雨は藤色の歌

園下三雲

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花乱る鳥籠

61.

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 十五日間に渡る公演は盛況を博した。

 向けられる大きな拍手と歓喜の声に学徒らは終ぞ慣れることは無かったが、つられて沸き上がる感動を隠さず、誇らしげに胸を張って応える。最終日には感極まってその目に涙を浮かべる者も多かったが、しかし誰もが晴れやかに笑っていた。

 観客を見送り舞台裏に戻れば、レオナルドの体からガクンと力が抜ける。それがヴィルがレオナルドの体から出て空へ帰ったという証であり、そうしてやっと周囲は最敬礼の姿勢を解いた。

 教会への帰り道、ウィリアムはレオナルドとテオドールを呼ぶと、学徒らの列を離れ、二人を約束の食事に連れていった。久しぶりの熱々の料理にレオナルドとテオドールは「美味しい」と笑いながら涙を溢し、それを見てウィリアムも薄らに目を潤ませた。のどやかに流れていく時間に、緊張の糸が解けていく。店を出る頃には、星の輝きを喰うように月が円かに照っていた。

「あれ? 教会の方が随分明るいような」

 テオドールが首を伸ばす。

「ああ、地方からいらした方々へ庭をお貸ししているのですよ。丁度夕食時ですから、余計明るいのでしょう。アダムスの皆さんもいらっしゃるはずですよ」

 ウィリアムの言葉にレオナルドは目を輝かせた。心なしか早まる彼の足取りに、ウィリアムとテオドールがクスリと笑う。

 次第に甘やかな藤の香りが強まって、教会に近づいていることを実感する。行く先の空がそこだけほんのり明るくて、はやる気持ちにレオナルドの心臓がドクンドクンと大きく打っていた。

「レオナルド!」

 教会の門をくぐると、早速に声をかけられる。振り向けば満面の笑みを浮かべた学友らが抱きつかんとする勢いでレオナルドに駆け寄ってきた。

「レオナルド凄い! 凄かったよレオナルド!」
「とっても綺麗だった!」
「ね! 本当にヴィルみたいで!」

 彼らは興奮そのまま口々にレオナルドを褒めそやしながら、競うようにレオナルドの手を引いてアダムスに割り振られた区画に連れていく。ひとしきり感想を言い終えると、今度はニヤニヤと何か企んだ顔をしてレオナルドを振り返らせた。

「お疲れさま、レオナルド」

 いつの間にか立っていたその姿と懐かしい声に胸がキュウと狭くなる。

「ルカ先生……! シェーベルも! お帰りだったんですね」
「ああ、ついこの間ね。君の劇に間に合って良かった。素晴らしい劇だったよ。頑張ったね」
「ありがとうございます! ……それから、お帰りなさい」
「うん。ただいま」
「シェーベルも、おかえり」
「あ、うん。ただいま。……綺麗だな」
「ありがとう」

 思うところは色々とあったはずなのに、こうして会ってみると存外と普通に話せたことにレオナルドは少し驚く。

「シェーベルのやつ、照れてやんの!」

 影からマルコが楽しそうに茶化して、「おい! マルコ!」とシェーベルが破顔して絡みに行く。じゃれあう二人の姿を目だけで追いかけて、それからレオナルドはルカと小さく笑いあった。

「レオナルド、君に会わせたい人がいるんだ」

 ついておいで、とルカは藤棚の下にレオナルドを連れていく。遠くからでも分かる二つの人影に心が弾む。

「母さん、リル! それに……」

 母妹の後ろに隠れたもう一人の影に、レオナルドは目眩がしそうなほどの衝撃を覚えた。

「父さん?」

 レオナルドの声にその人は顔を徐に上げる。

「……レオ」

 耳が蕩ける愛しい声に
「父さんだ! 父さん!」
と、レオナルドは抱きついた。

「生きていてくれて良かった。また会えて良かった……!」

 全身を廻っていく喜びに、レオナルドは堪えることもせず泣いていた。感じる温かさが本物だと信じたくて、レオナルドは強く強く父を抱いた。

「レオ。レオ……」

 確かめるようにレオナルドの顔に触れるその手に、もうかつての逞しさはない。ただ、生きてきた、生き抜いてきた強さがそこにあるだけだった。

「レオ。劇を観たわ。とても素敵だった」
「ありがとう、母さん」
「いいえ、いいえ。ありがとう、は私がレオに言いたいのよ」

 父とレオナルドが抱き合う、その脇から母も二人を抱きしめた。泣いている母を慰めたいとは思わなかった。一緒に泣けるこの瞬間が何よりも嬉しかった。

 おずおずと、母の反対側からリルも家族に手を回す。泣いて、泣いて、家族はひたすらに生きている尊さを味わっていた。

 やがて、名残惜しそうに体を離す。父母が互いの頬の涙の跡を拭いあっているのを脇目に、「リル?」と、レオナルドは何処か様子のおかしいリルに声をかけた。

 リルは辺りを見回して、それからレオナルドを連れて父母の傍を離れる。幾らか行ったところでリルは足を止めると、レオナルドの手をとって俯いた。

「ルカ先生が父さんを見つけて、連れてきてくれたの。酷く弱って、何をしても反応が鈍くて、死神に半分心を持っていかれているみたいだった。それがね、舞台にレオの姿を見つけて泣いていたの。歌を聴いて、幸せそうに泣いていた」

