ぼたん ~不器用な歌い手達が紡ぐ音~

雪見桜

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本編

40.前へ

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今まであまりに偏りすぎていた私の生活は、少しずつ少しずつ“普通”に馴らされていった。
失敗続きで自分がそこにいて良いのかとすら思っていた学校に、私の居場所が生まれる。
卒業祭の出来事や真夏ちゃん、萌ちゃんの存在をきっかけに、私の日常は一変した。
同じクラスの人達が私に戸惑わなくなったのだ。
相変わらず素っ頓狂な声をあげ、大げさなリアクションをし、勉強も運動も落第点を叩き続ける私ではあるけれど、それも個性だと皆は笑ってくれる。
恐ろしい天然だなんて呆れたように笑い、私はそういう人間なのだと認識してくれたようだった。

「時間かかったが良かったな、馴染めて」
「先生……! ありがとうございます……!」
「あと随分涙もろくなったな、お前。いや、元からか」
「は、はい」

進路指導室でどこかホッとしたように矢崎先生が笑う。
仕事と学校の両立がうんと難しくなって、休む時間も今まで以上に無いような日々になって、けれど何も辛くない。
楽しくて時間があっという間に過ぎ去っていく。
忙しすぎることがこんなに幸せな事なのだと、私は知らなかった。
千歳くんも大塚さんも、そんな私を見て良い変化だと喜んでくれる。
追い立てられたわけではなく、焦りからでもなく、純粋に頑張ろうと、そう思えた。

「……でもな、やっぱりこれはまずい」
「……う」
「頼むからせめて30点、30点取ってくれ。さすがに4点は成績付けるにしても苦しいんだぞ」
「ご、ごめんなさい」

……うん、頑張る。
色んな意味で気合を入れる。
こんな日々が私の中で少しでも当たり前になってくれるよう。
当たり前なんかじゃない今の恵まれた環境に報いれるよう。

そうしてあっちこっち走り回っていれば、12月がやってくるのはあっという間だった。
勉強に仕事に、卒業祭の練習。
相変わらずの忙しい日々が愛おしい。

「え、もう卒業時期の準備してんの? 俺のとこはまだ全然卒業の空気ないけどな」

千歳くんと学校の話をする機会も増えた。
学校も一日の半分を過ごすところだというのに、思えば私達はそんな会話すらほとんどなかった。
それは千歳くんが私に配慮し、私が必要以上に気負わないようにと気遣ってくれたおかげなんだろう。
私の生活の比重が学校にも向き始めたことで、ぽつりぽつりと千歳くんも自分の学校について話してくれるようになった。
……やっぱり、頼りきりだ。
そうは思ったけれど、こうして千歳くんの方からも学校の話を聞くのは楽しくて嬉しい。

千歳くんが仲良くしているのは、今売り出し中の俳優さんなんだそうだ。
特撮のヒーロー役が決まって学校にいないこともすごく多く、忙しそうにしていると笑った。
クールそうに見えるのに教室のど真ん中でカッコいい変身ポーズの練習を突然披露しミリ単位の動きも研究し尽くす変態さが面白くて良いのだと言う。
さすが芸能科なだけあって私ですら知っているようなキラキラした有名人ばかりいる千歳くんのクラスメイト。
それでもどうやら中身は普通の学校となんら変わりない賑やかな日々なようだ。

「というか酷いよ、本当。無駄に一芸持ってる奴等ばかりだから何やっても変にクオリティ高くてさ」
「ふふ、楽しそう」
「あと圧倒的に変人率高いんだよね。クラスまとめるのすっごい大変」
「え? 千歳くん委員長さんなの?」
「いやー、さっき言った友達が委員長。仕事でほとんどいないから俺にまで回ってくるんだよね、役割」

全く苦労性だよ……なんて愚痴るように言いながらも千歳くんの声は明るい。
千歳くんが千歳くんらしくあれる場所なのだと分かった。
ずっと同じような環境で育ってきた私達ではあるけれど、高校生になって違う学校に通うようになって今はそれぞれ全く知らない日常を持っている。
少し寂しいけれど楽しいことでもあるんだと、そう思えるようになった私は本当に前向きになったんだろう。

「ちーは? 友達とも相変わらず?」
「うん。あのね、卒業祭の練習でね、萌ちゃんと宮下くんがすごく歌上手でびっくりしたの。真夏ちゃんは『嫌味だ!』って涙目で可愛いの」
「……嫌味?」
「真夏ちゃん、その、歌はあんまり得意じゃない、みたいで……」
「あはは、なるほど」

