桜のある場所

alphapolis_20210224

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桜のある場所

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 大木を切り倒すというのはあまり気持ちのいいものではない。このヨネンザクラも樹齢五十年以上だろう。立派な木で、名前の通り四年ごとに薄桃にわずかに黄色みの混じった八重の花を咲かせてきた。
 しかも、この公園のものは開花の時期が閏年になったうるう桜だ。他のヨネンザクラと変わる所はないのだが、昔から縁起を担いだり暦で占いをしたりする人たちからは特殊な桜として珍重されてきた。

 しかし、街中に残しておくのは有害となった。役所など公的機関には問い合わせと苦情が絶えない。

 周囲の安全を確認して作業を始める。それほど堅い材質ではない。明るい色の木屑が舞う。

 遠くからくしゃみが聞こえてきた。偶然だろうが、もしかしたらヨネンザクラのせいかも知れない。
 ちなみに、花粉アレルギーはその言葉が知られるよりずっと前からあって、ヨネンザクラのくしゃみ、いわゆる花嚔はなくさめは季語にもなっている。
 でも、症状の出ている人からすればそんな風流どころではないだろう。幼児や老人などは度重なるくしゃみで体力が低下、他の病気への抵抗力を奪われる場合もある。

 ヨネンザクラはとても強い。もともと厳しい環境で育つ木で、四年ごとの開花も極端な低栄養下でじっと養分を蓄える性質による。防虫成分を豊富に含むので手入れの手間がかからず、開花時期をずらして植えれば毎年花を楽しめる。街路樹向きだったため全国に普及した。一時はソメイヨシノと勢力を争っていたほどだ。

 ところが、近年ヨネンザクラ花粉のアレルギーを持つ人が急激に増え、また発症者の重症化が見られるようになった。

 ああ、切っちゃうんだねえ、と機械の騒音をくぐってお年寄りの残念そうな声が聞こえてくる。ヨネンザクラ自体は珍しいものではなく、研究機関などで十分に保管されているため、樹齢五十年であっても移植は見送られた。全国でもそうだろう。

 花粉は常時舞っている。植物界でも屈指の微細さと耐久力を持つ花粉は葉や樹皮上などに残り、強風など機会があれば再浮遊して数年は漂い続ける。それというのもヨネンザクラは他の開花周期の個体としか受粉しないからだ。例えば、今切っているうるう桜は閏年開花の木以外としか交配できないし、自家受粉もしない。
 つまり、一旦ヨネンザクラ花粉のアレルギーが発症するとスギやヒノキ等とは異なり年中苦しむ。それが人々の強い不満となった。花粉を飛ばさないよう品種改良も検討されたが、観賞用としてはソメイヨシノがあり、材としては取り立てて良いものでもないので、わざわざその手間と費用には及ばないとして市中から追放する決定となった。

 閏年開花なので昭和三十九年の東京オリンピックのシンボルになり、全国いたる所に植えられたうるう桜ももうほとんど見られない。研究機関でも花粉が外部に漏れないように空調付きの施設で栽培している。檻に閉じ込めているようなものだ。桜自身には何の罪もないのだが。

 作業完了。手頃な大きさに切ってトラックに積む。五十年があっというまにただのごみとなった。残り十二本。この公園のはすべてうるう桜。今年の開花の前に処理してしまう。

 人の記憶などあっという間に消えていく。砂漠にこぼした水だ。こんな木があったという思い出も子供たちには伝わっていかないだろう。

 けれども、この短い文を読んだ人たちだけは、ヨネンザクラとその一種であるうるう桜が街中に普通にあり、可愛らしい花をつけ、堂々とした幹と枝ぶりで人々に親しまれていたと覚えておいてほしい。

 あなたの心の中のヨネンザクラは誰であれ伐採する事はできないのだから。

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