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本編
51.裏側
しおりを挟む奏としての初陣。
タツとの約束の場所。
人のあまりの多さに圧倒される。
ドクドクとなる心臓はものすごく嫌な音として耳に直に届く。
……やっぱり怖い。体はすくんで逃げ出したくなる。
けれど、それでも。
「ちー、行くよ」
「……うん」
千歳くんは、すっかりチトセの顔となって前を向いている。
私の一歩前でこちらを向くこともなく光の中を迷いなく進む。
……こんな私をそれでも信用してくれる千歳くんに恥じない自分でありたい。
奏として、共に表に立つと決めたのは私自身だ。
タツやシュンさんに宣言したのだって私の意志だ。
足がガクガクと震えたって良い。
手がカタカタと勝手に動き出したって構わない。
ちゃんと、その場に立って音を届けられる自分であることが一番大事だと思うから。
「かぼちゃ、かぼちゃ……」
小さく、本当に小さな声で真夏ちゃんが教えてくれた言葉を口にして、私はピアノに向き合った。
前の一番目立つ所に千歳くん。
その少し後ろに私、そして私と千歳くんを挟んで反対側に楽器隊の皆がいる。
初めての奏が揃ったステージ。
ピリッと舞台上の空気が引き締まる。
緊張しているのは、きっと私だけではない。
……私が、奏としてできること。
舞台の陰から演奏開始の合図が示される。
ドラマーさんと私の視線が交わる。
小さく頷き合えば、トントンとバチの叩く音が響いた。
『チエ。大丈夫。チエは大丈夫なんだよ』
タツの言葉が脳内に響いて私は心で頷く。
人前は、多くの視線は、やっぱり私にはまだ怖くて仕方がない。
けれど、怖いけれど、試してみたい。
今の奏の力を。持てる限りの力を。
ドラムとほぼ同時に弾く私の音は、ちゃんと力強く出てきてくれる。
続く千歳くんのギターだって負けないくらいに芯の強い音だ。
……うん、やれる。
そう思えば、あとは曲に入り込むだけだった。
多くの人が受け入れてくれたこの大事な曲を、今日も最高の状態で届けたい。
だからひたすら無心に音を追いかけていく。
それまで考えていた決意や緊張は、全て白く弾け飛んだ。
ただただ音に夢中になって、それ以外考えられない。
そう、鳴り始めればもう止まらない。
千歳くんと音を紡ぎ出すこの瞬間が、たまらない。
「千依、千歳、お疲れさん。お見事、大したもんだよお前達は」
「ちぃちゃんお疲れ様! 良かったぞ、満点!」
「ちぃ、胸張って良いぞ。最高の出来だ」
「お疲れ、よく頑張ったな」
本当にあっという間の時間だった。
大塚さんや楽器隊の皆が肩を叩いて労ってくれる。
記憶が飛ぶほど集中していた私は、そこでやっと力が抜けて放心状態だ。
結局演奏時以外では止んでくれなかった手足の震え。
それでも、身体を占めるものは恐怖よりも別の何かだ。
呆然と、私は横にいる千歳くんを見つめる。
「やっぱ全然違うな……ちーがいると」
私と同じようにただただ放心する千歳くんは、珍しく焦点も定まっていない様子だった。
けれど少し経って首を大きく横に振る。
「ちー、まだまだこれからだ。俺達こんなところじゃ終わらないからな」
気合の入った声。
そして、いつにもなく強い意志の感じる目でそう言う。
思わず笑ってしまったのは、嬉しいと思ったから。
私の夢を、千歳くんもまた願ってくれること。
私と一緒に上を目指したいとそう思ってくれること。
突き出された拳に、自分の拳を合わせる。
「勿論」
そうキッパリと答えられた自分が誇らしかった。
清々しい気持ちで千歳くんと笑いあえることが幸せだと思った。
「千依」
そうして、まだ余韻が冷めきらない状態の私達に声をかけたのは大塚さんだ。
振り返れば、彼はスマホ片手ににやりと笑っている。
「会いにいったらどうだ、リュウに」
「え……?」
「今、あいつケンさんの店にいんだろ? 店開けとくから来いってよ」
ケンさん……、誰だっただろうかと首を傾げかけて、それがあの居酒屋のオーナーさんの名前だと思い出す。
なぜ大塚さんからその名前が出てきたのか分からず目を見開かせたままの私に、大塚さんがやっぱりにやりと笑ったまま近づいてきた。
「あのオーナー、かなり有名なギタリストだよ。元とは付くがな」
「ぎ、ギタリスト!?」
「……大塚さんって一体どこからそういう繋ぎをつけるわけ。交友広すぎて毎度驚くんだけど」
衝撃の事実に思わず大きな声が出てしまう。
オーナーさんがプロの音楽家だったなんて。
けれどよく考えてみれば、居酒屋なのにアップライトのピアノがあったり防音室があったり、確かに音楽に親しい空気は感じた。
ああ、と、今更その理由を納得する。
「え、ま、待った! ケンさんって……あのken!? ちょ、大塚さんまじかよ! 俺も行きたい!」
「宗吾、アホ。お前はお呼びじゃねえよ」
「酷い! 俺がkenに憧れてこの世界入ったこと知ってるくせに!」
「……ああ、そうだな。だからケンさんと知り合いだって黙ってたんだがな。チッ、言う場所間違えたな」
「大塚さん、ちょっともっと話聞かせてよ!」
うちの楽器隊でギターを担当してくれている宗吾さんは私以上に興奮した様子だった。
宗吾さんがここまで興奮するなんて、本当に有名なギタリストだったんだろう。
