叫べ、まだ終わりじゃない

おくなみ

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叫んだのは、あなただけだった

壊れたままの帰り道

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ライブハウス「GATE」の裏口。
 機材を詰めたソフトケースを背負い、足を引きずるようにして外へ出た。
 夜風が顔を撫でる。春だというのに、やけに冷たかった。

 控室で挨拶もせずに出てきた。
 誰にも「お疲れ」と言われなかったし、誰に言う気も起きなかった。
 フロアにいた観客の表情は、記憶に残っていない。
 ただ、自分の声が最後まで震えていたことだけは、はっきりと覚えている。

 音は、鳴っていた。
 でも、響いてはいなかった。
 それが、すべてだった。

 駅に向かう途中、スマホを開いて通知を確認する。
 LINEはゼロ。SNSにもタグ付きの投稿はない。
 演者でありながら、誰のストーリーにも映っていない現実。

 足取りが重い。
 ギターの重さよりも、心の方がずっと重い。

 改札を抜け、終電間際の車内に乗り込む。
 スーツ姿のサラリーマン、居眠りする学生、スマホをいじるカップル。
 俺だけが、時間から外れた場所にいるような気がした。

 窓に映る自分の顔を見たくなくて、下を向いた。

 ライブは終わった。
 けれど、何ひとつ報われた感じはなかった。
 むしろ、何かが「正式に終わった」ような気さえした。

 美咲の姿がなかった客席。
 何も言わず、何も聞かず、ただ“いない”という事実だけを突きつけてくる。

 「……帰りたくねぇな」
 小さくつぶやいた言葉が、誰にも届くことなく消えていった。

駅を出ると、地面が濡れていた。
 雨はすでに上がっていたが、舗道には水たまりが残り、
 街灯の光がにじんでいた。

 歩き慣れたはずの帰り道が、今日はやけに遠く感じる。
 どこを見ても、ライブの余韻なんてなかった。
 むしろ、余韻を持つだけの“何か”を、自分は何ひとつ出せなかった。

 コンビニの前で、何の目的もなく立ち止まる。
 疲れた体を引きずって、自動ドアをくぐる。
 あたたかい店内の空気に包まれても、心までは温まらなかった。

 ペットボトルのお茶を1本、レジに持っていくと、
 若い女性店員が笑顔で「ライブ帰りですか?」と聞いてきた。

 「……はい」
 それだけ答えて、会計を済ませた。

 「頑張ってくださいね」
 その声は明るかった。でも、心には届かなかった。
 頑張るって、何をだ。
 終わったライブか? もういない彼女か? 壊れたバンドか?

 コンビニを出て、缶をひとつ蹴るように歩き出す。
 ギターケースが肩に重くのしかかる。
 今まで、これを背負って歩くときはどこか誇らしかったのに。
 今日はただの負荷だった。

 信号待ち。赤信号の下で立ち止まっていると、
 ふと、前方に見覚えのある姿が目に入った。

 ――藤原、だった。

 テンペストのボーカル。
 今日、俺の次にステージに立った男。

 そしてその隣には、
 美咲がいた。

信号が青に変わる。
 それでも、足は動かなかった。

 視線の先、街灯の下で笑い合っていたふたり。
 藤原は手ぶらで、美咲はクラッチバッグだけ。
 どちらもライブ帰りとは思えないほど、余裕のある顔をしていた。

 美咲の髪が少し濡れていて、彼が何か冗談を言ったのか、
 彼女が首をすくめて笑った。

 その笑顔を、覚えている。
 俺に向けていたはずの笑顔だった。

 藤原が自然な動きで、美咲の背中に手を添えた。
 まるで、それが当然かのように。
 彼女も、嫌がる様子はなかった。むしろ、受け入れるように歩みを合わせていた。

 ふたりは、そのまま駅前の小さなビジネスホテルに向かって歩いていった。

 足元の水たまりが、街灯を歪める。
 歩道の向こう側で、自動ドアが静かに開き、ふたりの背中を迎え入れる。

 反射的に一歩だけ踏み出したが、すぐに立ち止まった。
 呼び止める声は出なかった。
 出せなかった。

 目の前で、すべてが壊れていく音がした気がした。

 言い訳も、説明も、もう必要なかった。
 心が先に“知っていた”ことを、目で確かめただけだった。

 美咲が振り返ることはなかった。
 藤原の後ろを、自然な足取りでホテルの中へと消えていった。

 胸の奥に、音楽とはまったく違う“叫び”がこだました。
 でも、それを外に出すこともできず、
 悠人はただ、ギターケースの重みに肩を落として、
 雨の上がった歩道にひとり、立ち尽くしていた。
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