乱数勇者異世界転生

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七 脳筋勇者気絶(体力十一、知性四、運九、魅力六)

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 朝、まだ空は暗いころ、イチバンが灯りを持っておこしに来た。さっと身支度と洗面を済ませて『預言の池』に行くと、女官たちは全員すでに集合しており、かがり火がたかれていた。
 水が立ち上がって漢字が揺らめている。

『体力十一、知性四、運九、魅力六』

 みんなこちらを見て「おはようございます」と声をかけてくるが、すぐにでも説明してほしそうだ。
 メモを取りながら表示されている意味を解説すると、サンバンが朝っぱらから大声で言う。
「きのうと逆だ。気に入った。後で腕相撲でもしよう」
「サンバン、失礼ですよ」
 イチバンがたしなめるが、ダイスケはそんな風に扱ってくれるのがくすぐったくてうれしかった。
「あっ、字が変わる」
 ニバンが指をさし、みんな注目する。漢字が揺らめいてダイスケ以外のみんなが読める字になった。こんどはダイスケが説明してもらう番だ。
「なんて書いてあるの?」
「『ちゃんこ鍋おいしかった』とあります」
 ヨンバンが読んでくれたが、読み終わるとその下からまた字が出てきた。
「『雑炊もよかった。また教えろ』と出てきました」
 ヨンバンが読み終わると水スクリーンは崩れた。「ダイスケ様は勝ったんだわ」と感に堪えないようにつぶやく。
「ヨンバン、すこし軽率ですよ。これはサイ様がお考えあって勝ちをおゆずりになられたのです」
 イチバンが叱るとニバンが同意するようにうなずき、ヨンバンはしゅんとして小さくなった。
 ダイスケはふたりに気づかれないようにヨンバンにウィンクし、「やったぜ」と声にせずに口を動かして言った。サンバンはそうするダイスケを見て微笑んだ。
 今朝はお伺いを立てないので、朝食は手伝いが作った献立だった。やはりテーブルの上だけ見れば、ここが異世界だとは信じられない。茶粥、焼き魚、香の物、具が多めの味噌汁が湯気を立てている。
 食べているうちに外が薄明るくなってきて、鶏が時を作った。
「やりましょうか?」
「やろう」
 茶を飲んだ後、出かけるまですこし時間があったのでサンバンと腕相撲をした。ふっくらした手は温かかった。
「なに賭けます?」
 組んだ腕越しにささやきかけてくる。ふたりとも、イチバンの不機嫌な表情には気づいていない。
「え、いいの? 賭け事なんて」
「物じゃなかったらいい。じゃ、三本勝負であたしが勝ったらいっしょにお風呂な。よし、一本目はじめ」
「まった」
 制止もきかず、賭けの条件を勝手にひとり決めしたサンバンは容赦なく力を込めてくる。筋肉が盛り上がっている。ダイスケは負けるわけにはいかないと力を出すが、もともと運動好きではないので腕はひょろひょろと細かった。
「けっこう強いね。見た目より」
 サンバンが言う。ダイスケはきのう体力四できょうは十一だが、これによって急に筋肉がついたり体形が変わったりはしていない。しかし、サンバンを受け止め、じりじりと倒していく。
 イチバンは止める機会を失ってしまったようで、ほかの者たちと同様にぽかんとして見ている。手伝いたちも驚いて見ていた。「サンバンさんが腕相撲で押されてるよ」
 そして一本目はダイスケが勝った。
「うーん、腕を変えよう」
 二本目はサンバンの言うとおり逆の腕で戦ったが、やはりダイスケが勝ち、ストレートで賭けに勝利した。
「完全に負けた。また勝負しようよ」
 サンバンは負けたのに機嫌よく笑っている。
「そういや、ぼくが勝った時の条件言ってなかった。体力値が低い時の勝負はなしな」
「わかった。いま手合わせした感じだと、九以下の時は挑まないことにする」
「それと、条件勝手に決めるのもなし」
「いいえ、賭け自体禁止です。物じゃなくてもいけません」
 ここぞとばかりイチバンが声を荒げる。
「さあ、もう出かけますよ。ダイスケ様、ニバン、準備をしてください」
 ダイスケはいったん部屋にもどってサンダルからブーツに履き替え、きのうもらった首飾りをかけた。きょうは重く感じない。
 それから洗面道具と筆記用具が入っているのを確かめて革袋を持った。村で一泊する予定だ。
 下に降りると二人も準備できていた。儀式の用意などでダイスケより大荷物になっている。
「荷物もつよ」
 そう言ったが、「これもわたしたち女官の信仰の証ですから」とイチバンは首を振る。ニバンもうなずいていた。
「いってらっしゃい」
「気をつけて。村長さんによろしく」
 サンバンとヨンバンが見送り、ようやく太陽が頭をのぞかせて明るくなってきた空の下、三人は山を下りていった。

