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アリエスの女 始まりの章

1 牡羊座 一洋 真帆(いちよう まほ) エアロビクスインストラクター

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「今日はここまでにします」

 星占いの講座を終えて僕は一礼し教壇を降りた。十名ほどの生徒たちもガタガタと椅子から立ち上がり身支度を始めている。

「緋月先生」

 廊下に出ると後ろから力強い明るい声がかかったので振り向くと意志の強そうな眉と美しい額を見せた二十代後半くらいのスポーティな女性が立っていた。肩まであるだろうウエーブした明るい色の髪を赤いサテン地のシュシュでひっつめている。服装も彼女によく似合うぴっちりしたオレンジ色のタンクトップと膝下までの白のパンツは綺麗な身体のラインをありのままに見せている。

「えーっと……」

名前が出てこずぼんやりしていると「一洋真帆です」と、彼女からくっきりした声で教えられた。

「ああ。一洋さんだったね。どうかしました?」

瞼が伏せられ、くっきりしたアイラインが見える。

「あの、今度個人鑑定をしていただきたいんですが、いかがでしょうか」
「鑑定?もうここで占いの勉強して長くなるでしょ。自分じゃできない?」

僕はいわゆる占い師というやつで若いころは書籍やらメディア出演やらで占いブームの波にも乗っており、そこそこ脚光を浴びていた。ただ十年も派手な生活の中で『先生』と呼ばれちやほやされているうちに本来の『読む』能力を失くしつつあった。自分の占いが当たらなくなってきたことを周囲から感じさせられ完全に沈没する前に静岡の田舎へ引っ込み、こうしてカルチャースクールで占いの講師をしている。

「なんていうか。性格とか職業とかそういうのじゃなくて」

まともに顔を上げずに言い辛そうにしている彼女に「身体のこと?」と、僕は尋ねた。
真帆は少し頬を染めコクリと頷いた。
 昔からこういう言い難い相談内容と言うのはセックスに関することなのだ。性に関してもう随分とオープンな時代になっているというのにまだまだ女性にはデリケートで複雑な、そして人と共有しづらい内容なのだ。

「ここではちょっと言いにくいのですけど」
「いいよ。夜は講義が他でもあるから無理だけど、昼間なら予約を入れてくれたら空けておくよ」
「ほんとですか。えーっと……」

 彼女はブラウンのスケジュール張を布のトートバッグから取り出し、目をせわしなく左右に泳がせる。

「今週、金曜日の十時とかどうでしょうか」
「金曜、十時ね。大丈夫。ところで鑑定は僕の家でやるんだけど場所分かる?ちょっと山深いんだ」
「はい。サイトで確認しました。たどり着けると思います」

 彼女は少しほっとしたような柔らかい笑顔を見せた。

「じゃ、金曜に。迷ったら電話して」

 頭を下げる彼女に軽く手を振って僕は立ち去った。

 約束の当日の朝、日課の山歩きを終えてパソコンの前に座り一洋真帆のデータをチェックした。彼女は星占い教室の生徒で住所と電話番号、生年月日と職業が生徒名簿に書いてある。

 僕が受け持つ占いの講座は県内に三ヶ所のカルチャースクールで行われておりこのF市では一番古く五年間教え続けている。生徒は大抵二、三年ほどでこのスクールを去る。一洋真帆は今年で二年目に入るはずだ。
僕は人の顔と名前を一致させて覚えるのが苦手だが星座と名前を一致させると容易に覚えられる。
一洋真帆は牡羊座だ。今度から生徒に星座名を記した名札をつけてもらおうかと思案していると車が駐車される音が聞こえた。時計を見ると九時四十分だ。やはりせっかちなのだろうと思いながら僕は外に出向いた。

 真帆は赤いスポーツカーの中で腕時計とにらめっこしている。僕に気づいたようで車から降りてきた。

「あ、緋月先生。おはようございます。少し早く来てしまって」
「いいんだ。じゃ、あがりなさい」
「はい。ありがとうございます」

 彼女は降ろして綺麗に巻いた髪に大きな白い花柄の赤いワンピースを着ていて、新緑の中で目立つ花のように明るい。深い森の中が活力を見出したような空間に感じられる。

「速そうな車だね」
「ええ。コンパクトで速いんです」

嬉しそうに答えて彼女は家に入った。

彼女を鑑定室に案内し座らせた。無垢の丸いテーブルを眺めながら部屋を見渡している。

「ログハウスだったんですね。なんかイメージと全然違っててびっくりです。先生はどっちかっていうとマンションとかビルのイメージですもんね」
「んー。前はそうだったけどね。歳をとるとなんだか箱に閉じ込められているようで疲れるんだ。もともと空を眺めるのが好きな性質だからね」
「ああ。それで星占いの先生なんだ」

