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第一部
11 デート
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早朝、大友のほうが先に目覚めたが、隣の緋紗はぐっすり眠っている。――前もよく寝てたな。
笑いながらベッドを降り、シャワーでも浴びようかと思ったが洗い流してしまうのが惜しい気がしてやめた。
とりあえずアンダーシャツを着て、グレーのチノパンを履きモスグリーンのハイネックのニットを着たが寒くないのでまた脱いだ。――ここはどのあたりだろう。
タブレットを取り出してこのホテルを検索してみると、駅からもこの前に行った美術館にも近いようだ。
場所も把握できたので閉じて緋紗が起きるまでこれからのことを少し考えることにした。
「んー」
緋紗も目が覚めたようでシーツの中で伸びをしているらしい。
そして突然がばっと起き、ソファーで座っている大友を見つけて安堵し、また急いで身体にシーツをかけた。
「おはよう」
大友が声をかけると緋紗は恥ずかしげな顔で、「おはようございます」と、小さな低めの声で言う。
緋紗が起きたので大友は髭を剃りに洗面台のほうへ向かった。
緋紗はベッドを降りトートバッグに入れて持ってきた服を取り出して素早く着る。
「支度が早いね」
「まあ、そうですね」
「モーニングサービスがあったから頼んでおいたよ」
「あ、ありがとうございます」
「まだゆっくりできる?」
時間を見ると七時だ。
「ええ。大友さんはもう帰るんですか?」
大友はソファーで横たわったまま近づいて聞く緋紗の手を引っ張り、自分の身体の上に乗せ「まだ帰りたくないな」ぽつりと言い恋人の様に抱きしめた。
今朝はまだ香水をつけていないのか、彼から木のような香りがしない。
昨日二人で使ったソープの柑橘系の甘酸っぱい香りがする。
お揃いの香りを楽しんでいるとどこからかガタっと音がした。
備え付けられたボックスに朝食が届いたらしい。
人に会わなくて済むことに緋紗は感心した。
「また午後には帰るんだけどそれまで一緒にいられる?」
「あの。また嫌じゃなかったら美術館行きませんか?」
「この前の?」
「いえ。今度はまた別の美術館で『古代ギリシャ展』をやってるんです」
「そうなんだ。いいよ。ギリシャは好きだから」
――よかった。全く岡山らしくないけど……。
自分の好みばかり押し付けているとは思ったが、こういう関係でデートと言っても何をしたらよいのかやっぱりわからず、かといってすぐ離れるのが寂しかったので一応、計画しておいたのだ。
「このホテルは駅に近い場所みたいだね。さっき調べたんだけど」
タブレットを出してさっきのマップを見せた。
「ああ、こんなところなんだ。美術館もすぐそこです」
「前に行った美術館と近いんだね」
大友は把握できたのでタブレットを閉じてニットを着た。
――あ、ハイネックがお揃いだ。モスグリーンがよく似合ってる。
緋紗はラブホテルから堂々と出るのもちょっとどうなのかなと思ったが、キョロキョロすることもないので努めて普通にしていた。
幸い誰にも会わなかった。
「こっちだね」
土地勘がないはずなのに大友はどんどん歩き、迷わず最短距離で目指す美術館に到着する。
「近かったね」
「ほんとにこんなに近かったんだ」
「入ろうか。時間もちょうど良さそうだ」
「はい。あ、入場券はもうありますから」
「ありがとう」
美術館に入るとまず小さな出土品に出迎えられた。
金貨や銀貨が鈍い光を放っている。
「この頃って日本何してたんですかね」
――紀元前五百年も前。
「縄文時代が長いからね。」
大友は黒いヘラクレスが描かれた赤茶色の壷を見ている。
「ヘラクレス好きなんですか?」
「子供のころに昆虫展で見たヘラクレスオオカブトがすごくかっこいいと思ったんだ。しかも『ヘラクレスの栄光』ってゲームも流行っていて強さの代名詞のようだったんだよね。それでヘラクレスをなんとなく調べるとギリシャ神話に行きついて。ちょっと憧れたけど自分とは全然違うなあと思って親しみは持てなかったかな」
「大友さんはヘラクレスよりオデュッセウスが似合ってるかな」
「うーん。本当にどちらかと言えばだね」
照れ臭そうに大友は言った。
緋紗は唐突に、「オデュッセウスのベッドの話知ってますか?」と、聞いた。
