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雪原の紅い風
30.
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その夜、恐らく最後になるだろう五人での入浴は話が弾んで、危うく終礼に間に合わなくなるところだった。試験を終えた解放感と結果が気になる不安からか、そんなドタバタまで何だか酷く面白くて、五人とも笑いを堪えるのに苦労した。
終礼後もレオナルドとルイは何だか寝付けなくて、二段ベッドの下の段に並んで座ると、アダムスの皆はどうしているだろうかと想像してはクスクスと笑いあっていた。
「ノアは、ルイと離れて寂しくて心配で、気が気じゃないんじゃない?」
「どうだろう。案外ケロッとしてるかもよ」
「そうかなあ?」
「それより、僕はアルバート先生が立ち直れたかが気掛かりだよ。結局、最後までうじうじしてたのあの人じゃん」
ルイがそう呆れて言って、レオナルドが「ふふふ」と口を抑えて笑うと、唐突に
トントントン
と、部屋のドアがノックされた。
「はい」
ルイは息を殺して壁の影に隠れ、レオナルドは一体何事かと心臓を縮ませながらドアを小さく開けた。
「レオナルドだね? ルイは起きてる?」
聡明そうな大人の目がこちらを覗いている。どこかアルバートに似て見える彼の背後にジョン、ディラン、リヴィの姿が見えて、嘘をつくのは得策ではなさそうだとレオナルドは判断した。
「……はい。起きています」
「良かった。話があります。二人とも私に着いてきなさい」
壁の影から出てきたルイと何となく手を繋いで廊下へ出る。三人に目配せしてみたが、一様に「分からない」と無言で顔を困らせるばかりだった。
暗く静かな廊下を彼について進んでいく。彼は階段を降りて左の廊下の一番奥の部屋のドアを開くと、机の前に一列に並んで立つように指示を出した。
「終礼後にすまないね。試験統括のウィリアムです。皆、試験お疲れさまでした」
五人の目の前に座る彼はそう名乗ると、一人ずつ名を呼んで一封の白い封筒を手渡していく。
「五人ともよく頑張ってくれましたね。この封筒の中にそれぞれ結果が入っているから、開けて確認しなさい」
封を開ける指が震えて、レオナルドは浅く息を吐いた。どう書かれていたら、この緊張は凪いでいくのだろうか。役名が書かれている想像も、そうでない想像も出来ないままに畳まれた紙を開き――、そして、思わず息をのむ。
「おめでとう。五人とも演者での合格ですよ」
そう言われて初めて、五人はお互いの顔を見た。どんな顔をして良いのか分からずに様子を伺いあいながら、やがて誰かが曖昧に笑みを浮かべたのにつられるようにして微笑んで、それでようやく息をした。
(良かった、んだよね……?)
こうなることを望んでいたはずだ。演者を目指すと決めて試験に臨み、そしてその願いが叶ったはずなのに、喜びが心にわいてこないのは何故か。緊張は尚も解れず、心臓が軋むように痛い。紙に書かれた「ヴィル」という見慣れた三文字に、レオナルドは言い知れぬ重たさを感じていた。
「もっと喜びなさい。でないと、私が喜べない」
ため息混じりにウィリアムが言う。
「覚悟を決めたのでしょう? だからあれほど堂々と歌ったのでしょう? 私が根回しするまでもなく、貴方達五人の歌声は素晴らしいものでしたよ」
根回し、という単語に引っ掛かりを覚えたのはレオナルドだけではなく、
「ウィリアム先生が、私達を中央教会に呼んだということですか?」
と、ジョンが尋ねた。
「私は、第二次試験で明らかに不当な評価がつけられていた答案を黙認できなかっただけです」
「……何故ですか?」
「決まっているでしょう。私の良心がそれを良しとしなかった。もっと言えば、私の誇りを穢されることが許せなかったからですよ」
