鳴らないシャッター

秋野 圭

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鳴らないシャッター

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「あ、またあんた! そんな大雑把に…」

 妻である彼女は俺の掃除の仕方に満足できないのか、ため息を吐いた。

「どうしてあんたはいっつもそう、乱暴なんやろうね。それじゃあ埃が余計に飛ぶだけで、細かいところは全然汚れとれてへんやろう」

 大晦日―――それは大掃除の日だ。
 普段なら平日の多忙さで休日のぐうたらした姿は大目に見てもらっているが、この日だけはそんな甘い許しは得られなかった。妻曰く”大雑把”な俺はへぇへぇ、と眉根を寄せて不満を漏らす。

「ちゃんとやってんだろう。別にそんな変わらねぇって」

 妻は首をふりながら「そんなんやからあかん」と、俺が手にしていたカメラを奪い去った。
 古いフィルムカメラだった。所々傷ついており、シャッターを押しても音を鳴らさないそれはハッキリ言って壊れていた。俺は妻からそのカメラを取り戻そうと手を伸ばしたが、彼女はスタスタと俺から離れて逃げて行ってしまった。

「あんたもかわいそうになぁ。あんな奴にぺんぺん叩かれて……あんたは他のことやっといて。私がこれするから」

 なんだよ、と俺は肩を竦める。なんだかつまらない―――とてもつまらなかった。
 その時、背後でくすくすと笑う小さな声が聞こえた。振り返ると、扉の影に隠れて、息子が廊下から覗き込むように俺を見ながら笑っていた。普段は偉そうにふんぞり返っている父親が、母親に情けなく責められている様子がさぞおかしかったのだろう。その気持ちはわからないでもない俺は息子を叱る気も起きず、「お前は自分の掃除をしてろ」と顎で命令することしかできなかった。
 はーい、と息子が足音を立てながら廊下を走り去るのを聞きながら、俺はカメラに布を当てる妻を見た。
 大事そうに、愛おしそうに彼女はカメラを抱いている。

「もう、使えねぇだろう。それ」

 俺は壁に凭れ掛かって妻の様子を眺めた。

「別にええよ。あるだけで」

 妻は俺の方を見ずに、カメラを真剣に磨く。
 それは、妻の父親が使っていたカメラだった。相当カメラに凝っていたらしく、彼はいくつもレンズを持っていた。そのレンズの大半は今もこの家に残っている。俺は何度も捨てようとしたが、妻はそれを許さなかった。
 ろくでもない男だった。俺と妻との結婚には最後まで反対していた―――それはいい。しかし酒癖が悪く、すぐに殴る、蹴るで暴力がひどかった。それに浮気性で妻の母親とは離婚していた。俺に会えばぐちぐちとケチばかりで嫌な奴だった。
 そんな嫌な男が死ぬ間際まで持っていたのが、妻が握るカメラだった。
 カメラの主は山奥の崖下で見つかった。詳しい経緯は分からないが、崖から落ちたのは明白だろう。
 山の奥で鳥を撮影していたのかもしれない。カメラに夢中で足元が覚束なかったのかもしれない。年齢も七十代を越えていたから、ただの不注意だったのかもしれない。
 葬式の日、妻は父親を「クソ野郎」と罵った。確かにあの男は最低最悪の人間だった。

「…………」

 だけど、妻は決してカメラを捨てようとはしなかった。
 妻の長い人生の中で、父親とはどういった存在だったのか、俺にはわからない。
 俺の知る限りはひどい人だった。
 だけど、妻が幼少期はどうだったのだろうか。あのカメラで小さな妻を撮ったりしたのだろうか。
 妻は俺には語らない。
 俺は壁に凭れ掛かりながら、妻の横顔を見る。決して俺には見せない表情がそこにあった。
 たぶん、その表情が俺を見ることはきっとない。
 それが―――どういうわけか無性に悔しかった。

「ほら、休んでないで手を動かせっ! 終わったら年越しそば作るから」

 こちらに気づいた妻が檄を飛ばした。俺はそれに苦笑いしながら、部屋の掃除の続きに取り掛かった。
 カメラを捨てる予定は、ない。
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