバートは
「貴方達がそのままなら、どれも叶いませんね」
と冷たく追い返す。

「ええー!」

 一斉にあげられた不満の叫びにアルバートは煩そうに耳を塞いでそっぽを向く。

「みんな、騒がないで、はしゃがないで、いつも通りにしていたらいいんだよ?」

 レオナルドが呼びかけると、うるうるとした目が一斉に向けられる。

「だって、だってどうやって落ち着いたらいいの!?」

 半分パニックになった彼らが可笑しくて、
「……口を閉じたらいいんじゃないかな」
と、レオナルドは珍しくあまり優しくない言い方をした。頬を真っ赤に染めて素直に口を閉じる彼らにアルバートは噴き出すように笑って、
「それでは、行きましょうか」
と歩き出す。ステージ裏に近づくと、学徒らは無理に口を閉じなくてもいいほど静かになった。緊張して、どうもそれどころではないようだった。

 垂れ幕をくぐると、学徒らはもわっとした熱気と汗の匂いに圧倒された。

「おおー! 皆、来てくれたんだ」

 客席で観ていたステージ上の人物が自分に笑いかけている。手を振っている。声をかけている。同じ地面に立っている。学徒らは、押し寄せる感動に気を失いそうだった。

「団長。お疲れ様でした。とても面白かったです。この子達もとても楽しんでいたようで」

 アルバートが親しげに挨拶をする。

「お! それは嬉しいな。ありがとう」

 団長と呼ばれた彼は学徒らに近づいて手を伸ばし、
「ああー、こんな汗まみれのおっさんより、美形に撫でられたほうが嬉しいよな。ちょっと待ってろ?」
と、その手を戻して奥に誰かを呼びに行く。ほどなくして彼が連れてきた青年に、学徒らは
「うわぁ……!!」
とときめいた声をあげた。

「おい、なんだよ。露骨に色めき立ったぞ」

 団長がまったく嫌な顔をせずに「お前ら素直だな」と笑う。

「やあ、皆。楽しんでくれたかな?」

 リトゥムハウゼ役の青年が笑いかける。学徒らは声も出せず、コクコクと大きく首を縦に振る。

「ふふ、可愛い。ありがとう」

 リトゥムハウゼ役の彼の後ろからヴィル役の青年が顔を出すと、「ふぁあ……」と呆けた声が漏れ出て、遂にダレンがしゃがみこんだ。

「あれまあ、大丈夫?」

 ヴィル役の青年がダレンに手を伸ばす。「あぅぁ、うぁぁありが、とう、ごぁいま、す……」と、ダレンは碌に口も回らずに、涙目で手に手を乗せる。

「その子、ダレンと、隣にいるマルコは、よほどヴィルの芝居が気に入ったようで、先ほども大興奮で空真似をしていたんですよ」

 アルバートの暴露にマルコまで赤くなって顔を隠す。

「どうして言っちゃうんですか! 秘密にしておいてくださいよ!」

 マルコの抗議にアルバートは意地悪な顔をして笑う。

「内緒になんてしないでよ。僕たち、とても嬉しいよ」

 ヴィル役の青年はリトゥムハウゼ役の彼と目を合わせて、それからマルコらに微笑みかけた。ふいに、レオナルドの隣にいたマシューがリトゥムハウゼ役の彼に近づいていく。

「本当に、男の人ですか?」

 あまりに純粋な瞳で向けられた質問に、ステージ裏が一瞬シン、とする。

「ああ、そうだよ」

 ヴィル役の彼がマシューに背を合わせてかがみ、思い切り低い声で答えると、
「うわぁ!」
と、怯えたような声を出してマシューはアルバートの背に隠れた。様子を窺っていたステージ裏の全員が、堪え切れずにドッと笑い出す。

「すみません」
と、アルバートが謝ると、ヴィル役の彼は愛らしく首を横に振る。

「いいえ。こちらこそ、怖がらせてしまってごめんなさい」

 気遣わし気な彼の目に、アルバートが心配いらないと合図する。

「どれ、皆、好きなところに行ってきな。誰にでも話しかけて構わないし、触りたいものもたくさんあるだろう? 壊さなきゃ、なんでも触っていいぞ!」

 団長の言葉に学徒らはアルバートの方を一斉に向いて、アルバートが頷いたのを確認すると、嬉しそうに思い思いのところへ駆け出して行った。

「団長、すみません。本当にいいんですか。うちの子達は遠慮なく触りまくりますよ」
「いいよ、別にたいしたことないさ。アダムスにもなかなか来れないからな」

 睦まじく話す二人の様子をレオナルドが眺めていると、
「ん? 君も、好きなところに行っていいんだぞ?」
と、団長が気づいて声をかけた。

「あ、いえ、その。私は団長さんとお話がしたくて」
「おお? なんだ、珍しいな。いい趣味をしてる」
「では、私は少し失礼します。ほら、マシュー。面白いものがたくさんありますよ」

