ぼたん ~不器用な歌い手達が紡ぐ音~

雪見桜

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番外編

萌の事情1

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「おーい、お前らちょっと良いか?」

始まりはそんな大塚さんの言葉だった。
千歳くんと私はちょうど次のイベントの打ち合わせがひと段落した時で、2人そろってマグカップ片手に首を傾げる。
どさりと置かれたのは、大量の漫画本だ。

「“あの空は泣いた”? ああ、これ今話題の」

束の一番上に書かれていた文字を追ったのは千歳くん。
一緒に私も覗きこむと、そこには見覚えのある絵柄とタイトルだった。

「あ、これ、天才作曲家の男の子とそのクラスメイトの恋愛漫画だよね?」
「やっぱり有名なのか、コレ。漫画とかアニメには疎いんだよな……千依まで知ってるとはよっぽどだな」
「何言ってんの、大塚さん。ちーの漫画アニメ知識は俺より上だよ?」
「は? そうなのか? 千依、お前音楽以外にも趣味あったんだな」
「え、えっと……、私じゃなくて、萌ちゃんが……なんだけど」
「萌……? ああ、お前の友達か」
「うん。萌ちゃん小説から漫画、ゲームまですごく詳しいの。話聞いているうちに私もちょっと詳しくなったんだ」

人と深く関わっていくうちに趣味や価値観も影響されていくと聞いてはいたけど、本当のことみたいだ。
友達が出来なければ全く知ることのなかった世界。
日常の些細な会話からも私の知識はこうして広がっている。
それが何だかくすぐったくて嬉しくて、思わずにやけてしまう。

萌ちゃんが本好きなのはもともと知っていた。
仲良くなる前からよく本を持ち歩いているのを見ていたし、図書室によく通っていたのも知っている。
けれどこれほど広く深い知識があるのだと知ったのは仲良くなってから。
萌ちゃんはとにかく物語が好きなのだという。
純文学でも、童話でも、漫画でも、人によって作り上げられた新しい世界を覗くのが好きなのだといつだか言っていた。本があればその場で新しい世界に出会えるからと。

ああ、萌ちゃん元気かな?
受験シーズン真っただ中に入って学校も自由登校になったから全く会えていない。
頭の良い萌ちゃんは近くにあるとても偏差値の高い国立大学の文学部を目指しているんだそうだ。
そのために今が一番の頑張り時。

「千依? おーい……」
「あ、ご、ごめんなさい。萌ちゃんのこと考えてた」
「あー、そういえば萌ちゃんA大目指してるんだっけ、ラストスパートか今」
「A大? まじか、お前の友達ずいぶん頭良いな」
「えへへ、そうなの。それですっごく優しいんですよ? 会いたいなあ」

そうして思い出しながらやっぱりにやける私。
すっかり目の前の本の存在を忘れ、友達自慢を始めてしまう。
しばらく経ってようやく我に返った。

『あの空は泣いた』
大塚さんが持ってきた少女漫画もまた、萌ちゃんから教えてもらった本のひとつだ。
私の職業を知る萌ちゃんが、こんな漫画があるんだよと話してくれたもの。

音楽ものの漫画で、ヒーローの男の子が孤高の天才作曲家という設定なのだ。
天才故に孤独だった少年が愛情深い主人公の少女と出会って人との繋がりを知っていく感動系の少女漫画。
他人の関係だった2人が友人になって少しずつ仲を深め恋人になっていく……恋愛が不器用な男の子の焦れ焦れとした様子にドキドキしたし、男の子の言動に一喜一憂する女の子は可愛くて悶えたし、とても甘酸っぱいお話だった。
そして恋愛模様だけではなくて2人の絆と成長を描いた話でもあって、2人で壁を一つずつ乗り越えていくその姿はとても感動的だ。
萌ちゃんが貸してくれた本をうっかり寝る前に読んでしまって、次の日が大変だった。
後で聞けば、泣ける漫画5選なんてものにも選ばれたことのある有名な漫画なのだとか。