そして同時にタツがどうしてあんなに飛躍的な技術の向上をしていたのかも理解した。
どういう経緯でタツがオーナーさんに師事したのか、私は知らない。
けれど、オーナーさんがタツを見る目はいつだって優しかった。
きっと、オーナーさんも私やシュンさんと同じなのだろう。
タツの持つ力に引き寄せられた。
そうしてタツの周りに今もタツの音楽を応援する人がいるのだという事実が、私は嬉しい。
やっぱりと思いながら、尚更ライバルとして相応しい自分でありたいとも思った。
「千依、宣言してこい。リュウに言うって決めたんだろ?」
大塚さんが私の頭をパシンと軽く叩く。
「リュウの奴、テレビ見て一発でお前だって気付いたってよ。なら、お前がすることは一つだろ」
……タツも、聴いてくれた。
私だと気付いてくれた。
ハッと大塚さんを見上げれば、満足そうに彼は笑って頷く。
頷き返した私を、今度は優しく撫でてくれた。
「行っといで、ちー」
「千歳くん」
「俺の分まで、宣戦布告しといてよ。大丈夫、後のことは俺に任せろ」
千歳くんが横でにやりと笑う。
その目はいつになく挑戦的で、思わず私も同じように笑い返してしまった。
「うん」
そうきっぱりと返事をすると、千歳くんもやっぱり頷き返してくれる。
「つーわけで、藍頼んだぞ。俺はまだ千歳に付いてなきゃいけねえからな」
「はいはい、任されましたよ。ちー行くぞ」
「あ、アイアイさん?」
「おう、大塚さんから頼まれてたんだよ実は。まあ俺も久しぶりにリュウの顔見たいしな」
「は? アイアイ知り合いなの?」
「いや? 見習い時代に遠くから見かけたことあるってだけ。さすがアイドルは別格だよなー、目の保養」
「あ、アイアイさんありがとう! よろしくお願いします!」
「おう、任せな。よし、準備するか」
「アイアイ、アイアイ。無理しなくていいよ。俺がちぃちゃん送ってくって!」
「お前は駄目だ、バカ宗吾。この後もう1本歌番組あんだろが」
そうして私は夢の舞台を後にした。
胸一杯に占める舞台の余韻と、これから会う人達を思った胸のドキドキが重なって頭がぐるぐるさせながら。
なんとも不安定なまま辿りついた居酒屋。
上手く心の整理がついているのか分からない。
今日はあまりに多くの経験をしたものだから、まだまだ頭も混乱している。
どうすれば良いだろうか、どうやって打ち明ける?
黙っていてごめんなさい?
聴いてくれてありがとう?
こんな時でさえ迷う私はひたすら暖簾の前で自問自答だ。
それでも、やっぱり私はタツに会いたい。
会って、目を見て、今こそちゃんとあの時のお礼を言いたい。
ずっとずっと心から願ってきた言葉を伝えられたなら。
「ほら、ちー」
ガチガチに固まった私の背中を優しく叩いてアイアイさんが励ましてくれる。
ようやく少し落ち着いて、私はその扉を開けた。
「こ、ここここ、こんばんは!」
やっぱりスムーズな言葉は出てきてくれない。
挙動不審も治らなくて、自分で何を言っているかも分からなくて、その場にいる人達が私をポカンとした顔で見ているのが分かる。
呆然と、私を見つめるタツ。
その表情から感情を読み取ることは、やっぱり私には難しい。
けれど気持ちが溢れて、もうどうしようもない。
私の音を、言葉を、真正面から聴いてくれたタツ。
いつだってひどく不器用で何一つスムーズに出来ない私を、当たり前のように受け入れてくれた人。
今の私になれた、きっかけの人。
ありがとうと、ただただその思いの丈をタツにぶつける。
5年間ずっと伝えたくて、けれど伝えられなかった言葉。
やっぱりしどろもどろになりながら、それでも耳を傾けてくれるタツに少しでも伝わってくれたならば。
そうして最後に出てきたのは千歳くんからも預かった、決意の言葉。
「勝負、です。2人に負けないくらい、私だって、うんと強くなりますから」
気づけばその言葉と共に笑顔になっているのが分かる。
やっと言えたと、そんな思いで。
「……ははは、参った」
どれくらいの時間が経ったのか分からない。
ふと、タツが力なく笑って脱力する。
その意味が私には分からない。
けれど、その時のタツの笑顔は何だかいつもと少し違うように感じた。
力の抜けた、けれど何だか柔らかくて目の離せない、そんな笑顔。
何故だか私の顔がガーッと熱くなる。
いつだって笑顔の多いタツ。
キラキラとした笑顔に流石アイドルとずっと思っていた。
けれど今はキラキラというよりは、フワフワとした感じ。
ああ、ギャップというのはこういう笑顔のことを言うんだろうか。
とにもかくにもその威力は抜群だ。
真っすぐ向けられた笑みに、耐性のない私はたちまちカッチリ固まってしまう。
石像のように身動きを止めた私の顔が真っ赤なことなんて、きっとここにいる全員にばれてしまっているだろう。
「……すげ、俺人が恋に落ちる瞬間初めて見た」
「……一瞬だったな、落ちるまで」
私達を見て、見知らぬお客さんとシュンさんがそんなことを言っていたこと。
「……俺の妹分になんつー目向けてんだ。潰すぞ」
私の真後ろで様子を見ていたアイアイさんがそんな物騒なことを小さく口にしていたこと。
あまりにいっぱいいっぱいの私は、どちらにも気付くことができなかった。
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