 アルバートが背にしがみついたままのマシューに声をかけてその場を離れる。

「さて……。ちょっと、上に行くか。いい眺めだぞ」

 団長は一度全体を確認するように見回すと、レオナルドを連れて、むき出しの階段を上って行った。

「早く話がしたいだろうに、ごめんな。俺と話がしたいだなんて言ってくれる子、なかなかいなくて、ちょっと舞い上がってるんだ」
「いえ、上の方、気になっていたので嬉しいです」

 嘘でもお世辞でもなくレオナルドがそう言うと、団長は「君はいい子だなあ」と頭を掻いた。

 階段を上りきると足場はグッと狭くなっていて、団長が「気をつけろ」と差し出す手にしがみつくようにしてレオナルドは歩を進めた。

「ゆっくり腰を下ろして。そう。……下を見てみな」

 指示に従って恐る恐る下を向く。

「怖……!」
「だろう? ほら、ここでこれを撒いて雨を降らせてるんだ」

 団長は体を伸ばすと奥から一つの籠を取ってレオナルドに持たせた。籠の中には小さく切られた紙が大量に入っている。

「これが、雨。あの、本当に雨が降っているように見えたんです。すごいなって思って」
「ふふん。そうなんだよ、凄い工夫したんだ」

 団長が得意げに鼻を鳴らす。彼は、紙の選定から切り方、降らせ方まで、どんなに苦労したかを存分に語り終えた後で、
「ああー、すまん。えっと、君の話を聞かんとな」
と、額に手を当ててレオナルドに向き合った。

「あの、えっと、まず。アダムスに来てくださって、ありがとうございました。私たち皆、歌劇って初めて観たんですけど、もう、こんなに人の仕草、息遣いの一つ一つに引き込まれたのなんて初めてで。すっごく、すっごくワクワクして、ドキドキして、面白かったです」

 レオナルドが懸命に興奮を抑えながら感想を伝えると、
「ああ。ありがとう」
と団長は優しく笑った。

「それで、その、普段からも同じ劇を公演されてるんですか? いつもは新しい街をよく巡行されていると聞いていて、そういうところと、アダムスのような古い街では劇の内容を変えるようなことはあるのでしょうか」
「演目は変えない。ただ、その街の歴史や雰囲気によって少しずつ台詞や演技は変えているよ。というか、一回一回その時々によって臨機応変に変えているんだ。同じ街でも、観に来てくださる人達は同じではないから」

 団長の言葉に、レオナルドは納得してうんうんと頷く。

「演目は、もうずっと何年も変わらないのですか?」
「いや、さすがに観る側も演じる側も飽きるからな。一年置きに演目を変えているよ」
「では、あと一月ばかりでこの演目も観られなくなるんですか」
「ああ、そうなるな。寂しいか?」
「はい。でも、新しい演目も楽しみです。……観られるかは分かりませんが」
「悪いなあ、アダムスはどうしても優先順位が低くなるから」
「いえ、しかし歴史があるというのも、こういう時ばかりは考えものです。アダムスにはどのような印象を持たれましたか? 公演してみて」

 団長は顎に手をやると、「うーん」と少し考える素振りを見せてから口を開いた。

「ここの人達は、まず、ノリが良いな。基本的に俺らの劇は教典の流れをなぞってるだろ? ここの人達は皆、内容が分かってるから、俺らが笑ってほしいと思ったところで確実に笑ってくれる」

 団長の回答にレオナルドは「ああー」と頷いて、それから劇を思い出してクスリと笑った。

「あと、物語にかなりのめり込んでる。登場人物に感情移入して観てるような人が多い印象だ。演者より役に入り込んでんじゃないかって人も結構いたように思う」
「だって、皆さんの演技が凄いから。なんだかもう、引きずられるみたいで」
「そう言ってもらえんのは嬉しいなあ。あとあれだ、さっきの坊やじゃねーけど、純粋な人もアダムスはかなり多いと思うぞ。客席でヴィルが声かけた人だって、あんな顔真っ赤にして動揺してたし」
「ふふふ、とても照れていらっしゃいましたね。でも、気持ちは凄く分かります。本当にお綺麗だから」
「綺麗、で言うと君も随分美人だよな。どうだ? うちに来るのは。見たところ君は賢そうだし、品もあるし、声も高めで、ヴィルを演るのに良さそうだが」
「いやいやそんな、見かけ倒しです、きっと。私は演技は多分からきし出来ませんから」
「そうか? やってみたら意外とってこともあるぞ」
「んぅぅぅ。そ、それより、まだお聞きしたいことはあって! 例えば、日々の公演で心掛けていることとか」

 団長の追い込みをかわしきれなくなったレオナルドが、話題を強引に変える。

「そうだなぁ。俺らは、ただの役者じゃない。各地で活動する教会の人間の活動支援の為に派遣されてるんだ。だから、より人を集め、惹き付け、そして隠れて困っている人を見つけ出す為に、魅力的な舞台でないといけない、とは常々思ってるよ」

