11 / 40
十一、喉を鳴らすクツシタ
しおりを挟む
ローセウス将軍はアイルーミヤ調査官の報告を聞きながら、膝に乗ったクツシタの背をなでていた。本来は直属なのだから王にすべきなのだが、今の地位では会話は困難なので、現地の将軍に報告している。アイルーミヤは、陛下は目覚めたばかりで細かい所まで行き届かないのだろうな、と思っている。
報告の場は、僧正将軍の名が出た時、執務室から彼女の私室に移された。将軍なりの気遣いなのだろう。
「そうか、僧正将軍に聴取できたのか。あの文書を補強する有力な証拠だな」
「はい。しかし、撹乱かも知れません」
「部屋を変えたんだから楽にしろ。アールゲントだろう? それは考えなくてもいい。お前も偽情報などとは思っていないはずだ」
ローセウス将軍は茶を飲み、アイルーミヤにも勧めた。
「あそこは奪い返した後に技術者どもが降霊したが、何の役にも立たん下級霊しか出なかったんだ。なるほど、お前だからこそだな」
茶を飲むアイルーミヤを見ながら、将軍は一人で納得している。
「つまり、婚約というのは本当に文字通りの意味だったのか。陛下も隅に置けない」
「陛下はどうされるおつもりでしょうね」
「アイルーミヤ。お前はどう思う?」
「分かりません。それと、もう一つ分からないことがある。そういう事情がありながら、なぜ私に調査を命じられたのか。陛下の中では答えの出ていた疑問だったはず」
「我々は考えを改めないといけないかもな」
ローセウス将軍の目が細くなる。
「つまり、我々は当然のように、王と女王の無謬性を信じている。お前が感じている疑問も、彼らは誤らないと言う前提があればこそだ」
将軍は茶碗を口元まで持っていったが、飲まずに置いた。
「だが、そうではなかった。違うか。アイルーミヤ」
「ローセウス将軍。そのくらいで」
「ここは大丈夫。技術者と私が二重に検査している」
アイルーミヤはしばらく黙った。そして、思い切ったように口を開いた。
「闇の王、光の女王と呼び、それぞれ『変化』と『安定』を象徴しているとされ、その性質や主義に従ってずっと対立し、争ってきた。でも、それも本当なのかな。ただの思い込みって事は?」
「今度はお前が恐ろしい事を言い出したな。この世の根本原理を疑うのか」
「根本、と言う事になっているだけですよ」
「では、どうする?」
「もっと知りたい。今の地位はちょうどいい。執務室に縛られないで済む」
「そうだな。こうなってみると、お前が羨ましいよ。アイルーミヤ」
将軍は今度は茶を飲んだ。
「ただし、時間はあまり無いかもしれんぞ。これはここだけの話だが、ひとつ教えておいてやろう。遠からず西の帝国に進出する。その準備として、山の巨人、森の獣人、水辺の妖精各部族をこちらの味方に引き入れる予定だ。そうなったらすべてが戦争準備に振り向けられる。そこは心しておけよ」
「早すぎないか。占領地の整理も出来てないのに。人口だって増えてない」
「陛下直々の命令だよ。早く封印次元から完全に出たいとのご要望だ。あ、婚約については何も仰らなかったし、誰も聞かなかった。いや、聞けなかった、だな」
アイルーミヤはまた黙った。もう一度繰り返すのか。陛下はどうしたいのだろう。まさか。
「陛下は婚約不履行による自滅をお望みか?」
「考えたくないが、否定も出来ないな」
「自分から申し込んだのに」
「アイルーミヤ。まだ甘いな。申し込んだのが闇の王、と言う事実があるだけだ。そこに至るまでに何があったかは分からない。それに、結婚するつもりがないとは言い切れない」
「しかし、それならこの世に一部でも出てきた時に返事をすれば良かった」
「それはそうだな。陛下は何を考えておられるのか。光の女王の信者のように、疑わず信じていられたらどれほど楽か」
「それが女王の強さなのでしょう。信者は疑う事を許されない」
「なら、女王の方がよっぽど残忍だな」
アイルーミヤは返事をしなかったが、王も女王もどっちもどっちだ、と思い、そう考えた自分に驚いた。
いつの間にかクツシタが膝に乗っていたのでなでた。喉を鳴らしていた。
「今日の報告、ルフス将軍とフラウム将軍にも伝えていいな?」
「もちろん」
「お前も陛下と話がしたいか」
「ええ。それに変ですよ。立場は陛下の直属なのに」
「それはそうだ。将軍しか会話できないというのはな。陛下は案外抜けている所もある、という事か」
ローセウス将軍の考えている事が分かりにくくなった、とアイルーミヤは感じた。少なくとも、闇の王に対する無条件の信頼は無くなったようだった。
そして、それは彼女も同じだった。
「調査の予定は?」
「今までと同じ。高位の僧に聴取し、寺や遺跡を回る」
「聴取は気をつけてくれ。こっちが情報を与える事になりかねない」
「分かっています。明日から取り掛かっていいですか」
ローセウス将軍は頷き、席を立った。アイルーミヤはクツシタを降ろして立つ。
「アールゲントはどうだった?」
「怨みの念だけ」
「怨みだけで五百年?」
「『三つ目の鬼婆』と言われました」
身分が上とは言え、これ以上踏み込まれたくなかった。アイルーミヤは、察してくれという思いを含ませて言った。
「『二枚舌の冷血猿』については聞かれなかった?」
将軍は大笑いしてそう言い、彼女を部屋の外に送った。
「おやすみ。私が言うのも変だが、ご苦労だった」
「ありがとうございます。失礼します。おやすみなさい」
報告の場は、僧正将軍の名が出た時、執務室から彼女の私室に移された。将軍なりの気遣いなのだろう。
「そうか、僧正将軍に聴取できたのか。あの文書を補強する有力な証拠だな」