淡々と言うウィリアムに何となく五人は気圧された。知性を湛えた眼差しに、卒倒しかけるほどの威厳を感じる。
「掃き溜めにも鶴はいる。コユーゲルを発つとき、私の先生はそう言いました。その鶴が貴方だと、信じてもいいのでしょうか」
ディランが鋭く言葉を投げる。レオナルドもルイも、出会ってから今日までの数日では聞いたことのないディランの刺々しい声にヒュッと喉が鳴った。
「誰を信じ、誰を疑うかは君自身が決めることです。他人に委ねていいものじゃない」
ウィリアムは動じずにキッパリと線を引く。温度の低い声に、それでも突き放されたように感じないのは、彼の目がまっすぐにディランを見ているからだろうか。
少しの間誰もが沈黙したので、
「ウィリアム先生は、アルバート先生をご存じですか?」
と、レオナルドが尋ねた。
「ええ。よく知っていますよ。季節の移ろうごとに手紙を送りあう仲です。ルカ離れはどうにか出来たようですが、彼の過保護で臆病な所はまだまだ健在のようですね」
ウィリアムは引き出しから幾つかの手紙を出すと、二人に手渡す。そこには確かに、自分達の知っているアルバートの字が並んでいた。二人は暫く手紙を観察すると、それを机の上に返してからお互いを見る。うん、と小さく頷きあう。
「私達は、中央教会に着いたらウィリアムという人を探せとアルバート先生に言われて来ました。先ほどのお言葉とこの手紙で、先生がそのウィリアムさんで間違いないと感じました。私達はアルバート先生を信じています。だから、アルバート先生が信用を置くウィリアム先生のこともまた、信じようと思います」
ルイが凛として答えるのを、ウィリアムは手紙を引き出しに戻しながら聞いた。
「ああ。しかし、それをわざわざ言葉にする必要がありましたか?」
「私達がウィリアム先生のことを信じるという選択をしたことを、三人にも知っておいてほしいと思いました。彼らが信じられる人を見極めるための情報の一つになったらいいと」
ルイがそう言うと、ウィリアムはただ一言「そうですか」と返した。軽く咳払いをして、彼は指を組んで五人を見据える。
「さて。貴方達の役は、町人だとか鳥だとか、そういう類ではありません。ここにいる五人全員が、劇中の印象的な場面に出てくる印象的な人物です。教典の中にもハッキリとその人物像が描かれている人物だからこそ、稽古中も本番も、貴方達への評価の目は厳しいものになるはずです」
五人は深く頷いた。これから先、厳しい日々が来ることは演者を目指すと決めるよりも以前から覚悟していた。この劇に携わると分かった時点で、何をしてもその評価が厳しいものになることを分かって、受け入れて中央教会へやって来たのだ。こんなにも重要な役が割り当てられるとは、とても思っていなかったが。
「何故そんなに重要な役が私達に与えられたのでしょうか」
ジョンが尋ねると、ウィリアムは僅かに表情を和らげた。
「貴方達の知識が『生きたもの』だからですよ。詰め込まれたものでも押し付けられたものでもない。第二次試験の答案を見ればすぐに分かります。貴方達が能動的にヴィルトゥム教に向き合っているということ、そして得た知識をきちんと自分の中に落とし込めていること。そういう姿勢が無ければ、すぐに役に潰されてしまいます」
そこまで言って、ウィリアムはまた表情を固く戻した。
「まあ、厳しい指導や重圧に負ける貴方達を想像して、貴方達を蔑む準備や、自分の息のかかった学徒に代役の準備をさせている人間もいることは事実です。そういう悲しい人間の思惑通りに貴方達が潰れていくのならそれはそれです。仕方のないことです。慰めの言葉は送りませんが、故郷への馬車くらいは用意しましょう。しかし、貴方達が負けたくないと、最後まで役を全うしたいと願うのならば、貴方達は貴方達のこれまでの学びを信じ、そして崇高な誇りを抱いて役と向き合い続けなさい。それが出来ると踏んで、私は貴方達にその役を任せたのですから」
