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それでも俺たちは
沈黙のビート
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週明けの午後。下北のスタジオには、まだ新しい匂いが漂っていた。
午前に1時間だけ部屋を押さえ、蓮と初セッションをしてみることになった俺は、
ギターケースを背負って、やけに静かなスタジオの廊下を歩いていた。
「おはよう」
控室の前で待っていた蓮に声をかけると、彼は頷くだけで返した。
それだけでも、前回よりは打ち解けた気がした。
ブースに入り、セッティングを始める。
蓮のベースは指弾きが主体で、音が驚くほど柔らかかった。
静かながらも芯があって、俺のギターと不思議と噛み合った。
数十分後、ひとしきり合わせたあと、少し休憩を取ろうとしたときだった。
ドアの向こうから、誰かがノックする音が響いた。
「……冴木、さん?」
目を疑った。
ドアの前に立っていたのは、グレーのパーカーを羽織った男――冴木 翼だった。
あかねの軽音仲間として、以前一度だけ名前を聞いたことがある。
テンペストの元ドラマー。
藤原と音楽をやっていた男。
「……何してんすか、ここで」
翼は少しだけ眉を寄せ、軽く首を傾げた。
「お前こそ。……あかねに言われてな。
“行ってみれば”って」
「え?」
「別に誘われたわけじゃねえよ。
ただ、“何かあるかもしれない”って顔してたから、つい」
蓮が翼を見て、一度だけ軽く会釈した。
おそらく、彼もその名を知っていたのだろう。
「……もう、音楽はやらないんじゃなかったんですか?」
問いかけに、翼は少しだけ笑った。
「音楽はやらない。そう言ったよな。でも、“聴かせたくなる音”があったら……話は別だろ」
その言葉に、俺は何も言い返せなかった。
蓮が、無言のままセットの前に立ち、ドラムスティックを手渡した。
翼はそれを受け取り、ゆっくりとイスに座った。
「ちょっとだけ、試してみるか?」
セッティングが終わり、スタジオの空気がぴんと張りつめる。
蓮が低くベースの音を鳴らす。
その重みのある一音が、フロアをじわりと揺らした。
そのすぐ後、翼がタムをひとつ軽く叩いた。
試すような、けれど真剣な音だった。
俺はギターを手に取り、何の合図もなくコードを弾いた。
最初はバラバラだった。
リズムも、タイミングも、音の空間の使い方すらも。
けれど、不思議なことに――3人とも、それを気にしていなかった。
試すように音を重ね、ぶつかり、外れ、また戻る。
数分後、誰が合図したわけでもないのに、コード進行とリズムがすとんと合った。
翼が、スネアで強くビートを刻んだ。
蓮がそれに合わせて、低音を乗せていく。
俺のギターが、その音の上を這うように滑った。
その瞬間――音が“走った”。
まるで、誰かがずっと探していたピースが、
今になってぴたりとハマったような感覚だった。
3人とも、言葉を失っていた。
演奏が止んだあとも、誰もすぐには何も言わなかった。
最初に息を吐いたのは、翼だった。
「……悪くない」
その言葉に、蓮が口元だけで小さく笑った。
「……まだ、ちゃんと鳴るんだな。俺」
それは、誰に言ったわけでもなかった。
けれど、スタジオにいた全員が、その言葉に心を打たれた。
「翼さん……」
「名前でいいよ。お前らと音出すなら、距離いらねえし」
蓮が目線で俺を見る。
俺は、ギターのストラップを外しながら、翼に言った。
「……バンド、組もうと思ってるんです。
一緒に、どうですか」
翼は一度だけドラムスティックをくるりと回し、床にストンと落とした。
「じゃあ、しばらく叩いてみるか。
俺の“最後のバンド”かもしれないしな」
スタジオにこもって3日目。
蓮・翼・俺の3人でセッションを重ねるたびに、音は確かに形になってきた。
テンポを落とせば、蓮のベースが生きる。
コードを少し崩せば、翼のビートに深みが増す。
少しずつ、“俺たちだけの音”が見えてきていた。
でも――何かが、足りなかった。
コードが空間を埋めても、どこかに隙間がある。
リズムは完璧でも、音の奥行きが足りない。
ある夜のセッション後。
スタジオの廊下、冷えた缶コーヒーを飲みながら、翼がぽつりと漏らした。
「……音が、乾いてんだよな」
「乾いてる?」
「広がりがないっていうか、……一枚足りねぇ」
蓮が黙って頷いた。
蓮は言葉が少ないけど、同じことを感じていたんだと思う。
そのまま3人で黙り込んでいたとき、俺のスマホが震えた。
藤代さんからだった。
「スタジオの件、話しておいた。
明日、ギター1本持ってく子が入る。アレンジのアドバイスできるタイプだ。
興味があれば、そのまま話してみろ」
俺はメッセージを読んで、顔を上げた。
「……ギターと、アレンジに強いやつ。明日来るらしい」
翼が眉を少し上げた。
「サポートか?」
「たぶん。まだ加入とかじゃなく、アドバイス的な……」
蓮は何も言わなかったが、ほんの少しだけ目を細めた。
俺たちの音に、誰かが入る。
期待と、ほんの少しの不安が入り混じっていた。