感心しながら真帆は私僕を見つめた。率直で物おじしない彼女は裏を持っていないようで鑑定しやすそうだ。

「じゃ、相談内容を教えてもらおうか」

はっとしたように緊張した空気が流れ真帆は一口コーヒーを啜ってから話し始めた。

「恋愛相談ぽいかもしれないんですけど、あの、ワタシ、いつも体の関係を持つと一ヶ月くらいでレスになってそのまま半年くらいなんにもなくなって自然消滅してしまうんです。一応ワタシから頑張って連絡とるんですけど、相手はあんまり構ってくれなくて、それでこっちももういいやって感じで終わるんです。もうこのパターン三回なんです。」

はあっと大きなため息をついて真帆は白いコーヒーカップの中を覗き込んでいる。俯きながら続けて話す。

「今、好きな人がいるんです。アプローチしたいけどまた同じことになったらどうしようって……。ワタシ、付き合うまではテンポいいんですよ。告白すればだいたいオッケーもらえるし」
「なるほどね。それでセックスに問題があると思ってるんだね」
「そうです」

少し顔を上げて恥ずかし気に頷いた。

パソコンのソフトを使って自動計算で彼女のホロスコープを作成しまず解説を始める。彼女は行動力があり目標に向かって素直に行動をとれるアグレッシブな性格だ。活力もあり明るく開放的な魅力はぱっと人目を惹く。彼女が就いているエアロビクスのインストラクターという職業はまさに天職だろう。男性にとても彼女はとても快活で魅力的だ。健康的な色気があり求められると応じずにはいられないだろう。ただ残念なことは彼女の好む男性のタイプが今どきの草食男子であるということ。きっと身体を重ねたときに男たちは彼女に好戦的な快感への達成目標を掲げられおののいてしまうのだろう。

「だいたい分かってるんでしょ?もう勉強して二年目だし」
「うーん。そうですねえ。なんとなくですけど。だけどどうも納得いかないんです。だって……男の人も気持ちいいはずです。あの、ちゃんと……イってるし。私もサービス結構してるんですよ」
「まあ射精すれば快感を得られてると言ってもいいかもしれないけどね。でも案外、男もデリケートなんだよ。特に今どきの若い男の子はね。草食と言えども男でいたいものだからさ」
「先生の世代のほうが肉食男子ですよね」
「もう四十半ばだから男子って言われ方も恥ずかしいけど、確かに今の若い子よりは僕らの世代のほうが性欲強いほうだろうね」

真帆は真剣にパソコンの画面に映し出された自分のホロスコープを眺めている。

「もう少し男に主導権を握らせてあげなさい。たとえ自分がその状況を操作していても、それを悟られないように。君は利口だから出来るはずだよ。せめて初めてのセックスは」

彼女は僕の言葉と一緒に生唾を飲み込むようにゴクリと喉を鳴らした。

「先生……。ワタシ……。セックス鑑定受けたいんです」
「え……。どこでそれを」

 僕が占星術界の第一線から退いたのもそのことが大きな理由だった。十年前、僕が女性の性の悩みに答えるという深夜のラジオ番組の内容はかなりきわどかった。大抵は夫とのセックスレスに悩むことへのアドヴァイスだったが、ある一人の女性が僕との性交渉で不感症が治ったと雑誌に吹聴し、噂の一人歩きが僕を性の伝道者のように祭り上げてしまった。全くのでたらめだったが人気の絶頂だった僕への同業者からのやっかみなども手伝い、相談者を食い散らかすとまで業界で囁かれるようになってしまった。
そうなってやっと僕は自分が占星術家の道から外れてきていることに気づき、痛手をこうむりながらも完全に星から離れることが出来ず、今に至っている。

「この前、実家の片付けを手伝ったんです。その時にすごく古い週刊誌が出てきて表紙に『緋月星樹のセックス鑑定』って書かれてあったから読んだんです」
「事実無根なんだ」
「ええ。先生がそんなことしないのは分かってます。だけど出来るんじゃないんですか?この……セックス鑑定」
「できなくはないと思うけどね。そういうことはしない方がいい。第一君は今好きな男がいてその彼とうまくいきたいんだろう?」
「そうですけど。まだ付き合ってるわけじゃないですし。鑑定としてお願いしてるんです。ワタシを抱いて鑑定してもらえませんか?」
「だめだめ。もう今日は帰りなさい。またスクールで」

強固な態度に彼女はあきらめの表情を見せたが「またお願いに上がります」と強い意志を眉頭にこめて席を立った。
 彼女の速い赤い車を見送って僕はため息をついた。――諦めてくれればいいのだけれど。
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