ウィリアムが本気で自分達を信じているのだと分かったから、五人は身動きがとれなかった。信頼はそれだけで心を縛る。与えられた信頼に応えられる自分でありたいと願ってしまう。真綿で締めつけられるように苦しいのに、その苦しさに心地良さを感じてしまう。
「封筒の中に地図が入っているでしょう。そこに示された場所が演者棟です。明日、朝礼後に案内しますから荷物を纏めておくこと。稽古が始まるまでは、今と同じようになるべく部屋から出ないように生活しなさい。誰かと話がしたい時は私に言づけるように。そうしたら指導という名目で私の部屋に貴方達を呼びつけます。だから、くれぐれも内緒話だとか密会するだとかという誤解を呼ぶような言動はしないように注意しなさい。軟禁のような生活をさせて申し訳ないが、避けられる衝突は避けるべきだというのが私の考えです。理解してくれると嬉しいのですが」
窮屈ではあるが、彼の監視の下にある方が安全なのだろうことは、わざわざ考えなくても分かった。たとえこれを軟禁だと呼んだとしても、五人ともそれを苦とは思わなかった。
「もしも、この掃き溜めの中で四ヶ月、貴方達が気高い鶴で居続けられたのなら、それが現状を変えるための足掛かりになるかもしれない。期待していますよ」
そう言うウィリアムの顔がどことなく輝いて見えて、レオナルドは何とも言いがたい感情に心を揺らした。
「ウィリアム先生は、今の中央教会を変えたいと願われているのですか?」
リヴィが疑いながら、しかし彼を信じたいと乞うような声で訊く。
「変える、変えないというのはよく分かりません。私はただ、今の中央教会にはびこる価値観とズレを感じている。そして。驕る者、高ぶる者、付け上がる者。それに取り巻く阿呆者、日和見るだけの愚か者。そんな大人達の中で大切な学徒を育てるわけにはいかないと思っているだけです」
遠い目をするウィリアムの目は、薄らと優しさに濡れて見えた。
「夜に呼び出して悪かったね。部屋まで送りましょう。……ああ、レオナルドとルイは手紙が届いているから、私が三人を送ってくる間、読んで待っていなさい」
ウィリアムはレオナルドとルイに手紙を渡すと席を立つ。部屋を出る三人におやすみなさいと小さく手を振ると、彼らも微笑んで手を振り返した。
ドアが閉まり彼らの足音が遠くなる。アルバートからの手紙はアダムスの近況とこちらの様子を窺う簡潔なものだったが、それでもどうしてか読み進めるごとに泣きたくなって仕方がなく、レオナルドが手早く手紙を畳む隣で、ルイも畳んだ手紙の端をきつく握っていた。
「ねえ、レオナルド」
「なあに?」
「試験の結果さ、せーので見せあわない?」
「うん、いいよ。ちょっと待って」
レオナルドが手元を整理する。
「せーのっ」
開いて見せた紙に、二人は「ああー」と声を重ね、それから小さく笑った。
「やっぱり、ヴィルに選ばれたんだね」
「うん。皆が皆、僕はヴィルっぽいってあれだけしつこかったから、これを見てもなんとか気を失わずにいられたよ」
アダムスにいた時も、中央教会へ来てからも、もしも演者に選ばれるならレオナルドはヴィル役だろうと皆口々に言っていた。曰く、その声の高さや少女的にさえ見える美しい容姿、包容力があるようでどこかほわほわとした雰囲気などがそう見えるのだそうだ。
「もっと感謝してくれていいんだよ」
「うん。ありがとう」
レオナルドは礼をすると、ルイの手元に目をやる。
「ルイは、オースリエルなんだね」
「うん。ヴィルに拾われた最初の子。一緒に歌う場面もあるかもね」
「そうだね。あったら嬉しい」
オースリエルは、ヴィルがまだリトゥムハウゼと出会う前に、川から流されてきた女の子だ。ヴィルに育てられた最初の子であり、一番のヴィルの理解者として教典に描かれている。ちなみに、ヴィルが空に隠れた後、オースリエルの孫が一連の経緯を教典にまとめ、ヴィルトゥム教を創設したと言われている。
