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叫んだのは、あなただけだった
叫んだのは、あなただけだった
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GATEの楽屋は、変わらない匂いがした。
スモーク臭と古いソファ、湿ったモップのような床の空気。
でも、それがなぜか落ち着く。
音楽にすがっていた頃の、記憶のにおいだった。
セッティングが終わったギターを背に、ステージ袖で待つ。
スタッフの合図とともに前のバンドが終わり、照明が一度落ちる。
悠人は、袖の闇の中で息を吐いた。
客席を覗く気にはなれなかった。
何人来ているかも、誰が来ているかも、知る必要はない。
今日のこれは、“誰のための音”でもないから。
“叫べ、まだ終わりじゃない”
その言葉を胸に繰り返す。
まるで、自分を説得するように。
ステージに一歩踏み出す。
スポットライトが視界を焼く。
フロアの奥は暗く、顔は見えない。
MCもなし。挨拶もなし。
ギターを抱え、コードを鳴らす。
音は、震えていた。
指先が微かに震える。
それでも、止めなかった。
「……こんばんは。悠人です。今日は、ひとりです。……聴いてください」
その言葉は、マイクを通してフロアに溶けていった。
客席から返ってくるのは、拍手でも声でもなく、ただの“静けさ”。
1曲目をはじめる。
コードが合わない。ピッチがぶれる。
でも、それが今の自分の音だと思っていた。
歌いながら、少しずつ、客席を見渡す。
数列目――見覚えのない顔ばかり。
でも、その奥。
ひとりだけ、まっすぐこちらを見ている女がいた。
あかねだった。
表情は読めなかった。
だけど、その目だけは、誰よりも真剣に音を見ていた。
1曲目のラストコードを鳴らしたあと、悠人は深く息を吸い込んだ。
汗が頬を伝って落ちる。
喉は乾き、指先はほんのわずかに痺れていた。
客席からの反応は薄かった。
数人が、静かに拍手をしただけ。
だが、それを責める気にはなれなかった。
いまの自分が鳴らせた音は、それだけだったのだ。
2曲目――本命の曲に手をかけたとき。
ふと、息が詰まった。
イントロのコードを押さえる指が、わずかにずれる。
音が割れ、リズムが崩れる。
ミスだ。
やり直そうとしたが、思考が止まる。
ステージの光が急に遠く感じた。
客席が、冷えていくのが分かった。
誰も何も言わない。
このまま、また“終わる”のか。
喉が、ふさがる。
歌えない。声が出ない。
ギターだけが、孤独に音を鳴らしていた。
「……」
マイクの前に立つ悠人が、完全に硬直したそのときだった。
――その静寂を破ったのは、たったひとつの声だった。
「叫べよ、バカ!!」
客席の奥から、はっきりと聞こえた。
声の主は、言うまでもなく――あかねだった。
その言葉は鋭くて、やさしくて、
痛みよりもずっと深く、胸の中心を貫いてきた。
会場が一瞬、ざわつく。
けれど、その声を誰も責めなかった。
それほどまでに、その言葉は“必要なもの”だった。
悠人の喉が、動いた。
指がコードを押さえなおす。
ギターが、ひとつの音を確かに鳴らす。
「……ありがとう」
小さく呟いた声はマイクに乗らなかったが、
フロアにいたあかねだけには、きっと届いていた。
そして、歌が始まった。
歌が、始まった。
最初の一音は、小さかった。
喉の奥に残る震えが、まだ完全には消えていなかった。
けれど、あかねの叫びが胸の奥に刺さっているかぎり、止まることはなかった。
「叫べ、まだ終わりじゃない」
その一節を声にした瞬間、何かが“ほどけた”。
過去の失敗も、悔しさも、美咲の笑顔も、藤原の姿も。
バンドが壊れた夜の記憶も。
全部――音になって、ステージの上にばらまかれていく。
声が割れた。
音程も、完璧じゃない。
でも、それでも止まらなかった。