 山道は樹木のせいでまだ薄暗いが、足元はつまづかないていどには見える。舗装はされておらず、要所は木や石で泥が流れないように止めてあった。道幅は山道にしては広めで、イチバンとニバンが横にならんで先に立ち、ダイスケがうしろからついていった。
 中腹まで降りてきたころ、木々のすき間から日光がさしこみ、地面を直接朝日が照らした。轍の跡が浮かび上がる。食べ物などは荷車で運び上げているのだろう。
 小鳥がさえずっている。あれはウグイスじゃないか。練習中のようで、ホー、と伸ばしてやめてしまうか、忘れたころにホケキョ、とか、ケキョとだけ鳴く。
 ダイスケはがまんできなくなってそういう中途半端なウグイスがいたら口笛で後を続けてやった。
 ホー……、「ホケキョ」
 そうしていると、前のふたりの肩が揺れている。声を殺して笑っていた。ダイスケは照れ臭くなった。
 山から村に入ると、すでに一仕事終えた人々があぜ道から三人に頭を下げる。ダイスケを見ておや、という顔をするが、揺れる首飾りでかれらなりに納得し、女官のふたりとおなじように朝の挨拶をしてきた。
 人々の衣服はダイスケや女官たちのものより色や飾りが多くつけられており、うしろからでも男女の区別がつくようなデザインだった。とくに帽子に凝っているようで、日よけのつばは麦わら帽子のように広く、草花を挿したり、色鮮やかな布を巻いたりしている。農作業をしていても一人一人が目立つようにしているのだろう。
 どこからか、細く長く引き伸ばすような声の歌がきこえてくる。歌詞がよくわからない。
「あれはなんの歌? なんて歌ってるの?」
「農作業の歌です。『虫さん、土の中で寝ていたのに起こしてごめん、食べるための仕事だから許してね』と歌っています」
 ニバンが教えてくれた。
 もう日は高くなり、草いきれが立ち上っている。流れるほどの汗はかかないが、肌がじっとり湿る。
「下は湿気があるなあ」
「ええ、ご不快ですか」
 振り返ってイチバンが言う。
「いや、このくらいは全然」
 ダイスケからすれば、ビルや歩道の照り返しがなく、空調の室外機からの熱風がないここはすごしやすいくらいだった。
 ふと見ると、道端に家畜が落としたらしい糞がある。蠅と蟻がたかっていた。さっきの歌と合わせて考えると、虫がいないんじゃないんだな、と昨夜のことを思い出した。
「村長さんの家はこの先です。まずはそこへ行きましょう」
 イチバンが畑のかなり向こうに見える家を指さした。小さな家に囲まれて大きな家がある。たぶんそれが村長の家なのだろう。家々の瓦屋根が、日光を反射して歩くたびにきらきらしている。
 そのころには小さな玉になっていた額の汗を手の甲で押さえながらようやく村に入ると、みんな畑仕事に出かけているのかひっそりしていた。人口三百人ほどというが、水路の水は澄み、村の中央を通る道はきれいに掃除されている。元の世界では都会育ちのダイスケでもこの村の豊かさがうかがわれた。
 村長の家についてみると、家そのものはほかと比べてさほど大きくはなかった。大きいのは横の建物で、過去の質問と神託を収めている資料庫だった。漆喰らしいもので塗られており、時代劇で見た江戸時代の蔵のように見えなくもない。
 家のつくりは神殿付属の住居棟とおなじで、石と木、瓦屋根だが平屋建てだった。どの家もそうだが、周囲の囲いはひざほどの草花が植えてあるだけだ。境を示すだけで、防犯目的ではなさそうだ。

