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本編
14.タツの過去1(side.タツ)
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手に中にあれば気付かずに、手放した途端気付く大事なもの。
俺にとってそれは、音楽の世界で生きるあの日常だった。
もっと早くに音の楽しさに気付けていたら。
もっと真剣に音と向き合えていたら。
まさに俺の今まではぼたんを掛け違えてきたような人生だ。
気付けば日常だったはずの世界は、ひたすら遠くなっていた。
過去の記憶が全て幻なのではないかと思ってしまうほどに手の届かぬ場所。
這い上がる術を俺は持たない。
才能も、能力も、悲しいほどに俺の元には残らなかった。
……それでも、どうしても。
心が折れ、ヤケになり、けれど何とか上を向けるのは、諦めかけたその時に何故だかいつも誰かに拾い上げられるから。
『勝負、です。いつか同じ舞台でお互いに音を届けましょう』
今回俺を助けてくれたのは、名前しか知らない女子高生だ。
明らかに煮詰まった俺相手に、そう言ってのける不思議な子。
あれほど重く感じていた自分の手が心なしか少し軽く感じる。
……大丈夫だ、まだやれる。
そう思えるほど気力が回復していたことに、俺自身が驚いていた。
「おう、帰ったか」
チエを送った後、見慣れた暖簾をくぐれば師であるケンさんがそう言う。
迎えのカウンターには今の相方、シュンが座っていた。
軽く手を上げて返事をすれば、ケンさんが座れとばかりにシュンの隣を勧める。
逆らわずに腰を下ろせば、途端シュンがぽつりと声をあげた。
「驚いた……、あそこまで才能があるとは思わなかった」
その言葉に苦笑してしまう。
俺からしてみればシュンだって紛れもない天才だ。
その天才が天才というのだから、普通じゃない。
そもそもシュンが誰かに興味を持つことも、ましてやここまで連れて来ることだって珍しいのだ。
その時点でチエに何らかの能力を見出していたことは分かるが、それにしたって想像以上だったのだろう。
「俺も久々に驚いたな。本人自覚ねえみたいだが、そこらへんに転がってる原石どころの話じゃねえ。恐ろしい天才だ」
音に関する評価が恐ろしく厳しいケンさんですらそんなことを言う。
本物、ということだ。
実のところ、俺も未だに手の震えが止まっていない。
自然と視線は調律もされていないアップライトピアノに向かった。
『こんなに素晴らしい曲を書けるんです、どうか自信を持ってください』
あの子はそう満足げに笑ってみせたが、あの曲はお世辞にも素晴らしいと呼ばれる程のものではない。
素晴らしくさせたのは、あのわずかな時間で瞬時に伴奏を組み立て、ぼけたピアノですら魅力的に聴こえるように弾いてみせた彼女だ。
天才。
何度も自分を責め立てるその言葉。
喉から手が出そうになるほど欲しくて、しかし手に入らないもの。
どうして俺の周りにはこんな化け物みたいなのが集まるかな。
自嘲しながら、それでもそのことを誇りに思ってしまうんだからどうしようもない。
「あの子には負けたくないなあ」
そして、とても救われた想いでそんなことを言ってしまえる自分にも驚いた。
あんなに凄い才能があるのに、俺なんかを憧れにしてくれて、しかもまだその想いは変わらないと言ってくれる。
ボロボロになるまで俺の曲が入ったCDを持ち歩いて、必死に向き合ってくれた心の優しい女の子。
……彼女の言葉に見合える自信ははっきり言って無い。
だが、見合えるような自分になりたい。
そう強く思った。
「はは、また天才に助けられちゃったな」
そう笑えば、シュンもケンさんも何かを思い出したのか声も上げずに苦笑した。
思い出すのはフォレストに入ってからここまで辿ってきた道。
俺は、どちらかと言えばずっと運の良い男だった。
人に比べ容姿に恵まれたのも、知り合いに芸能事務所の人間がいたのも、ちょうどアイドルグループをデビューさせようという時に俺が居合わせたことも、全てそうだ。
元々要領がよかったこともあって、それまでは流されるままなあなあに生きていた。
そしてそれでも上手く物事が進む程度の力は持ち合わせていた。
きっとそんな怠惰な人生を送っていた俺に罰が当たったんだと思う。
「リュウ……すまない。出来る限りお前がソロでも活躍できるようバックアップはするから」
頭を深々と下げて苦しげに告げてきたマネージャーの声を今も俺は鮮明に思い出すことができる。
堅くるしいほど真面目で、鬼と言われるほど厳格で、そして馬鹿みたく責任感の強いあの人があんな苦しげな声をあげたのは俺の知る限り後にも先にもあれきりだ。
きっとあの人はちゃんと俺のことを見て知っていたんだろう。
なあなあで生きていた俺にとって、初めて生きがいと言えるほど夢中になれるものが出来ていた事。
それが当時の俺にとってフォレストという場所の中にしかなかったということ。