 リルはレオナルドの手を一度強く握って顔を上げる。

「劇を観て、父さんの心は救われたんだわ。レオの歌は父さんに希望をくれたの。素敵ね。そういう力がレオにあるなんて」

 微笑むリルの顔は確かに優しいのに、レオナルドはそこに言い知れぬ寂しさを感じた。

「リル」

 レオナルドは腕を回して、リルを優しく包み込む。

「この服、リルと母さんが縫ってくれたって聞いたよ。中央教会での日々は楽しいことばかりではなかったけれど、この服が僕を守ってくれた。この服のお陰で頑張れた。父さんにとって僕が希望だったなら、僕にとっての希望はずっと、リルと母さんだったよ」

 レオナルドが言うと、リルは肩口に顔を埋めて、それから
「妹に守られる兄だなんてね」
と呟いた。

「おかしいかな?」
「ううん。レオらしくて良いじゃない」

 リルは明るく言って、それからわざと頭同士をゴチンとぶつけた。

「痛……」
「ふふふ。食事はとってきたって聞いてるけど、スープなら飲めるんじゃない? ジークさんが作ってくださってるの。飲む?」
「うん、飲みたいな」

 レオナルドとリルは父母に一言断ってから藤棚の下を出ると、一際明るく暖かい大鍋の方へ向かった。

 鍋の番をしているジークの傍にはガブリエル卿もいて、レオナルドはまず二人に挨拶をする。二人は「立派になったね」と微笑んで、それからスープをよそって手渡した。

「レオナルド。お疲れさま」
「うん。ありがとう」

 ジークが優しく頭を撫でるのでレオナルドがはにかむ。

「とても良い劇だったよ。よく頑張ったね」
「ガブリエル卿。ありがとうございます」

 礼を言って、レオナルドはスープを一口飲んだ。

「美味しい。ジークの味だ」

 思わず溜め息が出るほど落ち着く味にレオナルドは目を閉じて、ゴクゴクとあっという間に飲みきってしまった。

「良い飲みっぷりだ」

 声をかけられて振り向けば、すぐ傍でテオドールとウィリアムが同じようにスープを手にしていた。

「ジークのスープ、美味しいでしょう?」
「ああ、とても」

 笑いあえばそれだけで心が満たされていく。

「これからは、どうするの? すごく楽しそうに劇をしていたけれど、歌劇団に入る?」

 ジークの質問に、レオナルドは
「まだ、決めてない。歌ったり踊ったりするのは楽しかったけど、それはルイやテオドールが一緒だったからかもしれないし」
とテオドールをチラリと見た。

「アルバート先生とお約束したから、今はとりあえずアダムスに帰って、たくさん甘やかしてもらう。テオドール以外にも三人の友達が出来たから彼らにも会いに行って、アダムスにも皆を呼んで、ジークの美味しいご飯、たらふく食べようかな」
「そういうことなら、ご馳走をたくさん用意しないとね」

 腕組みして張り切るジークにレオナルドは笑う。長閑な彼らからそっとガブリエル卿は離れると、
「ウィリアム」
と声をかけた。

「君には、今も十年前も随分苦労をかけましたね。ありがとう」
「いえ、礼など言わないで下さい。私の力不足で、お預かりした大切な学徒に傷をつけてしまったこと、お詫びの言葉もございません。レオナルドとルイを守りきることができず、大変申し訳ありませんでした」

 ウィリアムが深く頭を下げる。

「頭を上げなさい、ウィリアム。貴方が二人を大切に思ってくれていたこと、レオナルドとルイが貴方に向ける目を見ればすぐに分かります」

 ガブリエル卿の静かで優しい声にウィリアムはゆっくり姿勢を戻す。

「どうでしたか、教員として学徒達の劇を見るのは。十年前を思い出して懐かく思いましたか?」
「ええ、そうですね。特にレオナルドは、儚げで危なっかしい所がルカによく似ていましたから」
「リトゥムハウゼ役の彼も、貴方によく似ているように思いますよ」
「……だそうですよ、テオドール」

 ウィリアムがテオドールに目をやると、
「光栄です!」
と、テオドールは心底嬉しそうにガブリエル卿に笑顔を見せた。

「しかし、そうですね。十年前の私達よりも、レオナルドとテオドールは、よりヴィルとリトゥムハウゼに近いような気がします。傍らに立ち、互いが互いの道を示しあっているようで」
「それはきっと、彼らを選んだ、彼らを結びつけた貴方の目が正しかったということでしょう」

 ガブリエル卿が言うと、ウィリアムは少し遠い目をして空を見る。

「幸福であってほしいと思います。彼らのこの出会いの先に続く未来が、どこまでも優しく照らされていてほしいと」

 ウィリアムはそれから、姿が見えないアルバートの居場所をレオナルドに教えた。レオナルドは礼を言うとジークに食器を返して、父母の元へ戻ると言うリルを送り届けてからアルバートの元へ向かう。

