プロポーズはお酒の席で

及川奈津生

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楽しい結婚生活②

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 翌日の岡地は筋肉痛でまた大いにからかわれた。

「次の日に出るなんてまだ若いじゃないか」
「室島さんは何日後に出るんですか?」

 体面を保つのを諦めた岡地が言い返すと、「言うじゃねぇの~」と室島が笑った。営業部と技術部は同じフロアでデスクが離れているだけだ。営業部長の室島は気軽に仕事中も岡地に話しかけるし、喫煙室でも度々一緒になる。からかいのターゲットにされていることに岡地は気づいていた。それもこれも全て野球部と椎原のせいだ。
 それなのに椎原は構いもせず「キャッチャーミット買いに行こう!」と終業後の技術部に岡地を迎えに来た。声がでかい。フロア全体に聞こえた。いやまだ仕事がと岡地が断ろうとしたら「岡地さん、お迎えですよぉ」と部下の山浦がいいから行けと岡地の体を押す。

「夫夫仲良いことは良いことですね」

 山浦は野球部でもないのに、ニコニコしていた。
 急に周りが岡地という人間を理解したように振る舞い、気さくに接してくる。居心地が悪い。一回野球の練習に付き合ったくらいで何だこれは。人よりパーソナルスペースを広めにとっている岡地は落ち着かない。

「野球部じゃないやつにも話しかけられる…」
「うち話好きな人多いからな。昨日の晩飯とか聞かなくても教えてくれるよ」
「興味ねぇ」
「俺んちですか? 俺は岡地と温泉行って食ったんですけど~」
「話広めてんのお前じゃねぇか」

 地方の中小企業だ、人事課の椎原が顔と名前を全員把握できるくらいの人数しかいない。げしげしと岡地の怒りの足蹴りをくらいながら「でもお前はこのくらいが良いと思うよ」と椎原が知った風に言う。

「らしくねぇだろ、好青年とか」

 嫌そうにしている岡地に反して、椎原は嬉しかった。今まで二人で完結していた関係性が明るみになり、外堀が埋められていってる感じがする。結婚というものはそういうものだ。周りに二人の関係性を知らしめるものだ。「馴れ合う必要は無いだろ」と言いつつ、岡地はキャッチャーミットを選ぶ。何だかんだ言いつつ野球辞める気はないんだな~そういうとこだよな~と椎原は岡地を見て思う。俺のためなのかな、と調子に乗る。この間の一件で、椎原は岡地に好かれていることが分かったのだ。

 グローブは買ったら慣らす必要がある。購入したその日から岡地は意識してグラブをはめ、もう片方の手でボールをグラブに投げつけた。捕球を繰り返して型を作るのだ。休日も朝からテレビを見ながらグローブを慣らしてる姿を見て、「キャッチボールしない?」と椎原が誘った。

「河川敷行こう」
「子供が遊んでる中に混じるのか」
「おっさん同士が遊んでてもいいだろ」
「お前は混ざってても違和感ねぇぞ」

 にやりと笑って岡地が椎原の幼稚さを皮肉る。

「そうだな、おっさんは岡地だけだもんなー」
「ああ?」

 言い合いながら家を出た。
 キャッチボールして、たまに岡地に座ってもらって投球して、くだらないこと言い合って、「スーパー寄って帰るか」と切り上げる。めちゃくちゃ良い休日だ、と椎原はニコニコする。スーパーでは当然のように岡地にカゴを持たされ、岡地の後ろをついて回る。「からあげでも作るか」と岡地が肉を選び始めた。

「お前食いたがってただろ」

 何の話だと椎原が聞き返す寸前で、思い出した。
 それは温泉センターでのやりとり。

「え~~~時間差~~~」
「はは」
「量多くね? そんなに食うかな」
「食うだろ、男二人だぞ。乗り気じゃねぇならやめるか」
「余ったら弁当入れていい?」
「弁当までは作らねぇぞ」

