プロポーズはお酒の席で

及川奈津生

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告白はお酒の席で①

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 子供の頃、勉強も運動もそれなりに出来る岡地は優等生ではあったが目立つタイプでは無かった。あまり自分から人と関わろうとせず、「なんで学校で喋らないの」と椎原が聞けば「面倒くさいから」と答えた。物心つく前から一緒にいる椎原には殴り合いの喧嘩をすることもあるくらい自己主張が強かったが、それも岡地の本意ではない。椎原が短気過ぎたのだ。おもちゃを取られては手を出し、ゲームで負けては手を出し。自己主張しなければ自分が一方的にやられると思った結果だった。二人で兄弟のような喧嘩を繰り返して、椎原の方も徐々に力加減や感情との折り合い方を身に着けた頃、その力の向く方向が変わった。

 部活仲間から岡地に対するいじめが始まった。
 
 昔からピッチャーとして才能を見込まれていた椎原、校外の強豪クラブからも声がかかっていたが「俺は岡地と野球したいから」と断っていた。その話に尾ひれが付き、岡地がレギュラーなのは実力ではない、椎原のおかげだと言われ、岡地は周りから無視をされるようになった。岡地は元々人付き合いをしたがらない。チームメイトから無視されたところでどうってことない。椎原も、

「何か最近1人多くない?」
「元々だろ」

 と、岡地に答えられて納得するくらいだ。
 でも道具を隠され、練習中もわざとボールを回さなかったりすると流石に椎原も気付いた。そしてキレた。
 チームメイトを殴った。それも一発や二発じゃない。いじめの主犯格は全治2ヶ月の怪我を負った。やめろもう半殺しだ、と岡地は自分のために暴力を振るう椎原を必死に止めた。

「また同じことしてみろ。これ以上に酷い目に合わせるからな」

 キレ方が尋常じゃない。これ以上ってなんだ、人殺しでもする気か。岡地は野球を辞めた。



「ここらで示談しろってさ、弁護士が」

 換気扇の下で煙草を吸っている岡地に、椎原が相談する。事故死した両親の話だ。事故を起こした加害者に、損害賠償請求していた。

「相手のじいさんの払える範囲超えてもしょうがないって」
「その通りだな」
「その通り?」

 事故の加害者は後期高齢者で、過失致死罪で起訴もされている。そこで刑事罰は裁かれることになる。ところが、民事の損害賠償請求は、相手が任意保険に入っていなかったことで払える額に限界があり、裁判前の段階で揉めに揉めていた。

「分かった風なこと言うなよ、相場よりずっと低いんだぞ」
「知らねぇよ、相手が老い先短いじいさんって事しか分からん」
「でも凶悪犯罪者だ」
「金が欲しいのか?」
「違う、償ってほしいだけだ!」

 理不尽な扱いに、椎原が熱くなる。理不尽な扱いをしているのは岡地ではない、それは分かっている。でも岡地のサバサバとした言い方は、共感性に欠けていた。
 両親の事故は椎原にとって虎の尾だ。それが分かっててもこんな言い方でしか説得出来ないのは、岡地自身もどうかと思っている。「椎原」となだめるように呼ぶ。

「相手はじいさんでこれから刑事裁判もある。刑務所に入ったら生きて出てこねぇかもしれねぇぞ。取れるものだけでも取っておいたらどうだ」

 何も持ってない相手からは取れない。それは椎原にも分かっていた。分かってはいるが、感情は理解を超えてしまう。

「……納得出来ねぇ」

 そう呟いて、椎原はリビングから出ていった。
 岡地は煙草の火を消す。椎原は自分と対面し続けたくなくて出ていったのだろう、廊下に出て顔合わせたら面倒だと考える。自室に戻りたかったが、岡地は珈琲を入れてソファに移動するだけにした。

「おかちぃ」

 椎原が戻ってきた。予想より早過ぎる対面にびっくりする岡地。はああ~と声としてもでかいため息をついて、椎原が岡地の隣に座る。

「示談にした方がいい?」

 椎原はこんなに切り替えが早いやつだったか。
 岡地の記憶では、もっと感情に支配されるやつだったはずだ。

「……さっきからそう言ってる。示談の方がいい」
「う~~~ん」
「お前の好きにしろ」

 岡地がスマホに目を落としていると、ぐりぐりとその肩に椎原が頭をこすりつけて来た。岡地が鬱陶しく思って、椎原の頭を手で押すが、びくともしない。椎原はスポーツマンで今も体を鍛えている、力の差は歴然だ。なんともないようにそのまま岡地にもたれかかってくる。最近やたらと椎原は岡地にくっつきたがる。

「もし裁判になったら岡地も同席して」
「示談しろ」

 そこまでは付き合いきれない。岡地は椎原の体を離すのを諦めた。




「あ、そろそろ岡地主任のお迎えの時間」

 岡地の部下の山浦が時計を見て言う。もうすぐ定時だ。水曜日、野球部の練習がある。岡地がサボらないように椎原が技術部まで迎えに来る。

「岡地さん、旦那さん来ますよー」

 にこにこと慇懃無礼にからかってくる山浦に、岡地は無言の笑顔で返した。

「岡地さんの笑顔怖い、やめてぇ?」
「思ってないだろ」
「いいじゃないですか野球部、とても健全で」
「健全だあ?」
「最近昼休みも夫夫でキャッチボールしちゃってさあ」

 椎原がとにかく会社でも岡地に構ってくる。隙あらばサボろうとする岡地を練習前に迎えに来るのはまだ分かるが、何だかんだと昼休みや定時後も寄ってくる。それが岡地にはとても健全とは思えない。

「岡地さん健康になりましたよね。前はお昼ご飯もしょっちゅう抜いてたでしょ、今の方が顔色良いですよ」

 昼休みに椎原が来れば強制的に作業は中断、昼食を食べることになる。確かにそれは健全だ。岡地は否定できない。岡地は一人だと面倒で食べないことも、そもそも食事の存在自体を忘れることもある。最近よく家で作って食べるようになったのは、美味しいと言ってよく食べる同居人が居るからだ。

「……手懐けたのは俺か」

 山浦に聞こえないように呟く。

「え、何ですか?」
「お前は野球しないのか」

 耳ざとく聞いてきた山浦を誤魔化すため、聞き返した。

「僕やってましたよ、小中高」
「は? まじか、ポジションは?」
「サードやってました。それでこれ自慢なんですけど、僕マジで強肩なんでキャッチャーも少しやったことあってー」
「お前今日練習来い」

 山浦の自慢話を断ち切って岡地が勧誘する。勧誘というより命令に近い。強い口調に山浦が岡地を見る。

「てか何で野球部入らなかったんだ」
「いや~、もういいかなって……でも岡地さん居るなら行こうかなあ」

 二年目の山浦はまだ新人の色が抜けていない。会社に染まり切る前に転職してきた岡地の下につけられた。最初は男と結婚して職場まで追いかけてきた岡地を山浦はイロモノとして見ていたが、新人研修やOJTで教えてもらったことより効率良く仕事をこなす岡地に考えを改めた。他の先輩社員より岡地に懐くのも、時間の問題だった。

「キャッチボール楽しそうだし」

 岡地と椎原が昼休みにキャッチボールしてるのは少し、羨ましい。

「キャッチボール? してやるしてやる。来いよ」
「やった~行こ~!」

 先程まで怖いと言っていた岡地の笑顔に釣られ、山浦は練習に行くことにした。
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