雨は藤色の歌

園下三雲

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雪原の紅い風

23.

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 歌劇の出演者選抜試験は三つの段階を以て行われる。

 第一次試験は、百問の択一式問題である。国内の全教会に同一の問題が配布され、各教会で試験が実施、採点される。採点結果は中央教会で集計され、上位百名が合格者として公表される。

 第二次試験は、記述式問題が一問出される。第一次試験と同様に学徒は各教会で受験するが、採点は中央教会で行われる。採点基準や採点方法、得点は一切明らかにされず、合格者のいる教会にのみ、該当する学徒の名前と第三次試験の日時が知らされる。

 第二次試験から十日後、中央教会からの手紙が届いた時、アダムス地区教会には息が詰まるほどの動揺がひしめいていた。

 第二次試験を受験したのはレオナルドとルイの二名だ。第一次試験の採点が終わった段階で満点に近かった二人には中央教会の公表を待たずにアルバートが集中講義を行っていたが、正直なところ合格するとは誰も思ってはいなかった。集中講義はあくまでも白紙で解答を提出しないようにするためというのが一番であり、合格するためのものではなかったのだ。

 四年前の教皇崩御に伴う代替わりを受けて、現中央教会は差別意識が強くなったと噂されている。リトゥムハウゼの城下にあり、ヴィルが遊んだ教会で学びを深める自分達は、他地区の教会よりも一段高い位置にある、というのが彼らの思想だ。したがって、今回の歌劇は不透明性の高い第二次試験の段階で中央教会以外の学徒らは落とされるだろうというのが大方の予想だった。

 それなのに。

「どうして、届いてしまったのでしょうか……」

 珍しくアルバートが狼狽える姿を隠さないので、学徒らも不安な表情のまま一か所に集まっていた。肩を摺り寄せても、抱き合っても、得体の知れない不安は増していくばかりだった。

「一先ず、開けてみましょう。悪い手紙とは限りません」

 ガブリエル卿の普段と変わらない穏やかな声にアルバートはなんとか平静を取り戻して封を開けた。

「以下の者へ第三次試験への参加資格を与える。アダムス地区教会、レオナルド。アダムス地区教会、ルイ。両名は、一月五日九時より中央教会第一講堂において行われる歌唱試験受験に際し、前日までに中央教会学徒寮へ入ること。なお、如何なる付き添いも認めないものとする」

 手紙を読むアルバートの声が固い。第二次試験合格の通知なのに、誰一人として喜ぶことも浮かれることもなかった。

 第三次試験の歌唱試験は、配役を決める目的で行われる。第二次試験までの成績、見た目、歌の巧拙、声質、雰囲気、周囲とのバランスなど総合的な観点から主役から脇役までが順に決められ、彼らは本番まで外との接触を禁止され、別棟で生活し稽古に励むことになっている。演者として選ばれなかった者も、舞台装置や衣装等の制作のために本番まで中央教会に残らなければならない。即ち、いずれにせよ第三次試験受験のために中央教会へ発てば、本番まで四か月はアダムスへ帰ってくることは出来ないのだった。

「レオナルド」

 重苦しい雰囲気の中、ルイが小さくレオナルドを呼ぶ。ルイは彼の手を取ると、颯爽と全員の前に出て不敵に笑った。

「ガブリエル卿。先生。それに、皆も。僕、中央教会の窓を割るのが夢だったんです。どんな因果か分かりませんが、いい機会がやってきました。レオナルドも一緒なんて、こんなに心強いことはありません。そこかしこで美声を轟かせて窓を割りまくって、それでついでに、二人で主役を掻っ攫ってきますよ」

 飄々と言ってのけるルイに、誰もついていけずに何とも言えない間が流れる。

「それは、面白くなりそうですね」

 ガブリエル卿が静かに笑う。何もかもが冗談だと分かっていて、しかしルイの言い方はどこか真実味もあって、さらにガブリエル卿が乗っかったことで、どう突っこんだら良いものか、むしろ突っこんではいけないのか、口を開くのも恐ろしいような空気だ。

「……二人で主役ってことは、僕はリトゥムハウゼかな?」

 そんな空気を知ってか知らずか、レオナルドがルイに尋ねる。

「いやいやいや!」
「違うでしょ!」
「レオは絶対ヴィル! ルイがリトゥムハウゼかは置いておいて、レオはヴィルだから!」

 一斉に学徒らが声を上げた。勢いづいたように「絶対にヴィルだ!」と喧々囂々で、
「そ、そんなに?」
と、レオナルドは驚きながら笑ってしまった。

 空気が動いて息のしやすい雰囲気になると、
「さて。それでは私は君達にとびきり強い加護を祈ってペンダントを作らなければ」
と、ガブリエル卿が安心したようにルイとレオナルドに微笑みかけた。

「ありがとうございます。ジーク先生も、歌唱のご指導いただけますか?」

 ルイが頭を下げて、ガブリエル卿の傍らに立つジークに目を向ける。

「だから、私はまだ先生じゃないんだって。……だけど、私で何か力になるなら」

 ジークはガブリエル卿の助手であり、且つ、食事の一切を監督している。ルカがいない今、学徒らの歌唱指導を代わりに引き受けていた。雰囲気が柔らかく、学徒らと年齢が近いこともあって、特にルイやノアからはよくからかわれている。レオナルドも、ジークがまだ学徒だった頃からよく世話を焼いて貰っていたこともあり慕っていた。

「アルバート先生も、お願いします」

 口に手をやって考え込んでいるアルバートにルイが声をかけると、数秒遅れてアルバートは顔を上げた。

「……ああ。しかし時間がありませんね。貴方達、年末の行事は皆さん任せになることも増えるかもしれませんが、大丈夫ですか?」

 問いかけられた学徒らは目を見合わせてから、「はい!」と大きく返事した。

「大丈夫です! 去年と大体同じですよね」
「ええ」
「こまめに確認を取りながら、僕たちは行事の準備を進めます。だから先生は、二人を」

 ノアがそう言ってアルバートに近づく。

「その頭の中に詰まった知識、腐らす前に全部明け渡して、二人が不必要に傷つかなくていいように守ってやってくださいよ」

 小さな声で脅すようにかけられた言葉に、アルバートは
「分かりました。必ず」
と確かに頷いた。
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