二人きりで話す内に緊張感が薄れたのか、ガチャリとドアが開くまで、二人はウィリアムが戻ってきたことに気が付かなかった。
終礼後もレオナルドとルイは何だか寝付けなくて、二段ベッドの下の段に並んで座ると、アダムスの皆はどうしているだろうかと想像してはクスクスと笑いあっていた。
「ノアは、ルイと離れて寂しくて心配で、気が気じゃないんじゃない?」
「どうだろう。案外ケロッとしてるかもよ」
「そうかなあ?」
「それより、僕はアルバート先生が立ち直れたかが気掛かりだよ。結局、最後までうじうじしてたのあの人じゃん」
ルイがそう呆れて言って、レオナルドが「ふふふ」と口を抑えて笑うと、唐突に
トントントン
と、部屋のドアがノックされた。
「はい」
ルイは息を殺して壁の影に隠れ、レオナルドは一体何事かと心臓を縮ませながらドアを小さく開けた。
「レオナルドだね? ルイは起きてる?」
聡明そうな大人の目がこちらを覗いている。どこかアルバートに似て見える彼の背後にジョン、ディラン、リヴィの姿が見えて、嘘をつくのは得策ではなさそうだとレオナルドは判断した。
「……はい。起きています」
「良かった。話があります。二人とも私に着いてきなさい」
壁の影から出てきたルイと何となく手を繋いで廊下へ出る。三人に目配せしてみたが、一様に「分からない」と無言で顔を困らせるばかりだった。
暗く静かな廊下を彼について進んでいく。彼は階段を降りて左の廊下の一番奥の部屋のドアを開くと、机の前に一列に並んで立つように指示を出した。
「終礼後にすまないね。試験統括のウィリアムです。皆、試験お疲れさまでした」
五人の目の前に座る彼はそう名乗ると、一人ずつ名を呼んで一封の白い封筒を手渡していく。
「五人ともよく頑張ってくれましたね。この封筒の中にそれぞれ結果が入っているから、開けて確認しなさい」
封を開ける指が震えて、レオナルドは浅く息を吐いた。どう書かれていたら、この緊張は凪いでいくのだろうか。役名が書かれている想像も、そうでない想像も出来ないままに畳まれた紙を開き――、そして、思わず息をのむ。
「おめでとう。五人とも演者での合格ですよ」
そう言われて初めて、五人はお互いの顔を見た。どんな顔をして良いのか分からずに様子を伺いあいながら、やがて誰かが曖昧に笑みを浮かべたのにつられるようにして微笑んで、それでようやく息をした。
(良かった、んだよね……?)
こうなることを望んでいたはずだ。演者を目指すと決めて試験に臨み、そしてその願いが叶ったはずなのに、喜びが心にわいてこないのは何故か。緊張は尚も解れず、心臓が軋むように痛い。紙に書かれた「ヴィル」という見慣れた三文字に、レオナルドは言い知れぬ重たさを感じていた。
「もっと喜びなさい。でないと、私が喜べない」
ため息混じりにウィリアムが言う。
「覚悟を決めたのでしょう? だからあれほど堂々と歌ったのでしょう? 私が根回しするまでもなく、貴方達五人の歌声は素晴らしいものでしたよ」
根回し、という単語に引っ掛かりを覚えたのはレオナルドだけではなく、
「ウィリアム先生が、私達を中央教会に呼んだということですか?」
と、ジョンが尋ねた。
「私は、第二次試験で明らかに不当な評価がつけられていた答案を黙認できなかっただけです」
「……何故ですか?」
「決まっているでしょう。私の良心がそれを良しとしなかった。もっと言えば、私の誇りを穢されることが許せなかったからですよ」
淡々と言うウィリアムに何となく五人は気圧された。知性を湛えた眼差しに、卒倒しかけるほどの威厳を感じる。
「掃き溜めにも鶴はいる。コユーゲルを発つとき、私の先生はそう言いました。その鶴が貴方だと、信じてもいいのでしょうか」