 村長はその境のところまで出向いて三人をむかえた。じゃらじゃら音のする飾りのついた帽子を取ってお辞儀をする。
「こんにちは。ご苦労様でございます。お待ちしておりました。まずは中へどうぞ」
 作業着ではなく、りっぱな服と装飾品を身につけている。ダイスケがいることにもなんの反応も見せない。
 室内は質素だが掃除が行き届いている。石畳の床にはごみなどは落ちていない。中央のテーブルはよく拭き込まれた黒い木で椅子と揃いだった。
「先にいつもの部屋にどうぞ。荷物をおろしてきてください。しかし三人ですと、ふたりとひとりになりますが」
「わたくしとニバンがひと部屋に入ります。寝具だけお貸しください」
 イチバンが答え、村長は若い女性に指示して準備させた。しつけが行き届いているようで、村長とおなじくダイスケをじろじろ見たりしない。この人が神殿の手伝いに来たらいいのに、と思う。
 ダイスケは案内された部屋に入った。神殿住居棟の部屋よりひとまわり広いが、家具が多いのでせまく感じられた。タンスやサイドテーブル、ベッドと寝具は草花の意匠の飾りで統一されている。そこに革袋を放り出すと、また最初の部屋にもどった。
「どうぞ、おかけください」
 村長は三人が座ってから座った。さっきの女性がお茶とお茶請けを運んできた。良い香りの緑茶と香の物だった。
「いただきます」
 イチバンが茶を一口飲んだ。ダイスケはこれからの話はふたりに、とくにイチバンにまかせようと考えている。知性四、魅力六では口を開けば足を引っ張るだろう。
「神託の結果ですが、このように下りました」
 ニバンをうながし、書類を広げさせた。
「失礼」
 そう言って村長は書類を手元に引き寄せて読んでいる。それから大きくうなずいて微笑んだ。
「いつもながらサイ様の神託はすばらしい。これで種子の不安が解消されました。これはまた資料庫に収めておきます」
「わたくしたちはサイ様の光の下で生きております。その信仰の証として神託が下されます」
「その通りですな。イチバン様」
(『様』なんだ)
 村長ははじめてダイスケをちらりと見た。イチバン、ニバンにはそれでじゅうぶんなようだった。
「こちらはサイ様のお遣わしです。長い話になりますが、いきさつを書いた文書をお持ちしました。それにもとづいて説明しますので、町や村の主だった方たちへは村長から伝えていただきたいのです」
「よろしいですとも。長い話であれば茶請けだけではなく菓子をお持ちしましょう。町で手に入れたものです。海外からの渡来品だそうですよ」
「どうか、お気遣いなく」
 イチバンはそういうが、横目で見るとニバンの目がきらきらしている。
(すこしは腰回りを気にしろよ)

 いつものように、イチバンが説明し、ニバンが補足している。村長は、ダイスケが異世界から来たと言うところでは驚いたが、その後はとりたてて驚いたようすを見せなかった。あまりいっぺんにそういう事実をならべられて麻痺したようだった。
 ダイスケが神のお遣わしだとか、サイ様がこの世界の問題を探っているとか、この世界はサイ様の姉が作った世界の写しであるとか、なにもかもが洪水のように村長の耳に流れ込む。また、イチバンも情報を隠す気はまったくないようだった。みんな信頼しあっているのだろう。ダイスケはそのあけっぴろげなやり方が気に入った。

「それでは、わたしたちはどうすればいいのですか」
「いままで通りで結構です。義務も責任も変わりありません。ただ、こちらのダイスケ様もわたしたち神殿の女官とおなじく待遇いただければよろしいのですよ」
「そうですな。いきなりいろいろたくさんの事実が明らかになったものですからとまどいますが、よく考えてみれば、わたしたちの暮らしに変化はないと言うことですね」
「まったくありません」
 イチバンが微笑む。
「あの、もうすこしいかがですか」
 ニバンの菓子皿が空になっている。渡来品の菓子というのはクッキーで、バターも卵も砂糖もけちらずにたっぷりつかって焼き上げられていた。形さえ整えれば、ダイスケの元の世界でも売れるような味だった。いや、田舎風クッキーとか言ってこのまま売ってもいいかもしれない。
 村長が奥に声をかけると、さきほどの女性が出てきてみんなの皿にクッキーを足し、紅茶を注いでくれた。
 それから雑談になり、農作業や牧畜について話し、また、ダイスケが来たことで食料品などを多めに届けたほうがいいのか相談していると、遠くから悲鳴のような細いかすかな声がきこえてきた。