でも――
“もっと遠くまで鳴らしたい”と思ったなら、
その音を拒む理由は、もうなかった。
午前に1時間だけ部屋を押さえ、蓮と初セッションをしてみることになった俺は、
ギターケースを背負って、やけに静かなスタジオの廊下を歩いていた。
「おはよう」
控室の前で待っていた蓮に声をかけると、彼は頷くだけで返した。
それだけでも、前回よりは打ち解けた気がした。
ブースに入り、セッティングを始める。
蓮のベースは指弾きが主体で、音が驚くほど柔らかかった。
静かながらも芯があって、俺のギターと不思議と噛み合った。
数十分後、ひとしきり合わせたあと、少し休憩を取ろうとしたときだった。
ドアの向こうから、誰かがノックする音が響いた。
「……冴木、さん?」
目を疑った。
ドアの前に立っていたのは、グレーのパーカーを羽織った男――冴木 翼だった。
あかねの軽音仲間として、以前一度だけ名前を聞いたことがある。
テンペストの元ドラマー。
藤原と音楽をやっていた男。
「……何してんすか、ここで」
翼は少しだけ眉を寄せ、軽く首を傾げた。
「お前こそ。……あかねに言われてな。
“行ってみれば”って」
「え?」
「別に誘われたわけじゃねえよ。
ただ、“何かあるかもしれない”って顔してたから、つい」
蓮が翼を見て、一度だけ軽く会釈した。
おそらく、彼もその名を知っていたのだろう。
「……もう、音楽はやらないんじゃなかったんですか?」
問いかけに、翼は少しだけ笑った。
「音楽はやらない。そう言ったよな。でも、“聴かせたくなる音”があったら……話は別だろ」
その言葉に、俺は何も言い返せなかった。
蓮が、無言のままセットの前に立ち、ドラムスティックを手渡した。
翼はそれを受け取り、ゆっくりとイスに座った。
「ちょっとだけ、試してみるか?」
セッティングが終わり、スタジオの空気がぴんと張りつめる。
蓮が低くベースの音を鳴らす。
その重みのある一音が、フロアをじわりと揺らした。
そのすぐ後、翼がタムをひとつ軽く叩いた。
試すような、けれど真剣な音だった。
俺はギターを手に取り、何の合図もなくコードを弾いた。
最初はバラバラだった。
リズムも、タイミングも、音の空間の使い方すらも。
けれど、不思議なことに――3人とも、それを気にしていなかった。
試すように音を重ね、ぶつかり、外れ、また戻る。
数分後、誰が合図したわけでもないのに、コード進行とリズムがすとんと合った。
翼が、スネアで強くビートを刻んだ。
蓮がそれに合わせて、低音を乗せていく。
俺のギターが、その音の上を這うように滑った。
その瞬間――音が“走った”。
まるで、誰かがずっと探していたピースが、
今になってぴたりとハマったような感覚だった。
3人とも、言葉を失っていた。
演奏が止んだあとも、誰もすぐには何も言わなかった。
最初に息を吐いたのは、翼だった。
「……悪くない」
その言葉に、蓮が口元だけで小さく笑った。
「……まだ、ちゃんと鳴るんだな。俺」
それは、誰に言ったわけでもなかった。
けれど、スタジオにいた全員が、その言葉に心を打たれた。
「翼さん……」
「名前でいいよ。お前らと音出すなら、距離いらねえし」
蓮が目線で俺を見る。
俺は、ギターのストラップを外しながら、翼に言った。
「……バンド、組もうと思ってるんです。
一緒に、どうですか」
翼は一度だけドラムスティックをくるりと回し、床にストンと落とした。
「じゃあ、しばらく叩いてみるか。
俺の“最後のバンド”かもしれないしな」
スタジオにこもって3日目。
蓮・翼・俺の3人でセッションを重ねるたびに、音は確かに形になってきた。
テンポを落とせば、蓮のベースが生きる。
コードを少し崩せば、翼のビートに深みが増す。
少しずつ、“俺たちだけの音”が見えてきていた。
でも――何かが、足りなかった。
コードが空間を埋めても、どこかに隙間がある。
リズムは完璧でも、音の奥行きが足りない。
ある夜のセッション後。
スタジオの廊下、冷えた缶コーヒーを飲みながら、翼がぽつりと漏らした。
「……音が、乾いてんだよな」
「乾いてる?」
「広がりがないっていうか、……一枚足りねぇ」
蓮が黙って頷いた。
蓮は言葉が少ないけど、同じことを感じていたんだと思う。
そのまま3人で黙り込んでいたとき、俺のスマホが震えた。
藤代さんからだった。
「スタジオの件、話しておいた。
明日、ギター1本持ってく子が入る。アレンジのアドバイスできるタイプだ。
興味があれば、そのまま話してみろ」
俺はメッセージを読んで、顔を上げた。
「……ギターと、アレンジに強いやつ。明日来るらしい」
翼が眉を少し上げた。
「サポートか?」
「たぶん。まだ加入とかじゃなく、アドバイス的な……」
蓮は何も言わなかったが、ほんの少しだけ目を細めた。
俺たちの音に、誰かが入る。
期待と、ほんの少しの不安が入り混じっていた。
でも――
“もっと遠くまで鳴らしたい”と思ったなら、
その音を拒む理由は、もうなかった。
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