途中、何度も涙がこぼれそうになった。
けれど、泣く代わりに、すべてを“歌”にした。
それが自分にできる、唯一のやり方だった。
曲が終わったとき、フロアはしんと静まり返っていた。
誰も言葉を発さなかった。
けれど、その“沈黙”は、前とは違っていた。
やがて、ひとつ、ふたつと拍手が生まれる。
小さなその音が、だんだんと広がっていく。
誰かが「よかった」とつぶやき、
誰かが目元を拭っていた。
それを見て、悠人はようやく小さく笑った。
スポットライトの下で、マイクに向かって言う。
「……ありがとう」
さっきよりはっきりとした声だった。
そして、視線を客席に戻す。
あかねは、もう拍手を止めていた。
ただ、悠人の方をじっと見て、うなずいた。
その仕草だけで、胸がいっぱいになった。
これがゴールじゃない。
けれど、“まだやれる”と思えた。
あの一言が、叫びが、そう信じさせてくれた。
朝、目を覚ましたとき、身体は驚くほど軽かった。
疲れているはずなのに、全身が空っぽのようで、でも満たされていた。
昨夜のステージの記憶は、ところどころぼんやりしている。
誰がいたのか、何人いたのか、細かくは覚えていない。
けれど、あの声だけは、耳の奥にまだ残っていた。
「叫べよ、バカ!!」
あの一言がなかったら、きっと途中で止まっていた。
逃げ出していたかもしれない。
けれど、あの瞬間に――“誰かが俺を信じてくれた”と思えた。
それだけで、音が戻ってきた。
スマホを開くと、通知がいくつか届いていた。
知らないアカウントからの感想。
「泣いた」「また聴きたい」「音がまっすぐだった」――
すべてが、信じられないような言葉だった。
そして、あかねからも一通。
「……うん。まあ、ちょっとだけ見直したかも」
相変わらずな言い方に、思わず笑ってしまった。
“ちょっとだけ”に詰め込まれた全部が、ちゃんと伝わってきた。
「ありがとな。また、歌うわ」
短く返して、スマホを伏せる。
ギターはケースの横に置いたまま。
今日はもう触らなくていい。
でも明日は、また弾くだろう。
まだ終わりじゃない。
その言葉が、今日も胸の真ん中でゆっくり響いていた。
スモーク臭と古いソファ、湿ったモップのような床の空気。
でも、それがなぜか落ち着く。
音楽にすがっていた頃の、記憶のにおいだった。
セッティングが終わったギターを背に、ステージ袖で待つ。
スタッフの合図とともに前のバンドが終わり、照明が一度落ちる。
悠人は、袖の闇の中で息を吐いた。
客席を覗く気にはなれなかった。
何人来ているかも、誰が来ているかも、知る必要はない。
今日のこれは、“誰のための音”でもないから。
“叫べ、まだ終わりじゃない”
その言葉を胸に繰り返す。
まるで、自分を説得するように。
ステージに一歩踏み出す。
スポットライトが視界を焼く。
フロアの奥は暗く、顔は見えない。
MCもなし。挨拶もなし。
ギターを抱え、コードを鳴らす。
音は、震えていた。
指先が微かに震える。
それでも、止めなかった。
「……こんばんは。悠人です。今日は、ひとりです。……聴いてください」
その言葉は、マイクを通してフロアに溶けていった。
客席から返ってくるのは、拍手でも声でもなく、ただの“静けさ”。
1曲目をはじめる。
コードが合わない。ピッチがぶれる。
でも、それが今の自分の音だと思っていた。
歌いながら、少しずつ、客席を見渡す。
数列目――見覚えのない顔ばかり。
でも、その奥。
ひとりだけ、まっすぐこちらを見ている女がいた。
あかねだった。
表情は読めなかった。
だけど、その目だけは、誰よりも真剣に音を見ていた。
1曲目のラストコードを鳴らしたあと、悠人は深く息を吸い込んだ。
汗が頬を伝って落ちる。
喉は乾き、指先はほんのわずかに痺れていた。
客席からの反応は薄かった。
数人が、静かに拍手をしただけ。
だが、それを責める気にはなれなかった。
いまの自分が鳴らせた音は、それだけだったのだ。