 会社での昼食は二人ともいつも買っていくか外食だ。椎原の母親が生きていた頃は、椎原は弁当を持っていっていた。前の日の余りを入れて、ご飯を詰めて、そのくらいは椎原も手伝った。今日もからあげがあるなら、明日は椎原が弁当を用意できる。
 結局からあげは最初から余らせる前提で大量に作ることにした。作ってる最中、椎原が楽しみにし過ぎて

「なんか夕飯からあげと思ったらテンション上がってきた」
「小学生かよ」
「こわっ、煙草吸いながら揚げ物やめて~」
「じゃあお前が揚げろ」

 と、岡地に纏わりついたから一緒に作った。椎原は初めて揚げ物をして、岡地が換気扇に煙草向けながら「下手くそ」と笑った。翌日の弁当は椎原が詰めるだけからあげを詰め込んだ。二人分。

「お、やっぱり愛妻弁当じゃねぇか」

 昼休み、室島が椎原のランチメニューを確かめにわざわざやってくる。

「やっぱり?」
「さっき喫煙所で岡地に会ったんだが、あいついつも外食だろ? 昼休み会うの珍しいからどうしたんだって聞いたら弁当食ったって言うんだよ。愛妻弁当か聞いたら頑なに違うって言うからよお」

 室島は最近、岡地に絡むのがブームだ。曰く、可愛げのない岡地の反応が面白いらしい。

「椎原も同じ弁当食ってんのか見に来た」
「も~、あんま岡地からかわないでくださいよ、後で面倒なんだから」
「からかってるわけじゃねぇよ」

 隣の席にどかっと座り、室島はもうすぐ食べ終わる椎原の弁当を見る。

「微笑ましいじゃねぇか、仲良くて。お前らが野球やってんの見てると懐かしいよ」
「自分の新婚時代思い出してます?」
「いや……高校の連れとかだな。そういう感じだろ?」
「……まあ」

 岡地と椎原は高校の頃、疎遠になっている。だから曖昧に返事をしたが、椎原にも室島の言わんとしてることは分かる。

「楽しいよな、気のおけないダチと一緒に暮らしてるんだからよ」
「そうですね、楽しいです」

 返事をしながら椎原はへらへらと笑う。
 椎原はここ最近、平日も休日も仕事以外では岡地にしか会ってない。他に会う必要がないからだ。岡地だけで十分楽しい。岡地と一緒に暮らすまでって何してたか、もうあまり思い出せない。やっぱり変わらず友達と遊んでいた気はする。でも椎原にも彼女が居たときがあって、彼女を一番に優先していた時期もあったはずだ。

「お前らみたいな結婚もいいかもなあ。羨ましいよ」

 男女で結婚して子供までいる室島に羨ましがられた。

「俺は最近娘からの当たりがきつくてな……」
「思春期ですね~」

 真っ当な結婚をして真っ当なお父さんをやってる室島から、娘を持つ父のよくある愚痴を聞かされた。
 家庭の悩みや事情はそれぞれだが、室島は岡地と椎原の家庭に偏見を持たず、自分と同じ家族の事情だと思っている。それは有り難いことだと椎原は思い、だからこそ室島には何でも言えた。椎原はこの結婚を隠そうとは思ってない。でも室島のように何でもは話せない相手もいる。例えば、自分に想いを寄せてくれている女子社員とか。彼女は、自分に真っ当な恋愛感情を持って来てくれたのに、それよりも岡地を優先したことを、どう思ってるのだろうか。
 同じように、岡地に椎原を優先されてしまった岡地の元カノは?

「……幸せそうですよね、室島さんち」
「そうかあ?」

 幸せとはっきりと言葉で突き付けられると恥ずかしくて、室島はぼかした。それを椎原は追求しない。
 椎原は、室島を羨ましがって言ったわけではない。椎原自身がはっきり思ってるから言ったのだ。
 俺は今幸せだ、と。
 そしてこの幸せが本当に正しいものなのかと。

 
 椎原が家に帰ると、岡地が先に帰っていた。リビングの扉を開けつつ「ただいまぁ」と言うと、ちょうど入れ替わりで岡地はベランダに出た。誰かと電話している。
 仕事の電話なら岡地は部屋の中で、椎原の目の前でする。椎原は玄関に戻り、クロックスを持ってきた。ベランダにはサンダルが一足しかない。一足しかないサンダルを使っている岡地は、ちょうど電話を終え、煙草に火をつけたところだった。椎原もベランダに出ると「おかえり」と煙を吐いた。