「はい。しかし、撹乱かも知れません」
「部屋を変えたんだから楽にしろ。アールゲントだろう? それは考えなくてもいい。お前も偽情報などとは思っていないはずだ」
ローセウス将軍は茶を飲み、アイルーミヤにも勧めた。
「あそこは奪い返した後に技術者どもが降霊したが、何の役にも立たん下級霊しか出なかったんだ。なるほど、お前だからこそだな」
茶を飲むアイルーミヤを見ながら、将軍は一人で納得している。
「つまり、婚約というのは本当に文字通りの意味だったのか。陛下も隅に置けない」
「陛下はどうされるおつもりでしょうね」
「アイルーミヤ。お前はどう思う?」
「分かりません。それと、もう一つ分からないことがある。そういう事情がありながら、なぜ私に調査を命じられたのか。陛下の中では答えの出ていた疑問だったはず」
「我々は考えを改めないといけないかもな」
ローセウス将軍の目が細くなる。
「つまり、我々は当然のように、王と女王の無謬性を信じている。お前が感じている疑問も、彼らは誤らないと言う前提があればこそだ」
将軍は茶碗を口元まで持っていったが、飲まずに置いた。
「だが、そうではなかった。違うか。アイルーミヤ」
「ローセウス将軍。そのくらいで」
「ここは大丈夫。技術者と私が二重に検査している」
アイルーミヤはしばらく黙った。そして、思い切ったように口を開いた。
「闇の王、光の女王と呼び、それぞれ『変化』と『安定』を象徴しているとされ、その性質や主義に従ってずっと対立し、争ってきた。でも、それも本当なのかな。ただの思い込みって事は?」
「今度はお前が恐ろしい事を言い出したな。この世の根本原理を疑うのか」
「根本、と言う事になっているだけですよ」
「では、どうする?」
「もっと知りたい。今の地位はちょうどいい。執務室に縛られないで済む」
「そうだな。こうなってみると、お前が羨ましいよ。アイルーミヤ」
将軍は今度は茶を飲んだ。
「ただし、時間はあまり無いかもしれんぞ。これはここだけの話だが、ひとつ教えておいてやろう。遠からず西の帝国に進出する。その準備として、山の巨人、森の獣人、水辺の妖精各部族をこちらの味方に引き入れる予定だ。そうなったらすべてが戦争準備に振り向けられる。そこは心しておけよ」
「早すぎないか。占領地の整理も出来てないのに。人口だって増えてない」
「陛下直々の命令だよ。早く封印次元から完全に出たいとのご要望だ。あ、婚約については何も仰らなかったし、誰も聞かなかった。いや、聞けなかった、だな」
アイルーミヤはまた黙った。もう一度繰り返すのか。陛下はどうしたいのだろう。まさか。
「陛下は婚約不履行による自滅をお望みか?」
「考えたくないが、否定も出来ないな」
「自分から申し込んだのに」
「アイルーミヤ。まだ甘いな。申し込んだのが闇の王、と言う事実があるだけだ。そこに至るまでに何があったかは分からない。それに、結婚するつもりがないとは言い切れない」
「しかし、それならこの世に一部でも出てきた時に返事をすれば良かった」
「それはそうだな。陛下は何を考えておられるのか。光の女王の信者のように、疑わず信じていられたらどれほど楽か」
「それが女王の強さなのでしょう。信者は疑う事を許されない」
「なら、女王の方がよっぽど残忍だな」
アイルーミヤは返事をしなかったが、王も女王もどっちもどっちだ、と思い、そう考えた自分に驚いた。
いつの間にかクツシタが膝に乗っていたのでなでた。喉を鳴らしていた。
「今日の報告、ルフス将軍とフラウム将軍にも伝えていいな?」
「もちろん」
「お前も陛下と話がしたいか」
「ええ。それに変ですよ。立場は陛下の直属なのに」
「それはそうだ。将軍しか会話できないというのはな。陛下は案外抜けている所もある、という事か」
ローセウス将軍の考えている事が分かりにくくなった、とアイルーミヤは感じた。少なくとも、闇の王に対する無条件の信頼は無くなったようだった。
そして、それは彼女も同じだった。
「調査の予定は?」
「今までと同じ。高位の僧に聴取し、寺や遺跡を回る」
「聴取は気をつけてくれ。こっちが情報を与える事になりかねない」
「分かっています。明日から取り掛かっていいですか」
ローセウス将軍は頷き、席を立った。アイルーミヤはクツシタを降ろして立つ。
「アールゲントはどうだった?」
「怨みの念だけ」
「怨みだけで五百年?」
「『三つ目の鬼婆』と言われました」
身分が上とは言え、これ以上踏み込まれたくなかった。アイルーミヤは、察してくれという思いを含ませて言った。
「『二枚舌の冷血猿』については聞かれなかった?」
将軍は大笑いしてそう言い、彼女を部屋の外に送った。
「おやすみ。私が言うのも変だが、ご苦労だった」
「ありがとうございます。失礼します。おやすみなさい」
0
あなたにおすすめの小説
私はもう必要ないらしいので、国を護る秘術を解くことにした〜気づいた頃には、もう遅いですよ?〜
AK
ファンタジー
ランドロール公爵家は、数百年前に王国を大地震の脅威から護った『要の巫女』の子孫として王国に名を残している。
そして15歳になったリシア・ランドロールも一族の慣しに従って『要の巫女』の座を受け継ぐこととなる。
さらに王太子がリシアを婚約者に選んだことで二人は婚約を結ぶことが決定した。
しかし本物の巫女としての力を持っていたのは初代のみで、それ以降はただ形式上の祈りを捧げる名ばかりの巫女ばかりであった。
それ故に時代とともにランドロール公爵家を敬う者は減っていき、遂に王太子アストラはリシアとの婚約破棄を宣言すると共にランドロール家の爵位を剥奪する事を決定してしまう。
