雨は藤色の歌

園下三雲

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雪原の紅い風

32.

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 その日の夜、レオナルドとルイは同じベッドで眠った。肩を寄せあえばそれほど窮屈でもなく、ずっとそこに温かさがあることに強く安心した。

 翌朝、朝礼を済ませるとさして間も置かずにウィリアムは迎えに来た。鞄を背負った五人を引き連れてウィリアムは外に出た。静かな朝にどうにも胸騒ぎがして建物を見上げれば、窓に隠れる人影が見える。観察されている。ジロジロと気分の悪い視線だ。

 学徒寮をぐるりと裏に回ってから北西に数十歩、尖った屋根の高い塔の前でウィリアムはポケットから鍵束を取り出した。大小二つの南京錠を開けると、グルグル巻かれたチェーンをほどいていく。ドアを開けるとその先は真っ暗で、ウィリアムはレオナルドにドアを開けておくように指示すると、ランタンから蝋燭に火を採って、それを壁にかかった燭台に翳した。

 三対の燭台に火が点ると、建物の構造が見えてくる。入ってすぐの右手には大きな丸テーブルとソファ、左手には地下への階段がある。入り口から真っ直ぐに廊下は続いており、両脇にズラリと部屋が並んでいた。

 ウィリアムが廊下にかかる燭台に火を点けながら廊下を進んでいく。中ほどまで行ったところで、彼はレオナルド達にドアを閉めて着いてくるように声をかけた。五人が小走りでウィリアムに追いつくのを待って、彼はさらに奥に進んで階段を上った。

 二階に着くとウィリアムはドアプレートを確認しながら進んで行き、「207」と書かれた部屋のドアを開けた。

「ここがディランの部屋です。一週間前に学徒達に掃除はさせたのですが、自分でも軽く掃き掃除した方が良いでしょう。掃除用具はここ、トイレはこちらです」

 ウィリアムは部屋に入るとそれぞれの戸を開けて見せる。

「向かいの部屋、『215』がルイの部屋です。その三つ隣の『212』がジョン、少し離れて『201』がリヴィの部屋です。どの部屋も造りは同じですから、説明は一度で良いですね?」

 三人が「はい」と頷くと、ウィリアムは長い紐の付いた鍵を一つずつ渡していった。

「これがそれぞれの部屋の鍵です。稽古や入浴など、部屋を空ける時は必ず鍵を掛けるようにしなさい。そして、鍵は首から下げて服の中に隠すこと。入浴時も首から外してはいけませんよ、何が盗られるか分かりませんからね」

 ウィリアムがそう言うと、皆、早速鍵を首から下げて服の中に隠した。

「浴場は地下です。後で案内しますから、それぞれの部屋へ荷物を置いて、窓を開けて換気して待っていなさい。私はレオナルドを部屋へ案内してきます」

 ルイ、ジョン、リヴィがそれぞれ自分の部屋に入っていったのを確認してから、ウィリアムはレオナルドを連れて階段を上った。一つ上の階を素通りしてさらに上ると重厚な扉に階段は行き止まる。ウィリアムが鍵束から錆びかけた一つの鍵を探して扉に挿し込み回すと、重たい音を立てて扉が開いた。

 その先には、明るい廊下を挟んで二つのドアがあるばかりだった。廊下の突き当たりは大きな嵌め殺しの窓になっており、そこから光が強く差している。ウィリアムはポケットから小瓶を出すと、中に入った透明な水をレオナルドの頭上から薄く振りかけた。身を清められているとレオナルドはすぐに察して祈りの言葉を唱える。

 清め終えるとウィリアムは向かって左側のドアの前に立ち、レオナルドに鍵を開けるように促した。

「ここがレオナルドの部屋です。広いでしょう? 歴代のヴィルが使った部屋ですよ」

 それは今まで見て来たどの部屋よりも広かった。自分の部屋よりもウィリアムの部屋よりも、アルバートの部屋やガブリエル卿の部屋よりも広いと感じた。

「そこがトイレ、そちらが浴室です。とは言え、桶で湯を浴びる程度しか出来ませんが」

 ウィリアムはドアを押さえたまま中には入らず、手を伸ばして部屋の中を指す。

「ヴィル役は高潔であることが求められます。朝と晩、祈りを捧げた湯が廊下に置かれますから、それを被って身を清めなさい。食事も今まで通り廊下に置かれますから、部屋で一人で食べるように。この部屋の中へは誰であってもいれてはいけませんよ。いずれ儀式がありますが、それを終えれば貴方はヴィルの依代になるのです。従ってここは神の部屋、神域です。分かりますね」

 レオナルドは口を堅く引き結んで頷く。自身の儀式はまだ当分先だが、歴代のヴィル役が使った部屋ということは既にここは遠い昔から貴い神域なのである。その部屋を自分が使うという事実を目の当たりにして、レオナルドは一層気を引き締めた。

「向かいの部屋はリトゥムハウゼ役の学徒の部屋です。中央教会の子ですが、非常に賢い子なので貴方に意地悪するようなことは無いはずです。まあ、稽古が始まるまでは関わりも無いでしょうが」

 二人はまだ閉ざされたままの向かいのドアに目を遣って、それからふっと見つめあった。

「アルバートから貴方は火が駄目だと聞いています。暖炉も厳しいですか?」
「はい、多分」
「分かりました。毛布を多めに届けましょう。それから、毎夕、私の部屋に温石を取りにきなさい」
「ありがとうございます」

 中央はアダムスよりも北にあるせいか、中央教会に来てからの数日、レオナルドは経験したことのない寒さにいつも凍えていた。アダムスでは暖炉が無くても容易に冬を越せていたが、中央教会では暖炉なしでどう過ごせば良いものかと不安だったので、ウィリアムの配慮が嬉しかった。

「私の部屋は一つ下の階の一番奥です。入り口に名前が書いてありますから、確認してからノックするように。もしも途中で他の先生に会って用件を問われたら、何と言えば良いと思います?」
「えっ? ウィリアム先生に温石を頂きに伺いに参りました……?」
「不正解。貴方の正直な所は美点でもありますが、敵地で何もかも明け透けに言うのは間抜けのすることですよ。『お呼び出しを受けてウィリアム先生にご指導戴きに伺うところです』と言いなさい」
「はい」
「ほかに、何か分からないことは?」
「た、多分大丈夫です」

 正直なところ、何が分かっていて何が分かっていないのかレオナルドは分からなかった。過ごしてみて分からないところが出てくるだろうから、その時にまたウィリアムを頼れば良いだろうと考える。

「ルイ達を浴場に案内してから、朝食を持ってきます。十時頃にはリトゥムハウゼが向かいに来ると思いますが、挨拶などはしなくて結構。今日は掃除をしたり、荷物を整理したりして過ごしなさい。五時になったら迎えにきます。昨日の続きをしましょうね」

 そう言って愉し気に小さく笑うウィリアムを見て、レオナルドは昨夜を思い出して俯く。

「お返事は?」
「はい……!」

 ウィリアムの低い声に慌ててレオナルドが顔を上げて返事する。ウィリアムは昨夜のようにレオナルドの額に軽く口づけると、レオナルドを部屋の内にいれてドアを閉めた。
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