「電話、誰?」

 気になって椎原が聞くと、少し間が開く。

「元カノ」

 やっぱりと椎原は思った。何だかそんな気がしていた。

「俺の荷物が出てきて、送るから住所教えろとさ」
「そっか。ここの住所教えた?」
「……教えたけど」
「ふーん」

 知られたくなかったとか、椎原はそんな風に思わないでもない。居場所が分かったら、直接来れる。岡地を連れ戻しに。

「……お前それ、飲まないのか?」
「え? ああ、これ、岡地に」

 黙りこんだ椎原の手に持ってるものを岡地が目線で指す。ずっと手に握り込んでてぬるくなってしまった野菜ジュースだ。指摘されて、椎原は岡地に差し出した。

「昼の弁当、野菜なかったからさ~。あんまりかな? と思って自販機で」
「お前ほんと、肉と飯あるだけ詰め込みやがって」
「やっぱちょっと多かった? 俺まだ腹にいる」
「俺もいる。胸焼けした。夕飯は蕎麦ゆでるぞ」
「いいねー、そのくらいでちょうどいー……」

 椎原は今日、給湯室で弁当箱洗ってる岡地が居たと女子社員に聞いた。偉いですね、岡地さん洗いもの家に持って帰らないんですね、と。そんなこと椎原は思いつきもしなかった。岡地は前に誰かに弁当を作ってもらって、そうしてほしいと言われたんだろうか。岡地の煙草の火はつけたばかりで、まだ吸い終わらない。

「元カノ」

 会話が途切れると、椎原は考えてることが口から出てしまう。

「未練ある?」

 ベランダの手すりに手をかけ、同じようにしている岡地の顔を横から覗き込んだ。

「……無い」
「そうだよな」

 そう答えるだろうな、と椎原は思っていた。
 でもそれが聞きたかった。

「そうだよな、って何だよ。えらく自信あるじゃねぇか」
「自信はねぇよ、俺いますげー落ちてるもん」

 たかが岡地が元カノと電話してたくらいで何だ。椎原は自分で凹んだ原因に納得がいかないでいると、岡地が内容を詰めてきた。
 
「罪悪感か?」
「それもだけど違う」

 元カノに対して罪悪感は変わらずに感じている。でも椎原には、それ以外にもっと膨らんでしまった感情がある。

「最初はさあ、元カノとより戻せるならそっちの方がいいと思ってたんだよ。お前だって俺に彼女作れとか言ってたしさ。でもいま俺每日すげー楽しいし、岡地のこと可愛く見えるときあるし」
「あ? お前それはおかしいだろ、眼科行け」
「行かねぇよ、両目とも2.0だよ」
「2.0は良すぎる」

 眼が悪くても非難され良くても非難され。ふー、と上に向かって煙を吐く岡地の姿はやはり可愛げが無いが、外見の問題ではなかった。

「もう俺はお前がいなくなるのは嫌だよ」

 元カノにとられたくない。
 そう椎原は言うが、岡地は前を向いたまま黙ってる。伝わってない気がして、がっと岡地の肩を組んだ。びっくりして岡地が椎原の方を向く。顔が近い。この距離ならきっと伝わる。

「元カノとより戻すな」
「……未練ないって言ってんだろ」
「俺も彼女作らない」
「そうか、勝手にしろ」
「岡地も作るなよ」
「は?」

 ここまで言われて、岡地は椎原の話している内容をようやく本当に理解し始めた。これはやばいと焦り始める。真っ直ぐに自分を見つめる椎原の瞳が本気で、怖かった。

「もう俺は、お前だけでいい」

 一生。椎原はその期間を言わず飲み込んだが、岡地には伝わった。
 それは長過ぎる。
 結婚というものがそれを保証するシステムだったとしても、岡地に他の女性との未来や結婚願望が無かったとしても、椎原と一生を添い遂げるかどうかは、別の話だった。
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