 みんな話をやめて耳をすませる。やはり悲鳴のようだ。
「お待ちください。確かめてまいります」
 村長が出ていき、三人は不安げに顔を見合わせる。またきこえてきた。
「大変です! 子供が、馬に。助けてください」
 青い顔をして駆け戻ってきた。もういままでの落ち着きはない。
「早く、畑に行って男どもを呼んで来い! 倒れた馬にエトのところのちびがはさまれた。堆肥置き場だ」
 村長の言葉をきいた女性は、いままで静かに茶や菓子の世話をしていたのと同一人物だろうかという勢いで飛び出していく。
「どうしたのですか」
 イチバンが心配そうにきく。

 あわてる村長のとぎれとぎれの言葉によると、今朝熱があって畑に連れて行ってもらえなかったちび助が、ちょっと直ってきたからなのか、お守りのおばあさんのすきを見て家を抜け出したらしい。そして堆肥置き場のあたりで倒れた馬の下敷きになっているのを、探しに出たおばあさんが見つけたとのことだった。悲鳴はそのおばあさんだった。

「なら、とにかく行きましょう」
 ダイスケが村長をうながし、村長は走り出した。ふたりもついてくる。
「たぶん、馬も勝手に抜けだしたんでしょう。もう畑仕事もできない老馬で、飼われてるだけでしたから」
 走りながら言う。すこし掘って低くしてある堆肥置き場は村はずれにあり、ごみ捨て場としても使われていた。馬が足を天に向けて転がっており、そばにおばあさんが這いつくばるようにして腹の下をのぞきこんでいる。
「ばあさん、危ないぞ。転がったらあんたも下敷きだ」
 村長が言うが、そのおばあさんは泣きながら首を振っている。そののぞきこむ先に小さな手が見えた。
「まだ脈があるんです。助けてください」
 手首を握り、もうかすれた声を振り絞る。
「堆肥のおかげだよ。やわらかいからめり込んだようになってるんだ。すぐどかせば助かる」
 ニバンが言う。
「男どもはまだか」
 村長はあせっている。老馬とはいえそう簡単にどかせられるものではない。それに下手に動かして下の子供になにかあってはいけない。
「馬はもうだめだ。転がった時に死んだのか、死んだから倒れたのか」
 村長が馬の目を見てつぶやいた。ダイスケが小さな手から目をはなさず言う。
「堆肥なんだから、下を掘って引っぱりだそう」
「馬の体重で崩れるよ。もっと押しつぶされかねない」
 ニバンが否定した。
「なら、ぼくが支える。いくら馬が重いからって持ち上げるんじゃあない。転がらないように支えるくらいならできるさ。動かないようにしてるからすぐ下を掘って引きずりだしてくれ」
「下手したらダイスケ様も巻き込まれるよ」
「その時はぼくの体を支えにしたらいい。それにぼくはけがしてもすぐ治る。とにかく早くしよう」
 ダイスケは堆肥置き場に入り、体を低くして斜め下から馬の腹に肩を押し当てた。村長と二人が腹の下から堆肥をかきだす。老婆は小さい手を引っ張っている。
 堆肥がかきだされるにつれ、馬の体重が肩にかかってきた。重いと言うより痛い。下を見ると頭が出ており、泥まみれの髪が見えている。
「ダイスケ様、もうちょっとです」
 イチバンが悲鳴のように言う。顔が出ると、すすり泣くような声がした。
「泣いてるなら大丈夫。もうちょっとがんばっていてください」
 村長が声をかけてきた。ダイスケは自分の肩、背中、腰がはじけるような感覚がしていた。唇がぬるぬるする。鼻水かよだれが出たかと思ったら鉄の味がした。知らないうちに鼻血が出たのか、唇をかみ切っていたのかわからない。
 子供の上半身が見えるようになったところでそれ以上掘るのをやめ、村長がわきの下からかかえて引っぱる。はじめはじりじりすこしづつだったが、いきなり抜けた。
「抜けました。もういいです。あなたも離れて」
(いや、そう言われても。はまりこんだみたいだ)
「どうしよう。こんどはダイスケ様が」
「村の人たちは。まだなのですか」
 イチバンとニバンが大声をあげる。そこへ子供の元気な泣き声がした。ダイスケはほっとしたが、それがいけなかったらしい。もう支えきれなくなった老馬がのしかかってきて、視界が真っ暗になった。
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