「で、この本がどうしたの?」

パラパラと漫画をめくりながら千歳くんが言う。
私は特に思い出に残る巻の表紙を眺めていたから、大塚さんの苦い表情には気付かなかった。

「今度アニメ化するらしいんだが。……お前らにオファー来てんだよ、キャストで」
「は? キャスト? それってまさか」
「そう、声だけだが演技。お前ら、出来るか……?」

困惑した大塚さんの声が気になり思わず顔を上げる。
千歳くんとの会話を耳に入れて、内容を理解するまでやっぱり2人よりワンテンポ遅れた。
そうしてもう一度頭で大塚さんの言葉を反芻する。
アニメ化、オファー、キャスト、演技。

「……演、技」

固まってしまうのは仕方がないと思う。
何でも挑戦……したいところではあるけれど、流石にハードルが高い。
未だ音楽番組でひっくり返らず声を出すことすら怪しい私だ、出来るだろうか?
……すごく、迷惑をかける未来しか想像できない。


「良いぞ、千依。無理なら無理って言って。さすがにお前にそこまで高度なこと求められねえよ、本業すら怪しいってのに」
「というか俺も自信ないんだけど。歌の方はともかく演技って」

慌てて大塚さんが持ってきてくれた本を読み返す。
私達2人にオファー……誰の役だろうかと、整理したかった。
ああ、そういえばこのお話にはヒーローの理解者である男女デュオがいたっけとようやく思い出す。
男の子が作曲をしてこのデュオが歌う、確かオリオンという名前で活躍する若夫婦。
最終的にオリオンは男の子の作曲した歌で世界的なスターになったはず。

……うん、きっとそうだ。
男女のユニットで、若い年齢で、プロの音楽家。
私達にオファーが来た役どころはオリオンだろう。


「あと主題歌と挿入歌も頼みたいってよ」
「それは大歓迎なんだけどね、演技さえなければ」
「お前単体なら案外何とかなりそうな気もするがな」
「それは流石に本業の人に失礼じゃない? というかどういう役どころなのさ俺達」
「プロの男女デュオ。主役男子の兄貴分と姉貴分」
「……出来ると思う? 俺達に」
「……いや、悪い。想像つかねえ」

困惑していたのは私だけではなくて、千歳くんもだった。
そういえば千歳くんは高校時代、芸能科に通っていたから役者さんの友達もたくさんいる。
演技上手な人達に囲まれ「俺には出来ない世界だ」としきりに言っていたっけ。
いくら器用とは言え向き不向きはあるみたいで、演技は千歳くんにとっては比較的不向きな部類なのだという。
発声に気を取られすぎて感情が上手く乗ってこないらしい。
「歌だと楽勝なのにな」と本人も不思議がっていた。
大塚さんもさすがに全くの畑違いであるオファーにどうするべきか悩んでいる様子で、一応と話を持ってきてくれたみたいだ。

「まあ、俺も厳しいかと思ったんだがな。随分とあちらさんが熱心でよ、“プロじゃないとオリオンの音楽性は説得力がなくなる!”って電話越しで1時間熱弁振るわれたんだよ俺」
「いや、有難い話なんだけどね……」
「流石にな。なんだが、全然折れてくれねえ。というかギャラの話までしてくるあたり、引きずり込む気満々だな」
「うわあ……、断りにくいやつじゃん」
「はあ、どう断るか……。これが主題歌と挿入歌だけならこっちも即答でOK出すんだがな」

基本的に私達はオファーを極力断らないスタンスで仕事をしている。
若手の内に経験は積めるだけ積めという方針だ。
けれど流石に私達の技量や専門分野、イメージが大きく逸脱するような仕事は大塚さんがストップをかけてくれていた。
今回もとてもありがたい話ではあるけれど、さすがに私達の技量では担えないようなオファーだと判断してくれているんだろう。とても注目度のある漫画がアニメ化して、専門でもなければ声優の能力もない私達が下手に関われば評価を下げてしまう。そんな思いもあって断る方向性で話はまとまっていたらしい。
そしていつもそういう話は大塚さんが角が立たないようやんわり断ってくれているのだ。
長年の経験で大塚さんは断り方もとても上手なのだとアイアイさんが言っていた。
けれどその大塚さんですら難航する熱量……有難いと思うと同時にどうしようとも思ってしまう。
結局私達は3人揃って唸った。


「邪魔するよ、おや休憩中かな」

部屋に社長さんの声が響いたのはそんな時だ。
気付いて挨拶をしようと立ち上がる私達。
そうして口を開きかけて、けれど声が上がらなかったのは、目に映った人物があまりに予想外だったから。
正確に言うならば、社長さんの後ろにいる数名のお客様の中の1人が、だ。


「げっ」

近くで小さく大塚さんが思わずといったように声を漏らす。
人前では決して吐かないようなセリフに普段なら「どうしたの?」くらい聞くだろう。
けれど、そんなことにも構ってられない。
視線は1人に行ったきり。

「こんにちは。社長、お客さんですか?」

私達の中で一番冷静だった千歳くんが瞬時にチトセ仕様になって応対する。
「君達にね」と社長さんがにこやかに答えるその後ろ、私が視線を向けるその人もまた私と同じように固まっていた。
目を丸くして棒立ちしている。

「ああ何だ、原作があるじゃないか。アニメ化することは聞いているかい? こちらそのアニメ監督さんと原作者さん、あと出演する声優さんだよ」

監督の方は私の知り合いでねだなんて社長さんが笑う。
「まじかよ」と小さく頭を抱えて言う大塚さん。
一瞬顔をしかめた千歳くん。
相変わらず石のままの私。

その反応を見て何か思う所があったのか、声を上げたのは監督さんの方だった。
色白で華奢で黒い眼鏡が良く似合うような若い人だ。
けれどそんな見た目からは想像がつかないほど、熱のこもった目で私達を見つめている。

「先日は急な話を持ちだしてしまい申し訳ありませんでした。いやあ、癖でついつい突っ走ってしまって」
「ああ、いえ。こちらこそご期待に沿えず申し訳ありません」

少し時間が経って冷静になったらしい大塚さんが千歳くんと交代して応対する。
その言葉に優しく微笑むと、監督さんは沸騰しそうなほどの熱い声で言葉を繋いだ。

「あの後、少々考えてみたんですが、やはり私は奏しかいないと思うんですよ!」

目が光りそうな勢いの監督さんがジリジリとこちらに距離を詰めてくる。
そのあまりの熱意にこっちが少したじろぎそうになるほど。
監督さんの後ろの方で原作者さんも何だか若干引き気味に見えるのは気のせいだろうか。

「す、すみません。とても嬉しい話ですが、僕達演技の方は……」

珍しく千歳くんまで押され気味で少し声を引きつらせている。
しかし監督さんはその言葉を待っていたとばかりに、ガッと千歳くんの肩を掴んだ。


「そこで策を考えてきたのです!」
「さ、策……?」
「ええ、貴方がたの過去の演奏を見せていただき、違和感のない声が出せる声優を呼んできました」
「……はい?」
「演技しろとは申しません。ですがどうか主題歌と挿入歌はお二人にお願いしたいのです!」

……ミュージカルを見ているみたいだなんて言ったら怒られてしまうだろうか。
監督さんはその華奢な体に似合わず発声が完璧だ。
そして動きもキビキビとしていて、自身の後ろにいる若い男女の組にバッと手を広げたその仕草が舞台上の俳優さんみたいで呆気にとられてしまう。
監督さんから満面の笑みで紹介された声優さんもまたやっぱりちょっと引きつり気味に見えた。

けれど、私の一番の驚きはそこではない。
心臓はバクバクと煩くて、頭はぐるぐるとこんがらがっている。
パニック状態で上手く整理できずに「どうして」ばかりが頭にめぐった。
紹介された声優さんの男性の方、その人物を私はきっとよく知っている。
だからさっきからずっと石になってしまったのだ。

「……宮下、くん?」

とても小さな声で、けれどやっと私はその時に名前を呼ぶ。
呼ばれた先の彼も、困惑気味に頷き返事をくれた。

「お前、やっぱり中島……か?」

そう、そこにいたのは爽やかイケメンのクラスメイト。
大事な親友、萌ちゃんの恋人である宮下くんだった。

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