笑わない魔法使いの異世界見聞録

黒砂糖

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修行

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「師匠。起きてください。時間です」

 小鳥のさえずりが知らせる、のどかな朝。
 町外れにある魔女の住む小さな家、寝室のベッドに籠る人物を起こそうとする銀髪の少女。

「んー……あと五分……」

「五分前にも同じことを仰られました」

 ベッドの人物、魔女のアリサは朝に弱い。いくら揺すっても布団を離そうとしない。
 師匠の言い付けを必ず守る少女は、言うことを聞く。

「わかりました。あと五分ですね」

「んー……」

 揺するのを止め、ベッドの横に正座する。本当に五分寝かせるようだ。
 そんな様子を見ていた者がいる。背後の棚から黒い何かが降りてきた。

「おいおいオルティア。毎朝それの繰り返しだな」

「イクス。おはようございます」

 話かけられた少女……オルティアは振り返る。

 その発言の主は小さく黒い猫。猫が喋っているのだ。
 その喋る猫、イクスはその可愛らしい見た目に似つかわしくない低めの声でオルティアを諭す。

「こういう奴は起きないくせに寝過ごすと怒るからな。ちょっとは痛い目に合わせねーと」

 にひひと、いたずらっぽく笑うと、しなやかな動きでベッド上の布団の塊に乗る。

「最後のチャンスだ。おい起きろアリサ」

「まだ五分経ってない……」

 言葉だけでは起きないことを知っている彼は、やれやれと嘆息する。まぁ最初からわかっていたのだが。
 イクスは布団の顔がある辺りに潜りこむ。もぞもぞと布団の中を膨らみが移動する。あるところで止まり、そして。

 ガリッ


「アイヤァアアァァァァ!?」

 魔女の絶叫が響く。






「ひどいわ! 女の顔を切りつけるなんて男としてどうなの!?」

 飛び起きるなり、犯人であるイクスに怒りをぶつけるアリサ。
 それに対し知らん顔のイクスは、

「どーせ魔法で再生すっからいいだろ」

 と、溜息混じりに返答する。
 イクスは彼女の頬を一回引っ掻いただけだ。アリサの右頬には三本の赤い線が走っている。

「まーそうだけど」

 そういうとその傷は端から塞がっていき、徐々に短かくなり、やがて完全に消えてしまった。
 アリサは魔法使いだ。アリサほどの魔法使いならばこんな傷を治すのは容易い。
 明るい毛色とグラマラスなスタイルを揺らし、人懐っこそうな顔つきで笑う様は妙齢の女性でしかないが、その歳は三桁を優に越えるという。
 彼女は魔法使いとしては優秀だが、生活態度が絶望的に悪かった。

「だいたいオルティアが真似したらどうすんのよ!」

「毎朝すぐ起きれるな。ってオルティアはどこだ?」

 先程まで正座していたオルティアはどこかに消えていた。

「切り傷は起床に有効みたいなので、イクスのように毎朝しようかと思います」

 発言者はすぐに戻ってきた。ドアを開け、部屋に入る。その手には包丁が握られていた。
 包丁をアリサに見せる。その瞳には何の感情もない。冗談など言わない彼女は、こうなると必ず実行する。

「あ、いや、それだけは勘弁してオルティア……」

 半ば涙声でアリサはベッドの上で土下座する。それを見ていたイクスも恐怖で小さな体を震えさえている。

「包丁じゃだめですか。鋏なら……」

 ずれた反応を示すオルティア。今度からしっかり起きよう。そう誓ったアリサだった。




………………




「師匠。用事とは何ですか?」

 正座で師匠と向きあうオルティア。その表情は何も感情がなく、何を考えているかわからない。

 この少女はオルティア。アリサが助けた子供。アリサが気に入り、そのまま弟子にしてしまった。記憶がないらしく、当時は名前はおろか、言葉すら話せない状態だった。
 拾って数年経つが、一切笑わず、一切泣かず、一切怒らず。オルティアには何故か感情がなかった。比喩ではなく実際に。

 言葉と魔法を教えたのはアリサ。感情がないせいか、言うことをよく聞く。アリサがやらない炊事、洗濯、掃除等の雑用は、本から得た知識を元に完璧にこなす。苦言の一つも漏らさない。

 出会った当初はくすんだ灰色だった汚い髪は、念入りな洗髪を経て、見事なまでに輝く銀髪であることが判明し、色の薄い灰色の瞳は何の感情も宿さない。誰もが美しいと感じる顔立ちは絶妙なバランスで構成されている。
 一言でいうと、すさまじい美少女だったのだ。成長して美しさに更に磨きが掛かっている。
 初めて素顔を見たアリサも思わず目を見開いていた。オルティアの謎は深まるばかりだ。

「どーせ面倒なこと思いついたんだろ」

 呆れ声の黒猫、イクス。見た目通り喋る猫だ。アリサの家に住まわしてもらっている。本人曰く元人間で、ある呪いのせいでこの姿になってしまったという。

「ええ、唐突なんだけど」

 先程の人懐っこい表情から、一転。きりりと引き締まった表情に切り換え、オルティアを見つめ返す。オルティアも黙って次の言葉を待つ。その口から出された言葉は、本当に唐突だった。
 

「旅に出てなさい。これは修行よ」
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