今でもやっぱりどこか夢見心地で、ふわふわとした気分になる私。
1人で噛み締めるだなんてとても勿体なくて、報告のように千歳くんには話してしまう。
千歳くんもまた楽しそうに聞いてくれるから尚更だ。

「しかし俺も会ってみたいね、真夏ちゃんと萌ちゃんに」

ついにはそんなことまで言ってくれるから、嬉しくなって笑い返していた。

「うん。ぜひ会ってほしいな、千歳くんに」
「ちー、意味分かって言ってる?」

からかうように言う千歳くんに私は大きく頷く。
とたんに笑顔を引っ込めきょとんと私を見つめる千歳くん。
あまりにさらりと言ってのけたことが意外だったのか、それとも頷いたその意味の大きさに驚いたのか。
珍しく見せてくれた素の表情に、素直な気持ちで笑えたのが嬉しい。

「あのね、私決めたの。真夏ちゃんや萌ちゃんに、自分のことを伝えるって」
「ちー」
「タツとシュンさんにも言いたい」
「っ、自分が“ちぃ”だってこと?」
「うん。もうね、逃げないの。怖いけど、上手くできるか不安だけど……私、やってみたい。私の大事なものを、ちゃんと大事だって言える人になりたいんだ」

逃げることを、私は駄目だとは思わない。
逃げなければ守れなかったものだってあった。
逃げ場を用意してくれた千歳くんや家族、逃げ続けた私を受け入れてくれた大塚さんやシュンさん。
こんな私のことを大丈夫だと、ライバルだと、そう言ってくれたタツ。
逃げた先にも大事なものはたくさんあって、この気持ちや人の優しさを忘れたくないと思う。

けれど、前に進みたいと思うのならば、いつか立ち向かわないといけない。
例えば自分の苦手や、怖いと思う気持ちや、トラウマから。
自分を変えられるのは、結局自分だけだから。
多くの人の手を借りたって、良い。
1人で無理して立ち続けなくても良い。
頭のどこかでずっと分かっていたことだった。このままではいけないって分かっていた。
今なら、頑張れるのではないか。
そう思えた時が頑張り時だとそう思う。

「本当、強くなったね。俺じゃ何もできなかったのに恋や友達っていうのは偉大だな」

長い溜息と共に千歳くんの声が響いた。
苦笑しながら笑う千歳くんの表情はどこか弱々しい。

「千歳くんが私を思ってたくさん動いてくれたから、今の私があるんだよ?」
「ん、ありがと。けど俺は……、いや、何でもない」
「千歳、くん?」
「……俺にも、ちーのような強さがあれば」

どこか様子のおかしな千歳くん。
ぽつりと、絞り出すように出された最後の言葉に動きをとめる。
私よりも多くのものを持っていて、いつだって私を引っ張り上げてくれた優しく強い兄。
けれどそんな千歳くんは私の方こそ強いと言う。
はは、と笑うその表情はどこか痛々しかった。

「ごめん、ちょっと感傷的になっただけ。どんどん離されていくなって。ちゃんと俺はちーに食らい付けていけるだろうかってね」
「え? そんな」
「ちーは自分で思う以上に多くのものを持っているよ。俺なんて霞むくらい」

千歳くんのそんな言葉を聞いたのは初めてかもしれない。
私に変化が起きたからなのか、それともずっと千歳くんの中に溜まってたものがついに出てきたからなのか、それは分からない。
けれど、千歳くんが何かに葛藤していることはすぐ分かった。

「ごめんごめん。暗い話になったね。せっかく時間が出来てるんだから、楽しく曲作ろう」

千歳くんはそんな自分を押し殺して、普段の笑顔に戻りぐしゃぐしゃと私の頭を撫でる。
私達の作業部屋は自宅の防音室。
ちょうど千歳くんが高校生に上がる頃に引っ越してきたこの家に、お父さんとお母さんが用意してくれた仕事部屋。
静かなその部屋の中で、私はぐるぐると考える。
千歳くんの中で何がそこまで重りになっているのか、情けないことに私は知らない。
けれど、放ったままになんて出来る訳がない。
いつだって千歳くんは私に多くを与えてくれた。
私を信じ支え続けてくれている。
そんな私が千歳くんの苦しみに知らぬふりではいられない。……いたくない。
たとえ言葉が下手でも、絶対。