ディランが鋭く言葉を投げる。レオナルドもルイも、出会ってから今日までの数日では聞いたことのないディランの刺々しい声にヒュッと喉が鳴った。
「誰を信じ、誰を疑うかは君自身が決めることです。他人に委ねていいものじゃない」
ウィリアムは動じずにキッパリと線を引く。温度の低い声に、それでも突き放されたように感じないのは、彼の目がまっすぐにディランを見ているからだろうか。
少しの間誰もが沈黙したので、
「ウィリアム先生は、アルバート先生をご存じですか?」
と、レオナルドが尋ねた。
「ええ。よく知っていますよ。季節の移ろうごとに手紙を送りあう仲です。ルカ離れはどうにか出来たようですが、彼の過保護で臆病な所はまだまだ健在のようですね」
ウィリアムは引き出しから幾つかの手紙を出すと、二人に手渡す。そこには確かに、自分達の知っているアルバートの字が並んでいた。二人は暫く手紙を観察すると、それを机の上に返してからお互いを見る。うん、と小さく頷きあう。
「私達は、中央教会に着いたらウィリアムという人を探せとアルバート先生に言われて来ました。先ほどのお言葉とこの手紙で、先生がそのウィリアムさんで間違いないと感じました。私達はアルバート先生を信じています。だから、アルバート先生が信用を置くウィリアム先生のこともまた、信じようと思います」
ルイが凛として答えるのを、ウィリアムは手紙を引き出しに戻しながら聞いた。
「ああ。しかし、それをわざわざ言葉にする必要がありましたか?」
「私達がウィリアム先生のことを信じるという選択をしたことを、三人にも知っておいてほしいと思いました。彼らが信じられる人を見極めるための情報の一つになったらいいと」
ルイがそう言うと、ウィリアムはただ一言「そうですか」と返した。軽く咳払いをして、彼は指を組んで五人を見据える。
「さて。貴方達の役は、町人だとか鳥だとか、そういう類ではありません。ここにいる五人全員が、劇中の印象的な場面に出てくる印象的な人物です。教典の中にもハッキリとその人物像が描かれている人物だからこそ、稽古中も本番も、貴方達への評価の目は厳しいものになるはずです」
五人は深く頷いた。これから先、厳しい日々が来ることは演者を目指すと決めるよりも以前から覚悟していた。この劇に携わると分かった時点で、何をしてもその評価が厳しいものになることを分かって、受け入れて中央教会へやって来たのだ。こんなにも重要な役が割り当てられるとは、とても思っていなかったが。
「何故そんなに重要な役が私達に与えられたのでしょうか」
ジョンが尋ねると、ウィリアムは僅かに表情を和らげた。
「貴方達の知識が『生きたもの』だからですよ。詰め込まれたものでも押し付けられたものでもない。第二次試験の答案を見ればすぐに分かります。貴方達が能動的にヴィルトゥム教に向き合っているということ、そして得た知識をきちんと自分の中に落とし込めていること。そういう姿勢が無ければ、すぐに役に潰されてしまいます」
そこまで言って、ウィリアムはまた表情を固く戻した。
「まあ、厳しい指導や重圧に負ける貴方達を想像して、貴方達を蔑む準備や、自分の息のかかった学徒に代役の準備をさせている人間もいることは事実です。そういう悲しい人間の思惑通りに貴方達が潰れていくのならそれはそれです。仕方のないことです。慰めの言葉は送りませんが、故郷への馬車くらいは用意しましょう。しかし、貴方達が負けたくないと、最後まで役を全うしたいと願うのならば、貴方達は貴方達のこれまでの学びを信じ、そして崇高な誇りを抱いて役と向き合い続けなさい。それが出来ると踏んで、私は貴方達にその役を任せたのですから」
ウィリアムが本気で自分達を信じているのだと分かったから、五人は身動きがとれなかった。信頼はそれだけで心を縛る。与えられた信頼に応えられる自分でありたいと願ってしまう。真綿で締めつけられるように苦しいのに、その苦しさに心地良さを感じてしまう。
