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番外編

2. 涼子編(前編)

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 海堂夫妻を家に招いて結婚祝いを兼ねた楽しい食事会がお開きとなり、帰る2人を玄関で見送ると、哲哉さんが腕まくりをしながらキッチンに向かった。
 「後片付けは俺がやるからゆっくりしていろ」
 「え~、私も手伝うよ」
 「いいから。涼子は食事の準備やら何やらで大変だっただろう。悪かったな、俺は料理があまり得意じゃないから」
 「大丈夫、そんなに大変じゃなかったし、みんなたくさん食べてくれたから作り甲斐があったよ! じゃあ、お言葉に甘えてお願いするね。私はお風呂入れてくるから」
 私はニッコリ笑うと浴室へ行った。
 
 リビングのソファで寛ぎながらでテレビを見ていると洗い物を終えた哲哉さんが隣に座った。
 「お疲れ様。ありがとう、助かったわ」
 哲哉さんが軽く首を振り「たいしたことないよ」と言った。
 「今夜は楽しかったね~! 思いっきりはしゃいじゃった!」 
 「そうだな。そういえば、ここに人を呼んだのは俺たちの両親以外では初めてだよな。久しぶりに賑やかな夜だった。涼子はずっとハイテンションだったな」
 「だってぇ~私のカワイイカワイイ後輩が結婚したのよ! 美沙絵ちゃん、初恋の先生と再会して結ばれて幸せいっぱいで…。これが喜ばずにいられる? そ・れ・に、念願の『生』海堂先生と会えたのよ! 前に写真で見たけど実物は写真の数倍以上イケメンで驚いたのなんのって! ホントにカッコよかった~! 目の保養になったわぁ~」 
 「先生は絶対にモデルもやった方がいい、ってしきりに言ってたもんな。結城君も一緒になって笑って、内緒でモデル事務所に写真と履歴書送っちゃおうかなって言って海堂君を本気で困らせてたし。でも、色々話していて感じたが、彼はとてもしっかりしていて教師としての使命感に燃えていて素晴らしい人物だと思ったよ。ああいう教師に出会えた子供たちは真っ直ぐに成長するだろうし、充実した学校生活を送れるだろうな」
 「そうね、美沙絵ちゃんも言ってた。先生はいつも生徒のことを思っていて、優しく厳しく子どもたちに愛情を注いでいて、本当に教師の鏡みたいだって。あぁ…外見も内面も完璧なんて、本当にあんな人いるのね…。もう、美沙絵ちゃんの幸せ者! 羨ましいぞ!」
 私がキャッキャしていると、哲哉さんがサッと立ち上がった。
 「…そろそろ風呂が沸くだろう。先に入ってもいいか?」
 「? もちろん。お先にどうぞ」  
 哲哉さんが浴室に消えた。
 随分唐突だったな、早くお風呂に入りたかったのかな。
 それに、相変わらずクールだな…。私が海堂先生のことではしゃいでも涼しい顔して全然動じないし。な~んか面白くない…。
 そこで、はたと思う。
 哲哉さん、私が他の男性にキャーキャー言っても全く気にならないの? 嫉妬しないの? ねえ、もしかして…あなたはもう私に冷めてしまってるの?
 年齢的なこともあるが元々それほど愛情表現豊かな人ではない。愛されていることを疑ってるわけじゃないけど…。別にわざとヤキモチ焼かせるつもりで海堂先生のことを言ったわけじゃないけど、ちょっとくらい嫉妬してくれてもいいんじゃないの?
 イラっとして立ち上がると、意味もなくリビングをウロウロと歩き回っていた。
 どれだけ時間が経っていたのか分からないけど、いつの間にかお風呂から上がった哲哉さんに声をかけられた。
 「涼子? 何やってるんだ? ほら、お前も早く入って温まってこい」
 「言われなくても入るわよ!」
 思わず強い口調で答えてしまいハッとした私は、怪訝な顔をした哲哉さんの横を急いで通り抜けた。   

 お風呂に浸かりながら、モヤモヤした気分を変えようとあの頃のことを思い返した。
 
 ねえ哲哉さん、分かってる? 大学2年の時にあなたに一目惚れして以来、私がどれだけ頑張ったか…。 
 あなたへの想いを猛アピールしても全然相手にしてくれなかったわよね。レシピとにらめっこしながら一生懸命心を込めて作ったドイツ菓子を渡しても「受け取れない。こういうことはしないでくれ、迷惑だ」と突っ返された時はさすがにショックで泣いたっけ…。それでも、負けるものかと悔しい思いをバネにして、レポートや試験も完璧なら文句ないだろうと、何が何でも私を認めさせようと、ひたすら勉強に励んだ。哲哉さんの講義は一日も休まず、体調が悪くて熱で頭がボーッとしてても出席し、一言も聞き漏らすまいと必死に食らいついた。疑問点や聞きたいことができるとすぐにあなたの研究室に行き、納得できるまで質問攻めにした。帰国子女でドイツ語がネイティブ並みのあなたと何とか対等に話せるように、ドイツ語科のドイツ人講師のアルベルトにお願いしてマンツーマンでドイツ語の日常会話を教わったり、講義が終わると独語学校に通ったり、家では動画サイトでドイツの人気ドラマや映画を見たり…。とにかく死に物狂いで頑張った。そのおかげで私の成績は飛躍的にアップし、アルベルトともほぼ問題なく会話できるようになり「凄い、こんな短期間でよくこれだけマスターしたね、これならドイツでも生活できるよ」とお墨付きをもらうまで上達した。
 ただ、肝心の哲哉さんは相変わらずだった。もちろんレポートや試験に対する評価はきちんとしてくれたが、口で褒められることはなかったし、私に心を動かしてくれるような素振りなんて全くなかった。それでも私は哲哉さんを諦めることができなかった。
 司書課程も取っていたので就職先は大学の図書館に決めていた。運よく図書館で採用が決まり、あっという間に大学4年の12月になっていた。
 