「千歳くん。私、千歳くんがいなかったら何もできなかった。本当だよ。学校に通って友達と会うこともなかったし、タツやシュンさんとも会えなかったし、こうして幸せに芸能活動だってできなかった」

千歳くんは黙ったまま苦笑している。
そして力なく部屋の椅子にもたれて、再度長く息をはいた。

「あー……、ごめんねちー。楽しい気分だったのに水さして」
「そんなの全然」
「ちーは、俺をそうやっていっつも拾い上げてくれる。俺がいなきゃ何もできなかったって、そう言って俺の存在価値を高めてくれる」
「だってそれは本当のことで」
「……うん。でもね、俺の方が実はずっとちーに甘えてたんだよ。だからそんなに褒められるような良い奴じゃないの。むしろちーの優しさに付けこんだ悪い奴でさ」
「甘えて……?」
「はは、この先は俺にもプライドってものがあるもんで、内緒。ごめんな、性格悪い兄貴で」

そう言って今度こそ完全に話題を切り替える千歳くん。
どうやらもうその話題には触れて欲しくないようだったから、それ以上つっこむことはできなかった。
けれど代わりに千歳くんは笑って言う。

「とにかく俺はちーが決めたことなら全力応援。それに本当に会ってみたいしね、ちーの友達に」

それがきっと千歳くんなりに見いだした何らかの希望なんだろうと勘ではあるけれど思った。
だから力いっぱい頷く私。
……いつも助けてもらってばかりなのに、こんな時に何も出来ないことがとても歯がゆい。
けれど傷口を無理矢理つつくことが最善じゃないことを私は知っている。

「私も、千歳くんが決めたことなら全力応援だよ。ありがとう、千歳くん」
「……ん、ありがと」

言いたい気持ちをグッと堪えて一言だけ告げた。
千歳くんはやっぱり苦笑して、黙って私の頭を撫でてくれる。

「あ、そうだ。ねえ、ちー。俺、ちょっと最近試したいジャンルあるんだけどさ、曲作れる?」
「え? うん、教えて。新しいジャンルなら私も作ってみたい」
「よっしゃ、待って今資料持ってくる」

そうして今度こそ、私達は普段通りの2人に戻った。
奏としての、2人に。

曲をいったん作り始めると、やっぱり私達はそれにのめり込む。
2人して時間も忘れ目を輝かせ取り組んでしまう。
この時ばかりは私も千歳くんも目の前のことに没頭できる。
色んな感情を持っていたって、それすら忘れる程夢中になれた。
私達は何もかも違う双子で、それぞれ持っているものだって全然違う。
けれど音楽に対する情熱は、きっと同じだったんだと思う。
私も千歳くんもきっと音楽にたくさん救われてきた。
生活の大事な糧に、支えになっていたんだ。
そんなことを実感する。

「んー……、何か違うか? いや、でもなあ、これ以上いじると崩れるよな」
「そう、なの……。どうしよう、絶妙なバランスだけど絶妙すぎる、というか」
「あ~、カッチリはまっててこれはこれでカッコいいんだけどな。カッチリはまりすぎてるというか」
「うん、崩したいのに崩すところが難しい」
「いっそ勢いで」
「……あり、かも」

そうしてお互い無心になれるのだから音の力は偉大だ。
お互い遠慮のない会話が続いて、ああでもないこうでもないと練り込んでいく。
ピピッと千歳くんのスマホに無機質な音が響いたのは、そんな曲作りがひと段落ついた時のことだった。
大塚さんかららしい電話に、慣れた様子で応答する千歳くん。
けれどいつもと少し違うと分かったのは、次第に彼の目が大きく見開かれていったから。
そうして驚きで固まる千歳くんを見るのは珍しい。
何事かと思って耳を寄せれば、機械越しに興奮した様子の大塚さんの声が聞こえた。

『よくやったな、決まったぞ芸音祭』

端的な報告。
しかしあまりの大きな要件。

芸音祭。年末に行われる、芸能音楽界の最高峰のお祭り。
一握りのアーティストしか出演できない、アーティストなら誰もが一度は夢見る舞台。
……タツとの約束の、場所。

「……ちー」
「うん」
「うん、頑張ろう」

手を握り合って、私達は喜んだ。

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