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43 回想

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「おかえりなさいませ、珠子さん」

「ただいまぁ、キヨさん」

「こんなに……お酔いになって……」

「大丈夫よ。頭ははっきりしてるから、もう寝るわ……」

「ええ、もう床の用意はできていますから……」



『カフェー アメリカ』に勤め始めて珠子は酒を飲んで帰宅することが増えた。

帰りも遅く、帰宅時にはもう吉弘は眠っており、朝は吉弘が学校に行ってしまってからの起床なのですれ違ってしまっている。



 化粧が派手になり品のよい市松人形のようだった珠子は、まるでうわさに聞く街娼のようだ。

キヨは毎晩、珠子の濃い化粧をしたまま眠りについてしまう寝顔を見ながら涙を流した。

(珠子さま……)





――今までの人生を振り返る。



 キヨは貧しい小作の一番末娘で家族からは持て余されてきた。

そんな折に藤井家からの妾の話が来たときは家族中が喜び、キヨの意思などお構いなく藤井家に出した。

彼女も家族から疎まれるよりはましだと思い、たとえ子供を産むだけの存在だとしても良しとして話を受ける。



 つらいとも悲しいとも嬉しくも何もない感情でやってきたが文弘を一目見て恋をした。

身近な男たちとは違ってまるで夢の中の様な人物だった。

手を触れることが出来ない砂糖菓子の様な、触れると溶けてしまうような美しい文弘の子を産めると思ったときに、初めて生きてきてよかったと思った。



 そして文弘の子を身ごもった時、珠子への優越感が沸いた。――そのことが今でもキヨに罪悪感を呼び覚ます。

 珠子は妾のキヨを蔑むことも憎むこともせず静かに見守ってくれていた。

吉弘を眩しそうに見つめ、キヨを素直に羨んでいる様子だった。
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