「うん。確か生えているオリーブの大木をそのまま使って作った動かせないベッドの話だよね」
「生きてる木のベッドなんていい香りがするんでしょうね」
「丈夫で長持ちしそうだよね」
現実的な大友に緋紗は笑った。
「もう帰る時間だな」
「あの――また会えますか?」
「正月って休みある?」
「ええ。一応今年は一週間くらいある予定です」
「僕は毎年、年末年始にペンションを手伝っているんだ。一緒に来ない?静岡だけど」
「え。そんなところに一緒に行っていいんですか?」
「うん。まあ人手不足ってやつでね。年末年始だけちょっと忙しいんだ。いつも誰かいないのかって聞かれるんだ」
誘われる内容に疑問も多少残るがまた大友と過ごしたいと思い「私も行きます」と、返事した。
「親御さんは平気?お正月に帰らないで心配しない?」
「もう……いい歳なので正月に帰らないからって心配はさすがにしないです」
「そういえばひさちゃんは歳いくつ?」
「二十七です。なのでちゃん付けはよしてください」
幼く見えていたのだろうか。大友が意外だという顔をしていた。
「呼び捨てでいいです。大友さんは何歳なんですか?」
「三十二だよ」
年齢を知ると態度は落ち着いているが、肉体にはまだまだ疲弊感がない若さがあるし、話す内容も自分の世代とかけ離れてはいないと思った。
イメージと違って歳が近いことになんとなく距離感が縮まる気がする。
どうやらお互いに十歳くらいの差を感じていたらしい。
「直樹でいいよ」
緋紗は心の中で名前を呼ぶ練習をしてみる。
「じゃ。ひさ。連絡先教えてくれる?これは僕の」
手書きで番号を書き足された名刺を渡され、咳払いをしながら緋紗は訊ねた。
「あの。な、直樹、さん、どうしたらいいですか?お休みに入ったら」
「休みが決まったら教えてくれる?ああ、そうだ。住所も教えてくれないかな。新幹線のチケット送るよ」
「え。いいです。自分でそれくらいいけます」
「いいんだよ。一応これバイトだと思って。旅費も宿泊費も先方持ちだから」
「そうなんですか」
バイトの誘いに複雑な気分がしたが行く決心を固めた。
「じゃ、僕は帰るよ。ひさは?」
呼び捨てにされるとドキドキする。
「私も帰ります」
「次に会えるのを楽しみにしているよ」
後姿を見送って緋紗も備前に帰ることにした。
笑いながらベッドを降り、シャワーでも浴びようかと思ったが洗い流してしまうのが惜しい気がしてやめた。
とりあえずアンダーシャツを着て、グレーのチノパンを履きモスグリーンのハイネックのニットを着たが寒くないのでまた脱いだ。――ここはどのあたりだろう。
タブレットを取り出してこのホテルを検索してみると、駅からもこの前に行った美術館にも近いようだ。
場所も把握できたので閉じて緋紗が起きるまでこれからのことを少し考えることにした。
「んー」
緋紗も目が覚めたようでシーツの中で伸びをしているらしい。
そして突然がばっと起き、ソファーで座っている大友を見つけて安堵し、また急いで身体にシーツをかけた。
「おはよう」
大友が声をかけると緋紗は恥ずかしげな顔で、「おはようございます」と、小さな低めの声で言う。
緋紗が起きたので大友は髭を剃りに洗面台のほうへ向かった。
緋紗はベッドを降りトートバッグに入れて持ってきた服を取り出して素早く着る。
「支度が早いね」
「まあ、そうですね」
「モーニングサービスがあったから頼んでおいたよ」
「あ、ありがとうございます」
「まだゆっくりできる?」
時間を見ると七時だ。
「ええ。大友さんはもう帰るんですか?」
大友はソファーで横たわったまま近づいて聞く緋紗の手を引っ張り、自分の身体の上に乗せ「まだ帰りたくないな」ぽつりと言い恋人の様に抱きしめた。
今朝はまだ香水をつけていないのか、彼から木のような香りがしない。
昨日二人で使ったソープの柑橘系の甘酸っぱい香りがする。
お揃いの香りを楽しんでいるとどこからかガタっと音がした。
備え付けられたボックスに朝食が届いたらしい。
人に会わなくて済むことに緋紗は感心した。
「また午後には帰るんだけどそれまで一緒にいられる?」
「あの。また嫌じゃなかったら美術館行きませんか?」
「この前の?」
「いえ。今度はまた別の美術館で『古代ギリシャ展』をやってるんです」
「そうなんだ。いいよ。ギリシャは好きだから」
――よかった。全く岡山らしくないけど……。