2曲目――本命の曲に手をかけたとき。
ふと、息が詰まった。
イントロのコードを押さえる指が、わずかにずれる。
音が割れ、リズムが崩れる。
ミスだ。
やり直そうとしたが、思考が止まる。
ステージの光が急に遠く感じた。
客席が、冷えていくのが分かった。
誰も何も言わない。
このまま、また“終わる”のか。
喉が、ふさがる。
歌えない。声が出ない。
ギターだけが、孤独に音を鳴らしていた。
「……」
マイクの前に立つ悠人が、完全に硬直したそのときだった。
――その静寂を破ったのは、たったひとつの声だった。
「叫べよ、バカ!!」
客席の奥から、はっきりと聞こえた。
声の主は、言うまでもなく――あかねだった。
その言葉は鋭くて、やさしくて、
痛みよりもずっと深く、胸の中心を貫いてきた。
会場が一瞬、ざわつく。
けれど、その声を誰も責めなかった。
それほどまでに、その言葉は“必要なもの”だった。
悠人の喉が、動いた。
指がコードを押さえなおす。
ギターが、ひとつの音を確かに鳴らす。
「……ありがとう」
小さく呟いた声はマイクに乗らなかったが、
フロアにいたあかねだけには、きっと届いていた。
そして、歌が始まった。
歌が、始まった。
最初の一音は、小さかった。
喉の奥に残る震えが、まだ完全には消えていなかった。
けれど、あかねの叫びが胸の奥に刺さっているかぎり、止まることはなかった。
「叫べ、まだ終わりじゃない」
その一節を声にした瞬間、何かが“ほどけた”。
過去の失敗も、悔しさも、美咲の笑顔も、藤原の姿も。
バンドが壊れた夜の記憶も。
全部――音になって、ステージの上にばらまかれていく。
声が割れた。
音程も、完璧じゃない。
でも、それでも止まらなかった。
途中、何度も涙がこぼれそうになった。
けれど、泣く代わりに、すべてを“歌”にした。
それが自分にできる、唯一のやり方だった。
曲が終わったとき、フロアはしんと静まり返っていた。
誰も言葉を発さなかった。
けれど、その“沈黙”は、前とは違っていた。
やがて、ひとつ、ふたつと拍手が生まれる。
小さなその音が、だんだんと広がっていく。
誰かが「よかった」とつぶやき、
誰かが目元を拭っていた。
それを見て、悠人はようやく小さく笑った。
スポットライトの下で、マイクに向かって言う。
「……ありがとう」
さっきよりはっきりとした声だった。
そして、視線を客席に戻す。
あかねは、もう拍手を止めていた。
ただ、悠人の方をじっと見て、うなずいた。
その仕草だけで、胸がいっぱいになった。
これがゴールじゃない。
けれど、“まだやれる”と思えた。
あの一言が、叫びが、そう信じさせてくれた。
朝、目を覚ましたとき、身体は驚くほど軽かった。
疲れているはずなのに、全身が空っぽのようで、でも満たされていた。
昨夜のステージの記憶は、ところどころぼんやりしている。
誰がいたのか、何人いたのか、細かくは覚えていない。
けれど、あの声だけは、耳の奥にまだ残っていた。
「叫べよ、バカ!!」
あの一言がなかったら、きっと途中で止まっていた。
逃げ出していたかもしれない。
けれど、あの瞬間に――“誰かが俺を信じてくれた”と思えた。
それだけで、音が戻ってきた。
スマホを開くと、通知がいくつか届いていた。
知らないアカウントからの感想。
「泣いた」「また聴きたい」「音がまっすぐだった」――
すべてが、信じられないような言葉だった。
そして、あかねからも一通。
「……うん。まあ、ちょっとだけ見直したかも」
相変わらずな言い方に、思わず笑ってしまった。
“ちょっとだけ”に詰め込まれた全部が、ちゃんと伝わってきた。
「ありがとな。また、歌うわ」
短く返して、スマホを伏せる。
ギターはケースの横に置いたまま。
今日はもう触らなくていい。
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