卯月堂の空にクジラが歌う

ねじまる

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カフェ 卯月(うげつ)堂

第十五話

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 まずは店の裏に広がる庭から。
 足を伸ばして近くの空き地に。

 それから神社に。
 お寺に。

 寂れた小さな公園には青い蛍草が揺れていた。

 坂道を上がって、下って。
 石段を降りて、登って。

 探してみると、意外と蛍草はあちこちに生えていた。

 しかし、どれもこれも、違うよ、違う……否定するように風に揺れる。

 春は夏ではない。
 春はまだ日が短く、気付くと辺りは既に薄暗くなってきていた。
 闇に飲み込まれるのも時間の問題だ。

 街灯がぽつぽつと明かりを灯し始めると、

「タンポポと同じで、在来種はレアだわ」

 こりゃ、手強いぞとナオヤは呟いた。

「蛍草の在来種って、ダブルスーパーレアってことだよね。課金しなきゃダメかなぁ。十連引かなきゃダメかなぁ」

 張り切っていたコウスケも肩を落とす。
 疲れているのかチヒロには理解できない言葉を並べている。

「普通の蛍草はあるんだけどなぁ。暗くなってきたけど、もう少し探そうか。レアは光るって話だし、見つけやすいかもね!」

 立ち直りの早い男だ。

 二時間近くも探して見つからなかった。
 途中から心の折れていたチヒロからすれば感心してしまう。

「チヒロちゃん、大丈夫?」

 知らず、感嘆の吐息を吐いていたチヒロにコウスケが気遣うように声を掛ける。
 彼女が疲れたように見えたようだ。

「ううん、大丈夫」

「おんぶ、しようか?」

 ナオヤがしゃがむのをチヒロは笑った。

「私、そこまで幼くない!」

「お、頑張るなぁ」

「だったらナオヤ君、僕をおんぶしてー!」

「コウスケは歩け!」

「えー、けちー」

「あっ、こら! 乗るな! 重ぇ!」

 三人は賑やかに夕暮れに染まる小道を歩いたが、光る蛍草を見つけることはできなかった。






 店先の玄関に掲げられた、黒いシェードを被った電球が温かな光を点していた。

 ナオヤが先頭に立って門を押して入ると、チヒロの鼻先にふわんと良い香りがくすぐる。

「あー、お腹すいたー!」

 コウスケが腹を空かせた子犬のように鼻を小さく鳴らすと、一気に駆けていってしまった。

「チヒロちゃん、行こう! 今日の夕飯は何だろ。というか、今日はトシ君とノリ君、どっちが作ったのかな」

 それとも二人かな、と楽しそうに笑うナオヤをチヒロは見上げた。

「うん? どうした?」

 何も言わず、ただこちらを見上げるチヒロにナオヤは首を傾げる。

「お兄ちゃんがいたら、こんな感じなのかなって」

 そう言って彼女は少し寂しげに笑った。

 出会ってからほんの数時間しか経っていない。

 だが、人懐っこい笑みを向けられていくうちにチヒロは自分が彼等を受け入れ始めていることに気付いた。

「チヒロちゃん……?」

 久し振りに人と話している気がする。
 久し振りに笑っているような気がする。
 久し振りに心が温かくて、居心地がいいと感じている。

 「私、一人っ子で、学校では友達も少なくて……」

 つい、自分の境遇を口にしてしまい、しまったと口をつぐんだ。
 知り合って間もない人間に、何を話しているのだ、と。

 少女は眉根を寄せて小さく笑った。
 そして、苦しそうに大きく息を吐く。
 
 このまま黙ろうとしたが、心が押し潰されるような痛みを感じた。
 心が悲鳴を上げようとして、それを自分が一生懸命に押し殺しているのを感じる。

 窒息してしまう。

 彼女は本能的に空気を求めて口を開く。
 は、と息を吐くと、胸の内に詰まっていた言葉の塊がぽろぽろと溢れ出した。

「でも、お母様がいつもそばにいてくれたから寂しくなかったし……。でも、お母様、お母様はっ……」

 小さな手を後ろに組み、視線を落とす。
 そのとき、ぱたたと雫が石畳に吸い込まれるのが見えた。

「あ、れ?」

 雨かな?

 上を見上げようとしたところでナオヤは何も言わず、大きな腕でチヒロをそっと包み込んだ。

「お母様、このまま帰って来なかったら……帰って来なかったらどうしよう……! そんなのやだぁあぁ!」

 チヒロからほたほたと熱い涙がこぼれ落ちる。

 ナオヤの大きなシャツを掴み、顔に引き寄せて彼女は叫んだ。
 押しとどめていた感情が崩壊したダムのように溢れ出る。

「だったらさ」

 優しく背中をぽんぽんと撫でながら、上から穏やかな声が降りてきた。

「光る蛍草、絶対に見つけてさ、お母さんに元気になってもらわなきゃ!」

 チヒロは何度も首を激しく縦に振った。
 そんな彼女をナオヤはぽんぽんと撫でていた。

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