雨は藤色の歌

園下三雲

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花乱る鳥籠

60.

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 教典から逸話を抜粋し組み立てられる教会の歌劇とは違い、本劇の物語は建国史に沿って進められていく。

 シュヴェールでの交渉や説得、移民の選定。側近グラウとオースリエルら子ども達の交流。島の調査。国造りの為にいかにリトゥムハウゼが尽力したかを、丁寧に描いていった。

 この劇では、リトゥムハウゼの民を思う心が示されている逸話が特に重要な場面として扱われている。例えばヴィルが、人の行き来がしやすくなるようシュヴェールと島を繋げる為に噴火させ川を曲げた逸話では、周辺に生きる民への配慮が足らないとヴィルを酷く叱責したとされている。この叱責は教会の歌劇では詳しく描かれないが、今回はリトゥムハウゼが言ったと伝えられている言葉のすべてが劇に用いられた。

 民への献身。

 それこそがこの劇の主題だった。

 頭上が広く天色に染まる頃、物語は終わりを迎えようとしている。舞台上には見事な藤棚が盛り、その下にヴィルがただ一人悲しみに暮れていた。


  なぐさめよ きみ 紫陽花の葉を
  蝸牛ゆく陰 道を示せよ

  翔けゆけよ鳥 星雲を越え
  雲間に憩え 途を照らせよ

  吹き過ぎよ風 雲を連れゆけ
  汝を恋ふる声 なぐさめよ きみ


 リトゥムハウゼの死後、ヴィルは蹲ったまま立ち上がることも出来ずに切なく歌っていた。傍らには子ども達も座っていたが、ヴィルの寂寥に何も出来ずにいる。

「ヴィル、街へ行かない?」

 オースリエルが声をかけた。

「いいえ、私はいいわ。行くならグラウと一緒に行きなさい」
「駄目よ。ヴィルがいないと駄目なの」

 オースリエルとグラウはヴィルの体を強引に起こすと、引き摺るようにして街へ連れ出した。五、六歩行けばヴィルもしぶしぶ自分で歩きだす。遅いその歩調に合わせて、オースリエルとグラウはその傍らについて支えた。

 街は活気があり、皆楽しそうに仕事をしたり遊んだりしている。

「皆、幸せそうね」
「リトゥムハウゼ様は、すべての民が幸福でいられるように願って国を造られましたから」

 グラウが誇らしげに言うと、ヴィルはより深く眉根を寄せた。

「ええ、そうね。この国はどこもリトゥムハウゼの音が聞こえてくる。だから辛いの。こんなにも感じるのに、リトゥムハウゼがここにはいないから。何故、皆、笑っていられるの? 私はこんなにも悲しくて仕方がないのに」

 胸を押さえるヴィルに、オースリエルが寄り添う。

「それはね、ヴィル。ヴィルが雨を恵んでくれたからだよ」

 オースリエルの言葉にヴィルは怪訝な顔をする。

「私達皆、リトゥムハウゼが倒れた時は悲しかった。寂しくて、辛くてどうしようもなくて、皆俯いていたの。けれど、そこに光が差した。足元の水溜まりに月が映り込んだから、あまりに美しくて、私達は前を向けたの」

 オースリエルはヴィルの右の手をそっと握る。

「雨が窓を打つ音は、ヴィルが私達の悲しみに寄り添ってくれているのだと感じました。だから私達は思い出すのです。藤の花を。その下で楽し気に踊るヴィルを。リトゥムハウゼの歌声を」

 ヴィルの左手をグラウが握り、そして三人は空を見上げる。

「雨が降る度、私達の心には藤色の歌が聴こえる。だから、寂しいけれど寂しくない。悲しいけれど悲しくないの」

 オースリエルの言葉に、
「人は、強いのね。思い出を胸に、何度も思い返しながら歩いていける」
とヴィルは呟いた。ヴィルはオースリエルを、グラウを順に見て、それから周囲の民を見渡す。

「リトゥムハウゼが愛したこの国の民を、私も愛したい。例えば、私の雨が前を向くきっかけになるのなら――」

 ヴィルは一度目蓋を閉じると、決意したように目を開きオースリエルを見た。

「オースリエル。私、貴方の傍を離れても良いかしら? 空からこの国すべてを見下ろして、まるごと抱きしめてしまいたいの」

 その瞳はもう、悲しみに濡れるだけじゃない。愛と、喜びと、そして形ない夢に煌めいている。

「貴方は貴方の為に生きなさい。そう私に言ったのはヴィルでしょう?」

 オースリエルが微笑んで背中を押す。

「そうね。私は私の為に。すべての民を友として」

 ヴィルは胸一杯に涼やかな空気を吸い込むと、遥か遠くを見据えて口を開いた。


  蝸牛のそばへ 雨粒の歌
  友たれよ 明日を歌えよ
  優し美し 藤棚の陰
  朝焼けに輝けり


 ヴィルの歌声に続き、同じ旋律がサックバットで奏される。空に抜けていく軽快な音楽に合わせて、オースリエルとグラウが踊りだす。舞台上では民も次々に踊りだし、やがて袖からも全ての出演者が続々と出てきては幸福そうに踊っている。

 舞台の最奥、高く組まれた段の上には、ヴィルとリトゥムハウゼがいた。二人は抱き合い、そして愛おしそうに民達の踊るのを眺めてから、自分達も踊りだした。

 晴れた空に、サアッと細かい雨が降る。雨粒に光はキラキラと、まるで祝福しているようだった。優しい風は何もかもを包み込み、音楽と共に遠く遠く旅をする。

 誰も歌ってはいないのに、歌声が聞こえてくる。まろやかで優しく、清らかで美しい。日の光が一際強く射し込んで、朝の空にヴィルとリトゥムハウゼを見た。

 優しく微笑する影は光の中に消えていき、劇はそうして幕を下ろした。
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