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カフェ 卯月(うげつ)堂
第二十三話
しおりを挟む「それは……!」
「お母様、ご飯を食べているといつも苦しそうで、陰で戻してるのも知ってる! だから、ご飯も段々と食べられなくなって! それなのに、嫌いだった酸っぱい物とか食べるようになっちゃって。お母様がお母様じゃなくなったの。でも、あんまり食べられないから弱っちゃって、倒れて……病気になっちゃって……! それなのに、どうして……どうして……!」
「チヒロ、聞いてくれ!」
「お母様が倒れて喜んだあなたなんて、お父様じゃない! 悪い人よ!」
黒服二人の介助無しでようやく自立した父親が、再びすとーんと膝から崩れ落ちた。
「だ、旦那様!」
「社長!」
黒服の男達があたふたと父親が完全に倒れてしまわないように両脇を抱え上げようとしている。
「トシ君……」
目の前で繰り広げられる展開にナオヤは目を細めていた。
その目は生温かいと言うべきか。
「うん、コントっぽいな、とか言わないで」
トシキも半笑いになっている。
そんな二人に気付くことなく、少女の追い打ちが続く。
「お父様なんか嫌い! 大っ嫌い!」
リングの上なら試合終了のゴングが鳴り響いていただろう。
黒服が白いタオルならぬ、白いハンカチで自分達の主人の顔を扇ぐ。
娘から猛烈に拒絶された父親は顔面蒼白だ。
「ち、違っ……私は、私はただ……」
うわごとのように言い訳らしき言葉を呟いている。
「私はただ……家族が増えることを喜んだだけで……」
「……え?」
父親の呟きにチヒロは首を傾げた。
それまで張り詰めていた空気が僅かだが、緩んだ。
「家族?」
「チヒロちゃん、お母さん、ご飯を食べたら気持ち悪くなっちゃうときがあったんでしょ?」
ナオヤが後ろに手を回して彼女の頭を撫でる。
「酸っぱい物が欲しくなったときもあるみたいだね」
トシキも目を細めていた。
「それってね……」
「お母さんに、赤ちゃんができたんだ。チヒロは、お姉さんになったんだよ」
トシキの言葉を受け継ぐように、喘ぐように父親が言葉を続ける。
父親の言葉を自分の中で噛み砕こうとしているのか、少女はしばらく動かなかった。
柱時計の音が夜の店内に大きく響いて聞える。
「そっ」
チヒロは忘れていた呼吸を思い出したように口を開く。
「そうなの!?」
目を輝かせて父親に駆け寄った。
「私、お姉様になるの!?」
「あ、あぁ、そうだ。病院でその話を聞いて、私は嬉しかったんだ」
黒服達に支えられながら、再び父親は立ち上がる。
倒れられては困ると、黒服達は手を放すことはない。
「お母さん、病気じゃなかったの!?」
「つわりといって、妊娠すると個人によっては吐いてしまったり、少し苦しい状況が続くんだよ」
母親が病気ではない。
ましてや、自分に弟か妹が出来たと知り、少女は父親に抱きついた。
「お父様、ごめんなさい!」
ぎゅうっと力いっぱいに抱きつき、反省の強さを表す。
その様子に父親も目尻が下がった。
笑うと優しそうだ。
「チヒロ、それ」
そして、彼女が手にしていた一本の植物に気付く。
「蛍草よ! ただの蛍草じゃないの! 光る蛍草よ! お母様の思い出のお花!」
「光る、蛍草……あぁ……」
父親は目を瞑り、娘の温もりをしっかりと包み込む。
「その花は……私にとっても、思い出の花だよ」
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