だが彼らは知らなかった。リシアこそが初代『要の巫女』の生まれ変わりであり、これから王国で発生する大地震を予兆し鎮めていたと言う事実を。
そして「もう私は必要ないんですよね?」と、そっと術を解き、リシアは国を後にする決意をするのだった。
※小説家になろう・カクヨムにも同タイトルで投稿しています。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます
綾月百花
ファンタジー
リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。
悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる
竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。
評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。
身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。
裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね
竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。
元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、
王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。
代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。
父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。
カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。
その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。
ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。
「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」
そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。
もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。
40歳のおじさん 旅行に行ったら異世界でした どうやら私はスキル習得が早いようです
カムイイムカ(神威異夢華)
ファンタジー
部長に傷つけられ続けた私
とうとうキレてしまいました
なんで旅行ということで大型連休を取ったのですが
飛行機に乗って寝て起きたら異世界でした……
スキルが簡単に得られるようなので頑張っていきます
クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双
四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。
「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。
教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。
友達もなく、未来への希望もない。
そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。
突如として芽生えた“成長システム”。
努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。
筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。
昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。
「なんであいつが……?」
「昨日まで笑いものだったはずだろ!」
周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。
陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。
だが、これはただのサクセスストーリーではない。
嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。
陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。
「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」
かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。
最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。
物語は、まだ始まったばかりだ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる