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第一次世界大戦と日本

2話 ロシア革命

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社会主義は、資本主義がもたらした社会問題を解決しようと生まれた思想でしたが、国境をこえた労働者の団結と理想社会を目指す運動になって、各国に広がった。
ロシアでも、政府による弾圧にもかかわらず、社会主義は勢力を拡大していった。
第一次世界大戦が総力戦として長引き、民衆の生活が苦しくなると、ロシア戦争や皇帝の専制に対する不満が爆発した。
1917年に「パンと平和」を求める労働者のストライキや兵士の反乱が続き、彼らの代表会議(ソビエト)が各地に設けられた。
皇帝が退位して議会が主導する臨時政府ができたが、政治は安定せず、社会主義者レーニンの指導の下、ソビエトに権力の基盤を置く新しい政府ができた。(ロシア革命)。
この革命政府は、史上初の社会主義の政府だった。
革命政府は、銀行や鉄道、工場など重要な産業を国有化し、土地を農民に分配するなど、社会主義の政策を実行する一方で、民族自立を唱え、ドイツと単独で講和を結び、第一次世界大戦から離脱した。
ロシア革命は、資本主義に不満を持ち、戦争に対する人々に支持され、各国で社会主義の運動が高まった。
しかし、イギリス、フランス、アメリカ、日本などは、革命政府の外交方針に反対し、また社会主義の影響の拡大をおそれて、ロシア革命への干渉戦争を起こし、シベリア出兵を行った。
革命政府は労働者と農民を中心に軍隊を組織して干渉戦争に勝利し、国内の反革命派も鎮圧して、1922年にはソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)が成立した。
しかしソ連はしばらくの間、国際社会から国として認められなかった。
ロシア革命を指導した政党は、将来の共産主義の実現をかかげていたため、名前を共産党に改めた。
共産党は他の国にも設立され、ソ連共産党を頂点とする国際的な機関も結成されたが、ソ連以外では社会主義革命は実現しなかった。このためレーニンの後に指導者になったスターリンは、ソ連一国での共産主義化を優先し、1928年からは五か年計画を始めて、重工業の増強と農業の集団化を強行した。
この計画経済によって、ソ連は国力をのばした。
しかしその一方で、国の強硬な方針に批判的な人々は、追放されたり処刑されたりして、多くの犠牲者が出た。

今回は、ありがとうございました。
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