自分の好みばかり押し付けているとは思ったが、こういう関係でデートと言っても何をしたらよいのかやっぱりわからず、かといってすぐ離れるのが寂しかったので一応、計画しておいたのだ。
「このホテルは駅に近い場所みたいだね。さっき調べたんだけど」
タブレットを出してさっきのマップを見せた。
「ああ、こんなところなんだ。美術館もすぐそこです」
「前に行った美術館と近いんだね」
大友は把握できたのでタブレットを閉じてニットを着た。
――あ、ハイネックがお揃いだ。モスグリーンがよく似合ってる。
緋紗はラブホテルから堂々と出るのもちょっとどうなのかなと思ったが、キョロキョロすることもないので努めて普通にしていた。
幸い誰にも会わなかった。
「こっちだね」
土地勘がないはずなのに大友はどんどん歩き、迷わず最短距離で目指す美術館に到着する。
「近かったね」
「ほんとにこんなに近かったんだ」
「入ろうか。時間もちょうど良さそうだ」
「はい。あ、入場券はもうありますから」
「ありがとう」
美術館に入るとまず小さな出土品に出迎えられた。
金貨や銀貨が鈍い光を放っている。
「この頃って日本何してたんですかね」
――紀元前五百年も前。
「縄文時代が長いからね。」
大友は黒いヘラクレスが描かれた赤茶色の壷を見ている。
「ヘラクレス好きなんですか?」
「子供のころに昆虫展で見たヘラクレスオオカブトがすごくかっこいいと思ったんだ。しかも『ヘラクレスの栄光』ってゲームも流行っていて強さの代名詞のようだったんだよね。それでヘラクレスをなんとなく調べるとギリシャ神話に行きついて。ちょっと憧れたけど自分とは全然違うなあと思って親しみは持てなかったかな」
「大友さんはヘラクレスよりオデュッセウスが似合ってるかな」
「うーん。本当にどちらかと言えばだね」
照れ臭そうに大友は言った。
緋紗は唐突に、「オデュッセウスのベッドの話知ってますか?」と、聞いた。
「うん。確か生えているオリーブの大木をそのまま使って作った動かせないベッドの話だよね」
「生きてる木のベッドなんていい香りがするんでしょうね」
「丈夫で長持ちしそうだよね」
現実的な大友に緋紗は笑った。
「もう帰る時間だな」
「あの――また会えますか?」
「正月って休みある?」
「ええ。一応今年は一週間くらいある予定です」
「僕は毎年、年末年始にペンションを手伝っているんだ。一緒に来ない?静岡だけど」
「え。そんなところに一緒に行っていいんですか?」
「うん。まあ人手不足ってやつでね。年末年始だけちょっと忙しいんだ。いつも誰かいないのかって聞かれるんだ」
誘われる内容に疑問も多少残るがまた大友と過ごしたいと思い「私も行きます」と、返事した。
「親御さんは平気?お正月に帰らないで心配しない?」
「もう……いい歳なので正月に帰らないからって心配はさすがにしないです」
「そういえばひさちゃんは歳いくつ?」
「二十七です。なのでちゃん付けはよしてください」
幼く見えていたのだろうか。大友が意外だという顔をしていた。
「呼び捨てでいいです。大友さんは何歳なんですか?」
「三十二だよ」
年齢を知ると態度は落ち着いているが、肉体にはまだまだ疲弊感がない若さがあるし、話す内容も自分の世代とかけ離れてはいないと思った。
イメージと違って歳が近いことになんとなく距離感が縮まる気がする。
どうやらお互いに十歳くらいの差を感じていたらしい。
「直樹でいいよ」
緋紗は心の中で名前を呼ぶ練習をしてみる。
「じゃ。ひさ。連絡先教えてくれる?これは僕の」
手書きで番号を書き足された名刺を渡され、咳払いをしながら緋紗は訊ねた。
「あの。な、直樹、さん、どうしたらいいですか?お休みに入ったら」
「休みが決まったら教えてくれる?ああ、そうだ。住所も教えてくれないかな。新幹線のチケット送るよ」
「え。いいです。自分でそれくらいいけます」
「いいんだよ。一応これバイトだと思って。旅費も宿泊費も先方持ちだから」
「そうなんですか」
バイトの誘いに複雑な気分がしたが行く決心を固めた。
「じゃ、僕は帰るよ。ひさは?」
呼び捨てにされるとドキドキする。
「私も帰ります」
「次に会えるのを楽しみにしているよ」
後姿を見送って緋紗も備前に帰ることにした。
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