「アル」

 一人きりの背中に声を掛けると、
「レオ。皆と話していなくて良いの?」
と驚いてアルバートは振り返った。

「うん。アルに、聞いてほしいことがあって」

 レオナルドのしっかりした声にアルバートは「うん」と身を正して向き合う。

「えっと、ここにいたいって我が儘をきいてくれてありがとう。ここで頑張らせてくれてありがとう。劇を全うすることが出来て、僕は今、とっても嬉しいよ」

 レオナルドが煌めいた表情で言うと、
「うん。ここにいて、ヴィル役をきちんと果たして、レオは救われた?」
とアルバートは優しく尋ねた。

「正直、よく分からない。救われたいからここにいるって言ったのに、分からなくて、ごめん」
「ううん。謝らなくていい。分からないってことは、ほんの少しは光が見つけられたってことかな?」
「うん。救われる、救われないはよく分からないけれど、夢をね、見つけたの」
「夢?」
「あのね。僕はずっと、ルカ先生の助手になりたかった。あの日僕に光をくれたルカ先生の傍で、僕を受け入れてくれたヴィルトゥム教の為に生きていきたいって、それが夢だった。その夢に、生きてきた意味全部重ねてた。……今もね、ルカ先生の助手になりたかったって思うんだ。きっと死ぬ間際にだって言うと思う。だけどそれはきっと、例えば、今日のご飯はトマトスープがいいなって、そんな感じ」

 レオナルドは、ふと家族のいる藤棚の方を見た。

「リルから聞いたんだ、父さんのこと。脱け殻みたいだった目に、僕の歌で希望の光が映ったんだって。それを聞いて思い出したの。ルカ先生の助手を目指すって決めた時に一番最初に思ったのは、ルカ先生みたいに僕も誰かの光になりたいって、そういう感情だったこと」

 レオナルドは決意するように小さく制服の裾を握る。

「例えば、僕の歌が誰かを守る雨になるのなら、僕はそうして歌っていたい。俯いていても月が見えるように、悲しみに寄り添って、その人の足元に水溜まりを作ってあげたい。それがきっと、僕の幸せなのかなって思う。だから僕は、この国で生きていきたい」

 アルバートを力強く見据えたレオナルドは、ほんの僅かに眉を寄せる。

「だけどね、僕はこの国のことをあまり知らない。中央教会に来て初めて、アダムスの外のことを、僕は何も知らなかったんだって分かった。だから、これから知っていきたい。これからはアダムスで過ごしながら、たまにジョンやディランやリヴィに会いに行ったりして、僕はこの国のことをもっと知りたい」

 手のひらに爪の突き立つ痛みがレオナルドを勇気づける。言える。大丈夫。最後まで伝えられる。

「何になりたいのかはまだ分からない。誰かの助手になるとか、歌劇団に入るとか、選択肢は色々あると思うんだ。だけど、どの道を選ぶにしても、僕は僕の為に、僕が幸せでいられる道を探したいなって。それが今の僕の夢」

 レオナルドは毅然とそこまで言ってしまってから、何を思ったか慌てたように再び口を開く。

「あ、だけどね、約束はちゃんと守るよ。暫くはアダムスにいる。自分が愛されているんだって、ちゃんと自覚する。だけどその後は、もしかしたらアダムスを離れることになるかもしれないけれど、良いかな?」

 不安気に首を傾げるレオナルドが愛らしくて、アルバートは髪を撫でた。

「それが、レオが本当に幸せになれる選択なら私は引き留めないよ。時間はたっぷりある。せっかくご家族も揃ったんだし、アダムスでゆっくり考えてごらん」
「うん、ありがとう」

 レオナルドは頭上の手をそっと取ると、その手を胸の前でキュッと握ってアルバートを見つめた。

「この先、僕が迷っていたら、傍にいてくれる?」
「私の話なんて半分も聞かないくせに?」
「意地悪言わないでよ」
「ふふ、冗談だよ。傍にいる。いつだってレオの隣で月を見よう」

 二人はそして空を見上げる。

「今日も、綺麗」

 呟いたレオナルドの髪に一片の藤の花弁が付いていて、アルバートはそれをそっと取った。

「君は藤の花がよく似合うな」

 アルバートの人差し指に乗る藤の花弁をレオナルドは摘まむと、
「ありがとう。僕もこの色、好きだよ」
と、それを月の光に翳した。

 ヒュウ

 風が吹いて、花弁はレオナルドの手を離れていく。風に乗りたおやかに踊るその行く先を、二人は黙って見届けていた。

「レオナルドー! 踊り教えてー! 一緒に踊ろー」

 遠くからレオナルドを呼ぶ声がする。

「行っておいで」

 アルバートが促せば、
「一緒に!」
と、レオナルドはアルバートと手を繋いで駆け出した。

 レオナルドが教える前に辛抱たまらず踊り出した友らの見よう見まねの滑稽な動きに笑い声が弾ける。

 藤の香りの淑やかな庭に、賑やかな幸福は高く空へ響いていた。
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