黒しっぽ様のお導き

宮藤寧々

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30、そしてお飾り妻は

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 頬に押し付けられた感触に気付き、私は目を覚ましました。

 結婚してから幾度も迎えた朝、私の隣で寝ているのは旦那様・・・・・・ではなくて、勿論猫です。

 白くて小柄な猫――『ほうき星』が、私の頬を叩いています。
 やんちゃな子らしく、何度も激しく。
「あら、おはよう」
 私は『ほうき星』を撫でながら、そっと身を起こしました。

「今度は俺もそうやって起こしてみようかな」
「ひぃやぁぁぁぁっ!」

 聞き慣れたはずのブライアン様の声に、私は思わず悲鳴を上げました。
 咄嗟に、シーツを被って身を隠してしまいます。
 驚かされた抗議なのでしょうか、『ほうき星』に肉球で叩かれました。

「困ったな・・・・・・そろそろ慣れて欲しいのだが」
 口では『困った』と言いながら、ブライアン様の口調は、とても楽しそうです。


 色々と遠回りをしながらも、夫婦の顔合わせを果たした私達は、二人でハーキュリー伯爵邸へ帰ったそうです。
 ・・・・・・私は気を失っていたので、ブライアン様に運んでいただいたらしいのですが。

 そして、話し合った結果、私達は婚姻を継続する運びと相成りました。
 こんな猫しか友達のいない妻を受け入れてくださるなんて、ブライアン様には申し訳ない限りです。

 ブライアン様は騎士団を辞任し、今は伯爵家の当主の執務に専念しておられます。
 王家やロドニー伯爵家の支援もあり、ハーキュリー伯爵領の復興も順調に進んでいます。

 私の方は、まず、お飾りを卒業すべく、屋敷の家政を仕切りなさいと、お父様に言われてしまって・・・・・・。
 猫が問題ない使用人を、少しずつ集めていく予定です・・・・・・。


 そんな私の朝は、沢山の猫とブライアン様に起こされて始まります。
 触れるだけで気絶するような私は、まだ寝室を共にしていないのですが、毎朝、ブライアン様は私の寝室に、お茶を持って来てくださるのです。

「今日林檎を入れてみたんだ、どうかな?」
「は、はい・・・・・・とても、美味しいです」
 長い脚を組んで寝台に腰掛けて、私がお茶を飲む様子を見つめるブライアン様・・・・・・寝起きの顔を見せるのが、とても恥ずかしくて。
 すっと顔を背けても、覗き込んで来るので・・・・・・私、朝から心臓が痛くて・・・・・・。

「あ、あまり見られると、困ります・・・・・・」
 飲み干したカップで顔を隠していると、すかさず取り上げられてしまいました。
「どうして? 俺はずっと見ていたいんだ」
 真正面から、そんなことを言われてしまったら、私、どうしていいか・・・・・・。
「だって、こんな不細工な顔、化粧をする前に見せても・・・・・・」
 過去とは決別したつもりでも、カーライルに言われた言葉が、私の脳裏を過ぎります。

「トリーシャさん」
 ブライアン様の顔が、急に固くなって・・・・・・元々騎士団に勤めていた方の、そのような顔は迫力があります。
「カーライルのこと、考えてる? あんな目も頭もおかしい奴のことより、俺の言葉を信じて?」
 両頬を手のひらで包まれて、身動きの取れない私に、旦那様の顔が迫って――

「ひぃやぁぁぁぁっ!」
 私は、『ほうき星』に顔を埋めながら、勢いよく立ち上がりました。
「顔を洗ってきまーす!」
 そのまま、はしたない足音を立てて、浴室へと飛び込んでいました。

「はああああ・・・・・・」
 浴室の扉を閉めて、座り込んだ私は、そのまま動けなくなってしまいました。
「ああ、ブライアン様・・・・・・今日は、いつもより大胆過ぎます・・・・・・」
 胸の鼓動が早いし、心臓がきゅってなるし、顔も熱いし、汗も止まらないし・・・・・・。
 毎朝、少し触れただけで、このような有様で・・・・・・私、本当にお飾り妻を卒業できるのでしょうか?


 契約結婚を始めた時には想像できなかった、心が落ち着かない日々。
 どきどきして、ふわふわして、いつも胸が苦しいけれど。
 不思議と、それが不快ではなくて。
 今までで一番、満ち足りていると実感できます。

「主よ、お導きに感謝いたします」
 私に猫達を遣わしてくださったことを。
 そして、ブライアン様と巡り合わせてくださったことを。

 私は『ほうき星』を抱きながら、そっと祈りを捧げました。
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