だから俺をその場所から引き離す決定を下したことに心底苦しんでいた。
俺にとってそれは、音楽の世界で生きるあの日常だった。
もっと早くに音の楽しさに気付けていたら。
もっと真剣に音と向き合えていたら。
まさに俺の今まではぼたんを掛け違えてきたような人生だ。
気付けば日常だったはずの世界は、ひたすら遠くなっていた。
過去の記憶が全て幻なのではないかと思ってしまうほどに手の届かぬ場所。
這い上がる術を俺は持たない。
才能も、能力も、悲しいほどに俺の元には残らなかった。
……それでも、どうしても。
心が折れ、ヤケになり、けれど何とか上を向けるのは、諦めかけたその時に何故だかいつも誰かに拾い上げられるから。
『勝負、です。いつか同じ舞台でお互いに音を届けましょう』
今回俺を助けてくれたのは、名前しか知らない女子高生だ。
明らかに煮詰まった俺相手に、そう言ってのける不思議な子。
あれほど重く感じていた自分の手が心なしか少し軽く感じる。
……大丈夫だ、まだやれる。
そう思えるほど気力が回復していたことに、俺自身が驚いていた。
「おう、帰ったか」
チエを送った後、見慣れた暖簾をくぐれば師であるケンさんがそう言う。
迎えのカウンターには今の相方、シュンが座っていた。
軽く手を上げて返事をすれば、ケンさんが座れとばかりにシュンの隣を勧める。
逆らわずに腰を下ろせば、途端シュンがぽつりと声をあげた。
「驚いた……、あそこまで才能があるとは思わなかった」
その言葉に苦笑してしまう。
俺からしてみればシュンだって紛れもない天才だ。
その天才が天才というのだから、普通じゃない。
そもそもシュンが誰かに興味を持つことも、ましてやここまで連れて来ることだって珍しいのだ。
その時点でチエに何らかの能力を見出していたことは分かるが、それにしたって想像以上だったのだろう。
「俺も久々に驚いたな。本人自覚ねえみたいだが、そこらへんに転がってる原石どころの話じゃねえ。恐ろしい天才だ」
音に関する評価が恐ろしく厳しいケンさんですらそんなことを言う。
本物、ということだ。
実のところ、俺も未だに手の震えが止まっていない。
自然と視線は調律もされていないアップライトピアノに向かった。
『こんなに素晴らしい曲を書けるんです、どうか自信を持ってください』
あの子はそう満足げに笑ってみせたが、あの曲はお世辞にも素晴らしいと呼ばれる程のものではない。
素晴らしくさせたのは、あのわずかな時間で瞬時に伴奏を組み立て、ぼけたピアノですら魅力的に聴こえるように弾いてみせた彼女だ。
天才。
何度も自分を責め立てるその言葉。
喉から手が出そうになるほど欲しくて、しかし手に入らないもの。
どうして俺の周りにはこんな化け物みたいなのが集まるかな。
自嘲しながら、それでもそのことを誇りに思ってしまうんだからどうしようもない。
「あの子には負けたくないなあ」
そして、とても救われた想いでそんなことを言ってしまえる自分にも驚いた。
あんなに凄い才能があるのに、俺なんかを憧れにしてくれて、しかもまだその想いは変わらないと言ってくれる。
ボロボロになるまで俺の曲が入ったCDを持ち歩いて、必死に向き合ってくれた心の優しい女の子。
……彼女の言葉に見合える自信ははっきり言って無い。
だが、見合えるような自分になりたい。
そう強く思った。
「はは、また天才に助けられちゃったな」
そう笑えば、シュンもケンさんも何かを思い出したのか声も上げずに苦笑した。
思い出すのはフォレストに入ってからここまで辿ってきた道。
俺は、どちらかと言えばずっと運の良い男だった。
人に比べ容姿に恵まれたのも、知り合いに芸能事務所の人間がいたのも、ちょうどアイドルグループをデビューさせようという時に俺が居合わせたことも、全てそうだ。
元々要領がよかったこともあって、それまでは流されるままなあなあに生きていた。
そしてそれでも上手く物事が進む程度の力は持ち合わせていた。
きっとそんな怠惰な人生を送っていた俺に罰が当たったんだと思う。
「リュウ……すまない。出来る限りお前がソロでも活躍できるようバックアップはするから」
頭を深々と下げて苦しげに告げてきたマネージャーの声を今も俺は鮮明に思い出すことができる。
堅くるしいほど真面目で、鬼と言われるほど厳格で、そして馬鹿みたく責任感の強いあの人があんな苦しげな声をあげたのは俺の知る限り後にも先にもあれきりだ。
きっとあの人はちゃんと俺のことを見て知っていたんだろう。
なあなあで生きていた俺にとって、初めて生きがいと言えるほど夢中になれるものが出来ていた事。
それが当時の俺にとってフォレストという場所の中にしかなかったということ。
だから俺をその場所から引き離す決定を下したことに心底苦しんでいた。
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