健多くん

ソラ

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番外編

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「悪かった。君にあんなこと言わせて、本当にすまない」

「ッ・・・・!」

真摯な声が俺の荒んだ心の奥にするりと入り込む。
先生の口調は、少なくともウソには思えなかった。

「誤解してた・・・男に抱かれたことがなければ、俺なんかを受け入れてくれるわけがないと、そう思ってたんだ」

「・・・・」

「信じてくれなんて言うほうが無理かもしれない。でもこれだけは言わせてくれ。俺は、君に同情したんじゃない。けっして」

回される腕の力が柔らかくなる。

そんなあたたかい拘束に、俺の緊張もかすかに和らいだ。

抵抗がなくなったことに安心したのか、先生は少し照れるように吐息を漏らすと、掠れた声で囁く。

「松森を、格好いいと思ったんだ。父親を亡くして、自分一人の力で家族を守っていく覚悟をしたお前に、男として憧れた」

「男として・・・?」

今まで、そんなこと誰も言ってくれなかった。
俺は長男で。家族を守るのが当たり前で。

『幸多くんがしっかりしないと』

『お父さんの代わりにお母さんを助けてあげるんだ
よ』

そんな言葉を投げかけられて。

たしかにそれは俺の誇りではあったけれど。

それは本当に俺が望んだ言葉だったんだろうか。

先生の指がそっと俺の背を撫でる。
まるで父親が息子をあやすように。

「でも、無理してる君をこれ以上見ていられない。君が家族を支えるなら、君のことは誰が支えるんだ?」

「先生」

「・・・・俺じゃ、駄目だろうか」

「せんせ、」

「俺じゃ、君を守ることはできないか?」

「せ、」

「俺の前では思いっきり甘えていいから」

「・・・」

もう、言葉にならなかった。

頬を伝う涙が止められなくて、そんな姿を見せたくなくて、ただ息をつめて先生の胸にしがみついた。
だけど、先生の望んだことはそんな俺の姿じゃなくて。

「泣くならちゃんと見せてくれ。俺は松森が安心して泣けるような相手になりたいんだ」

その言葉に、俺の中で長年張りつめていたものが、一気に溶けだした。

「うっ・・・ぁ・・・あッ・・・!」

溢れ出てくる感情のままに、先生の腕の中で叫ぶ。

「なっ、でっ・・・なん、で・・・父さんっ・・・!」

もっと一緒にいたかった。

もっと話をしたかった。

俺たち家族を置いていかないでほしかった。

俺を、置いていかないでほしかった。

父さんが死んだ頃、俺はちょうど反抗期で。
些細なものだったとはいえ、いつも反発ばかりしてた。

最期に父さんに言った言葉は『うるさいな』。

それを聞いた時、父さんはなんて思っただろう。
自分の人生が終わる瞬間、父さんは俺の言葉を思い出したんだろうか。

俺は、大事な人の人生をそんな言葉で終わらせてしまった。

先生の指が俺の髪を撫でる。

「ごめんなさい・・・おれ、ごめんなさいッ・・・!」

幼子のように泣きじゃくる俺の頭を、先生の大きな手はずっと撫でていてくれる。

「もういいんだ、幸多。君のしてきたことは間違いじゃない。お父さんはきっと褒めてくれる。大切な家族を今まで守ってきた君を、絶対に誇りに思ってるから」

「っ・・・」

その夜、俺はいつまでも先生の腕の中で泣き続けた。
そのうちに眠ってしまって、大きなぬくもりに包まれて見た夢は、母さんと健多と、そして父さんと一緒に海に行ったときのもの。

でも母さんはあの頃よりちょっと年をとっていて、健多はもう高校生で、俺は今のままで、父さんは。
あの時と変わらず、優しい微笑みを浮かべていた。








目を覚ますと、もう空が白み始めていた。

カーテン越しにうっすらと滲む太陽がまぶしくて、俺はもう一度瞼を閉じる。

先生はずっと俺を抱きしめてくれていた。

はじめて与えられた大きなぬくもりは、なんだかちょっと照れくさい。

思いっきり泣いてしまったけれど、不思議と昨日までのような後悔はなかった。

弱さを誰かに見せることは、今まで俺の中で最大のタブーだった。

そうしないと覚悟が折れてしまう気がして。

なのに先生はそんな俺に寄りかかれと言ってくれる。
・・・俺は、もう一度誰かに甘えてみてもいいのかな。

目の前で眠っている先生を見つめてみる。

たしかに最初は父さんみたいな安心感だけだった。

だけど今は確かに、胸の奥の方で恋しい気持ちが芽生えてきている。

そういえば先生からの告白にまだ応えてなかったな。

先生が目を覚ましたらきちんと言おう。

俺は確かに心のどこかで父さんを恋しいと思ってる。

「だけど・・・父さんとキスしたいだなんて思わないからね」

呟いてそっと口づけると、眠っているはずの先生がかすかに笑った気がした。





その後、健多は鳴人と付き合い始めた。

最初は鳴人の強引さと健多の悩みっぷりに見ていられなかったけれど、近頃はこっちが目も当てられないほどラブラブだ。

健多は鳴人と出会って変わった。

もうおせっかいな兄貴の出る幕はない。

母さんはそんな健多の成長を見ているだけでとても楽しそうだ。

俺が見ていない間にも、みんな前に進んでる。
そのことに気づけたのは、狭山先生のおかげ。

自分の弱さにきちんと向き合えたら、途端にすべての視界が開けてきた。

俺にはいま夢がある。

大学院を卒業して、いつか先生と共同で研究を進めること。

ある時、先生が言った。

『幸多のお父さんは君の人生に幸多くあれと思って、君の名前をつけたんだろうな』


遠回りだったけど、俺は自分の幸せを考えられるようになったよ、父さん。

俺の心に残った父さんの顔は、これからも優しい笑顔のままだ。


fin.
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