 12月24日のクリスマスイブ、あなたが午後に大学の研究室で仕事だと知っていた私は、あなたが出てくるまでひたすら待ち続けた。そして、夜、仕事を終えたあなたを自宅マンションまで付けて行き、マンションの出入り口近くのところで声を掛けた。私の姿を見て驚いて目を見開いていたわね。「何してるんだ、こんなところで。帰りなさい」と相変わらずつれなくて。私はあなたの目の前に立つと鞄の中からこの日のために丁寧に時間をかけて作り上げたシュトーレンを出した。 
 「あなたのために心を込めて作りました。お願いします、どうか、どうかこれだけは受け取ってください…。これで最後にしますので。今まで先生のお気持ちを考えずに申し訳ありませんでした。気持ち悪かったでしょうし、ご迷惑だったことも分かっています」
 「…あ、いや、気持ち悪かったとまでは…」
 「でも、最後にこれだけは言わせてください。私は、先生にお会いできてとても幸せでした。先生の存在が私の大学生活の後半の2年間をとても実りのあるものに変えてくれました。本当にありがとうございました。もう先生の前に姿を現すことはしませんし、ご迷惑をおかけすることもしませんのでご安心ください」
 あなたはしばらく考え込むように黙ったいたけど、最後に「ありがとう」とだけ言ってシュトーレンを受け取ってくれた。拒否されずに受け取ってくれたことに私は安堵し、嬉しくて涙が出そうになった。そしてあなたは、じゃあ、と私に背を向けてマンションの方に入ろうとしていた。
 私は、離れていくあなたの背中に向かってありったけの想いを込めてドイツ語でそっと囁いた。
 「あなたを好きになって本当によかった。あなたのことは一生忘れません。心の中であなたをずっと想っています…心から愛しています」 
 その瞬間、あなたは立ち止った。そして、振り返って私に駆け寄ると……私をギュッと抱きしめた。私はあなたの腕の中で固まった。
 「ああ、君って人は…! 俺が必死で自分の気持ちに蓋をしていたというのに……。君には負けたよ…」
 「えっ…?」
 「君が俺に好意を持ってくれていてもその気持ちに応えるつもりはなかった。君は学生だし、お互いに立場や年齢差がある。だからずっと冷たい態度を取っていた。それでも君は俺に認めてもらおうと必死に頑張っていた。講義の内容に対する的確で鋭い質問には内心舌を巻いたし、レポートも文句のつけようがないくらい完璧だった。気がつくと無意識に君の姿を目で追っていて、君が研究室にやってくるのを心待ちにするようになっていた。それでも、君を突き放すことが君のためだしお互いのためだと思っていた。それなのに…あんな告白を聞いてしまったらもうこれ以上抗うことはできない…」 
 聞こえていないと思っていた私の愛の告白はしっかりとあなたに届いていた。そして、当たり前だが私よりも遥に流暢なドイツ語で囁いた。
 「もう自分の気持ちを誤魔化のはやめた。夏木涼子、いつの間にか君は俺にとって掛け替えのない大切な存在になっていた。君が好きだ、俺の恋人になってくれ……愛している」
 私の想いが通じた瞬間だった。喜びで身体が震え、涙がぶわっとあふれ出た。あなたは私の涙を優しく拭うと身を屈めてそっと私の唇に唇を合わせた…。
 その後、哲哉さんのマンションで一緒にシュトーレンを食べた。ドイツでよく食べていたお気に入りのシュトーレンと似ていてとてもおいしいと喜んでくれたわよね。私のためにとっておきのワインを開けてくれ、グラスを傾けた。
 そして私は初めてをあなたに捧げた。あなたは優しく私を慈しむように大切に抱いてくれた…。翌朝、あなたの温かい胸の中で目が覚めた時、改めて想いが叶った幸せを噛みしめたっけ…。   
 あぁ…あの日のクリスマスイブは私の大切な宝物…一生忘れない。
 
 そんな回想に浸っていると、浴室のドアがノックされた。
 「涼子? 大丈夫か? 随分長風呂だけどのぼせてないか…?」
 気が付くと1時間近くお風呂に浸かっていた。うわぁ、全然気がつかなかった。私は慌てて哲哉さんに返事をした。 
 「大丈夫! 何ともないから! もう上がるから」
 
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