叫べ、まだ終わりじゃない

おくなみ

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響き合う音、ぶつかる衝動

交わされた心

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スタジオの空気が、明らかに変わっていた。

 蓮のベースは、以前より太く鳴っている。
 結華のギターは、切れ味と熱を同時に帯びていた。
 そして――悠人の声が、明確に届いてきた。

 「……いいね、今の」

 蓮がニッと笑い、結華とアイコンタクトを交わす。

 「ようやく“悠人”に戻ってきた感じ」

 「いや、たぶん――今までで一番、いいかも」
 翼がスティックをくるくる回しながら呟いた。

 悠人は照れたように笑いながら、マイクを離れた。

 「ありがと。でも、たぶん……戻ったんじゃなくて、やっと“進んだ”んだと思う」

 「……あかね、さんのおかげ?」

 結華が少し茶化すように言ってきたが、悠人はまっすぐ頷いた。

 「うん。……正直、全部話すの怖かった。でも、話して良かった」

 誰も冗談にはしなかった。
 その言葉の重さを、全員がちゃんと知っていたから。

 その空気の中、ただひとり――翼の表情が、少し曇っていた。

 「……テンペストとの対バン、もうすぐだな」

 その言葉に、スタジオの空気が一瞬止まった。

 「うん。渋谷DESEO。オールスタンディング。フルハウスらしい」

 「盛り上がるだろうね……あっちは」

 結華が口を噤む。

 「大丈夫。俺らの音、ちゃんと鳴ってる。比べる必要ないよ」

 悠人の言葉に、翼はふっと笑った。

 「……藤原、変わってないよ。ああいうやつだ。昔から」

 「……」

 「でも、今はあいつに勝ちたい。
  過去がどうとか、バンドがどうとかじゃなくて、俺個人として――あいつを、音でぶっ潰したい」

 その言葉に、誰も口を挟まなかった。

 けれど、誰も目を逸らさなかった。

 音で戦うという意味が、ようやく“本物”になった瞬間だった。

 「“まだ終わりじゃない”? ……ああ、いたな、そんなやつら」

 控室のソファに足を投げ出しながら、藤原 颯は退屈そうに言った。

 その隣で、テンペストの他のメンバーが缶コーヒーを開ける。

 「対バンでしょ? 一応チェックしとく?」

 「別に。どうせ、ギターだけ無駄に目立つか、ボーカルが吠えるだけだろ」

 あざけるような口調。
 その目には、明らかな余裕があった。

 「昔の知り合いなんだろ? あのドラムの……なんだっけ」

 「翼。冴木 翼」

 「そうそう。それもこっちからクビにしたようなもんだし、未練あるわけない」

 缶を握る手が、わずかに力をこめる。

 「……で、悠人ってのは? その“まだ終わりじゃない”のボーカル」

 「あいつ、美咲と付き合ってたんだよ。俺が寝取っちゃったけど(笑)」

 「マジで? 美咲、こっち来て正解だったな。才能とセンスで選ぶなら、こっち一択だし」

 口元がゆがんだ笑みに変わる。

 「ま、せいぜい這い上がってきたつもりなんだろうけど。
  ステージ上で見せてやればいい。何が“本物”で、何が“まがい物”かってな」

 その言葉に、誰も反論しなかった。

 テンペストというバンドは、勢いと話題性で注目を集めていた。
 SNSでは常に上位。観客は前のめりにダイブし、会場は熱狂に包まれる。

 だがその裏で、藤原のこうした“選民意識”もまた、周囲を黙らせていた。

 ステージという戦場で、彼は誰よりも残酷だった。

 そして――
 藤原が知らないことが、ひとつだけある。

 悠人はもう、黙ってはいない。



 渋谷DESEO。
 地下に続く階段を降りるごとに、鼓動の速さが音になる。

 「今日……満員なんだって」
 結華が手持ち無沙汰に呟いた。

 「そりゃ、あっちの集客力は本物だもんな」
 蓮が苦笑しながらも、肩に担いだベースケースを少し持ち上げる。

 「でも、それに負けないくらい、やるだけだ」

 誰も反論しなかった。
 今日の空気は、確かに今までとは違っていた。

 ドアを開けると、既にテンペストの機材がステージに積まれていた。
 モニター調整中のPA、仕込みを進める照明スタッフ。
 会場の“熱”は、始まる前から高まっていた。

 楽屋へ向かう廊下の途中、角を曲がったところで――
 ひとりの男が立っていた。

 「……よお」

 藤原だった。
 無造作にポケットに手を突っ込み、余裕の笑みを浮かべている。

 「久しぶり。顔合わせるの、あれ以来だな」
 悠人が先に口を開いた。

 「ああ……そっか。お前、あのときまだ“解散前のバンドの端っこ”にいたっけな」

 その言葉に、結華と蓮が微かに眉をひそめる。
 翼は無言のまま、拳を固く握っていた。

 「今日は、どこまでやれるか見せてもらうよ。お前の“まがい物の歌”」

 藤原の言葉は相変わらずだった。
 あえて相手を挑発するその口ぶりは、変わっていなかった。

 悠人は一歩前に出て、静かに言う。

 「お前に何を言われても構わない。
  でも……ステージで踏みつけにするつもりなら、それなりの覚悟で来いよ」

 「おっかねえ。あのときより、ちょっとは声が通るようになったみたいだな」

 悠人は表情を変えず、ただまっすぐ藤原を見返した。

 「全部、歌で返すよ。
  俺が取り戻したかったのは、名前じゃなくて“自分自身”だから」

 その言葉に、藤原が口角だけで笑う。

 「ほー。……せいぜい、吠えてな」

 踵を返して去っていくその背中を、誰も追いかけなかった。
 ただ、空気の張り詰めた廊下の先で――確かに戦いは始まっていた。
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