 団長の言葉に、レオナルドは思い返す景色があった。始まりの日。忘れられない感覚。

「……私は、七年前にブルダムから逃げてきたんです。ボロボロでこの街に辿り着いたとき、奉仕活動をしているルカ先生の歌声が聞こえて。不思議な力に引き寄せられたみたいに、広場まで足が進んだんです。私たち家族はそうして教会に救ってもらったんですけど、歌劇団のお仕事もそういう感じですか?」

 質問の仕方なんて色々あるのに敢えてこの質問の形を自分が選んだことに、レオナルドは言い終えてから少し驚いた。普段から、あまり自分の身の上を気軽に話すことはない。それなのに団長にはこうもすんなりと話してしまっているのは何故なのだろう。レオナルドが戸惑っているのをよそに、団長は「ああ」と質問を肯定した。

「こういう広場だけじゃなく、一本道を入った先や、店先を借りたりして、大道芸をみせることもある。そうやって、陰の内で必死に生きようとする人達を見つけられたらと思ってる。その人達が俺らの手を取ってくれるかどうかはともかく、俺らとしてはやっぱりさ、ヴィルとリトゥムハウゼが造ったこの国に同じく生きてるんなら、少しでも笑ってくれたら嬉しいだろ?」

 そう言って笑う団長の顔があまりにも清々しくて、「美しい」と心から思った。

「しかし、そうか。君、ブルダムから――」

 団長は何かを思いながらレオナルドを見つめる。

「すまん、今まで名前を聞いてなかったな。俺はオズワルド。君は?」
「レオナルドです」

 答えると、オズワルドはレオナルドの肩を掴み、グッと目を覗き込んだ。

「レオナルド。よく頑張ったな」

 唐突に褒められて、頭でうまく状況を理解できないでいたのに、レオナルドは心がグワンと揺れたのを感じた。

「え、っと、私は何も」

 首を横に振ろうとすると、「違う」と止められる。

「何もしてなくなんかない。ブルダムからは、きっと山を越えてきたんだろう? 子どもの足には堪えたはずだ。食べ物もなく、際限のない不安と闘いながら、よく生きてここまで逃げてきたよ」

 オズワルドの声が強く自分を肯定してくるから、レオナルドはどうしようもなく逃げたくなる。

「ぼく……、私は、だって、母さんも妹もいたから」
「いたから、気を張ってたんじゃないか? 心配かけないように、ニ人を守れるようにって」

 何もかもを言い当てるオズワルドに、レオナルドは
「どうして……」
と溢すだけで精一杯だった。

「俺もな、丁度いまの君くらいの年の頃、戦争に巻き込まれたんだ。俺は母さんと二人きりだったけど、母さんを守らなきゃって必死だったから」

 過去を語るオズワルドの声にも若干の無理を感じて、レオナルドは自分を嫌いになる理由の一つが消えたのを確かに感じた。

 過去を思い返して声にする時、なんてことないと自分に言い聞かせるように敢えて軽い口調で話してみたり、心を固くして感情が入らないように話してみたりする自分がレオナルドは嫌いだった。もう何年も経つのにと、いつまでも平気でいられない自分が情けなかった。

 しかし今、目の前にいる自分よりもずっと年上のこの大人も、少し無理をしながら過ぎたことを話している。無理をしていてもいいのか。平気になれなくてもいいのか。

「無力さを感じて絶望もしたよな。寝ても覚めても、何気なく買い物してる時だって、なんのきっかけもなく不意に焼けた街を思い出すんだ」

 思い出していいんだ。眠る前でも、掃除をしている時でも、友と馬鹿な話をしている時でも。唐突に、何の前触れもなく思い出すのは変なことじゃないのか。

「俺と君とは違う人間だけど、似たような経験をしたからさ。だからやっぱり、君には、『よく頑張ったな』って言いたい」

 体の奥底から何かが込み上げてくる。『ありがとう、ありがとう』と、そんな言葉ばかりが頭を支配する。自分が何に対してどんな感情を向けているのか、レオナルドにはまるで分からないでいた。

「あ、たまを……、撫でてもらってもいいですか……」

 肉厚の、日に焼けた手がゆっくりと伸びてきて、ズシンと頭が重くなる。

「頑張ったなぁ、レオナルド」

  雪雲が晴れたのか、温かい光が差し込んだような気がした。

「よくやった。もう大丈夫だぞ」

 きっかけが何だったのか、レオナルドには分からない。太い声が体に染み入るようで、頭を撫でる大きな手から体温が伝わってきて、何かの栓が抜けたような、何もかもが溶けていくような、曖昧な感覚があった。

「あったかい……」

 涙が目から零れたのが、レオナルドにも分かった。ずっと、眼球の裏まで込み上げていても、目の淵で頑なに留まっていた涙が、こうして一滴零れると、ポタリ、ポタリと両目から止めどなく溢れてくる。

「ごめんなさい、僕、なんかこれ、止まらない」
「フハハ、大丈夫だ。流れるだけ流しとけ。スッキリするから」

 笑い飛ばすオズワルドの声が優しかった。泣いているのに、全然苦しくなかった。むしろどんどん、自分を呪っていた何かが光に消えて無くなっていくように感じていた。
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