「封筒の中に地図が入っているでしょう。そこに示された場所が演者棟です。明日、朝礼後に案内しますから荷物を纏めておくこと。稽古が始まるまでは、今と同じようになるべく部屋から出ないように生活しなさい。誰かと話がしたい時は私に言づけるように。そうしたら指導という名目で私の部屋に貴方達を呼びつけます。だから、くれぐれも内緒話だとか密会するだとかという誤解を呼ぶような言動はしないように注意しなさい。軟禁のような生活をさせて申し訳ないが、避けられる衝突は避けるべきだというのが私の考えです。理解してくれると嬉しいのですが」
窮屈ではあるが、彼の監視の下にある方が安全なのだろうことは、わざわざ考えなくても分かった。たとえこれを軟禁だと呼んだとしても、五人ともそれを苦とは思わなかった。
「もしも、この掃き溜めの中で四ヶ月、貴方達が気高い鶴で居続けられたのなら、それが現状を変えるための足掛かりになるかもしれない。期待していますよ」
そう言うウィリアムの顔がどことなく輝いて見えて、レオナルドは何とも言いがたい感情に心を揺らした。
「ウィリアム先生は、今の中央教会を変えたいと願われているのですか?」
リヴィが疑いながら、しかし彼を信じたいと乞うような声で訊く。
「変える、変えないというのはよく分かりません。私はただ、今の中央教会にはびこる価値観とズレを感じている。そして。驕る者、高ぶる者、付け上がる者。それに取り巻く阿呆者、日和見るだけの愚か者。そんな大人達の中で大切な学徒を育てるわけにはいかないと思っているだけです」
遠い目をするウィリアムの目は、薄らと優しさに濡れて見えた。
「夜に呼び出して悪かったね。部屋まで送りましょう。……ああ、レオナルドとルイは手紙が届いているから、私が三人を送ってくる間、読んで待っていなさい」
ウィリアムはレオナルドとルイに手紙を渡すと席を立つ。部屋を出る三人におやすみなさいと小さく手を振ると、彼らも微笑んで手を振り返した。
ドアが閉まり彼らの足音が遠くなる。アルバートからの手紙はアダムスの近況とこちらの様子を窺う簡潔なものだったが、それでもどうしてか読み進めるごとに泣きたくなって仕方がなく、レオナルドが手早く手紙を畳む隣で、ルイも畳んだ手紙の端をきつく握っていた。
「ねえ、レオナルド」
「なあに?」
「試験の結果さ、せーので見せあわない?」
「うん、いいよ。ちょっと待って」
レオナルドが手元を整理する。
「せーのっ」
開いて見せた紙に、二人は「ああー」と声を重ね、それから小さく笑った。
「やっぱり、ヴィルに選ばれたんだね」
「うん。皆が皆、僕はヴィルっぽいってあれだけしつこかったから、これを見てもなんとか気を失わずにいられたよ」
アダムスにいた時も、中央教会へ来てからも、もしも演者に選ばれるならレオナルドはヴィル役だろうと皆口々に言っていた。曰く、その声の高さや少女的にさえ見える美しい容姿、包容力があるようでどこかほわほわとした雰囲気などがそう見えるのだそうだ。
「もっと感謝してくれていいんだよ」
「うん。ありがとう」
レオナルドは礼をすると、ルイの手元に目をやる。
「ルイは、オースリエルなんだね」
「うん。ヴィルに拾われた最初の子。一緒に歌う場面もあるかもね」
「そうだね。あったら嬉しい」
オースリエルは、ヴィルがまだリトゥムハウゼと出会う前に、川から流されてきた女の子だ。ヴィルに育てられた最初の子であり、一番のヴィルの理解者として教典に描かれている。ちなみに、ヴィルが空に隠れた後、オースリエルの孫が一連の経緯を教典にまとめ、ヴィルトゥム教を創設したと言われている。
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