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1章 たとえ、誰を灰にしようとも

11.ヒロインと話した日 -1-

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「はぁ」

 放課後、校舎裏のベンチで、一人溜息をついた。
 兄様は、先生に呼ばれているらしい。先に帰っていましょうか? と訊いたら「待っているように」とのことだったので、兄様が終わるのを大人しく待っている。
 心配しなくても、一人で帰れるのですけど。気の所為か、学園に入学してからも、以前とさして変わらず、兄様とばかり過ごしている、ような。
 朝、兄様と一緒に登校。
 昼、兄様とついでに殿下たちとお昼をご一緒する。
 夕、兄様と一緒に下校…………あれ?

「入学式から一週間……兄様、フルール嬢と一度も顔を合わせていないのでは!?」

 ゲームでは、殿下たちとフルール嬢が話をしているところに、兄様が「殿下」と声をかけるのがきっかけで、フルール嬢と面識を持つようになる。
 だけど、現実はどうだ。兄様はわたくしを迎えに来てくれても、ほかの生徒に目もくれない。
 殿下たちは、同じクラスの男子生徒と話しているようだけれど、わたくし以外の女子生徒と話しているところは見たことがない。
 わたくしの知らないうちに会って話している可能性もなくはないけど、限りなく低い気がする。
 この世界はゲームに酷似してはいるけれど、間違いなく現実で。この世界に生きる人たちは、自分の意志で物を考える人間で。
 だから、ゲームのシナリオが、もはや意味を為さないくらい破綻していても、仕方ない点はあると思う。だって、レミニシアと兄様が仲良くしている時点で、物語は大きく変わっている。破綻している、と言われたらそれまでだ。
 ……でも、今日までの流れが、シナリオから逸脱しているからと言って、兄様が《魔の王》にならない保証はどこにもない。
 《魔の王》に覚醒した兄様を正気に戻すのは、ヒロインの《癒しの術》と、兄様を想う心だ。
 最悪の事態を想定するなら、兄様とヒロインには知り合っていてもらわないと困る。

「……本当に、早く出会ってもらわないと。良くないことばかり、考えてしまうから」

 ああ、と手のひらで顔を覆い隠す。
 誰にも見られたくなかった。きっと、おぞましいほどに醜い顔をしているから。
 兄様の優しさに触れる度、わたくしの中で、怪物が少しずつ大きくなっていく。にたりと悪意に満ちた顔で嗤うのだ。
 フルールヒロインに恋をすることは、本当に幸せなのだろうか。身も心も燃やし尽くすような恋は、果たして幸せなのか、と囁くのだ。

 だって、同じだけの想いを傾けてもらえるとは限らないのに?
 望んだものが手に入るとは、限らないのに?

「……いう……ですか!」

 ………………ん?
 何か、どこかから聞こえたような。
 顔を上げて、きょろきょろと辺りを見渡す。やはり、周りには誰もいない。
 そういえば、ゲームのイベントでもこんなことがあったっけ。
 確か、殿下たちに目を掛けられているヒロインを、レミニシアが呼び出して――――。

「もしかして!?」

 声が聞こえた方へ、小走りで向かう。物陰から覗いた先では、予想通りの光景が広がっていた。
 ヒロインと、ヒロインを取り囲むご令嬢が三人。なんてありがちな虐めのシーン!
 わたくしが虐めなくとも、ヒロイン虐めが起きるって、これが強制力というやつかしら!?

「あらあら。生まれが卑しいと、これだから嫌だわ。礼の一つも出来ないなんて」

 リーダー格と思しき方が、フルール嬢をせせら笑う。腰巾着二人も、クスクスと笑い出した。
 最初から打ち合わせしていたかのようだわ。もしや、台本でも用意してらっしゃる?
 フルール嬢はと言うと、怒りか羞恥かで頬をほんのり赤らめながらも、きっとナイフのように鋭い目で睨み返した。天使は、怒っていても愛らしいと思います。

「お、お言葉を返すようですが、この学園は平等の理念を掲げています! 貴族とか、平民とか、関係ないと思います!」
「はぁ? あなた、本当にそんなことを信じているなら、とんだお笑い草だわ!」

 フルール嬢には申し訳ないけれど、正しいのはあのお嬢様の言葉だ。
 この学園において、勉強の機会は確かに平等に与えられている。
 けれど、スタートラインが、生まれが違えば、どうしたって差が生じてしまうものだ。
 一部の貴族たちは、入学する前から既に魔術を学んでいる。この現状を、真の意味でとは言えないだろう。
 平等ではない以上、差別が生まれるのも道理――――だけれど。

「あなたの言葉に一理あるとは思いますが、一人を相手に複数の人間で寄ってたかって責め立てるのが、貴族のやり方ですの?」

 顎を引いて、胸を上げて。美しい立ち居振舞いは、それだけで武器になる。
 家庭教師に教えてもらったことを思い出しながら、全身の隅々にまで気を張って歩く。
 元々は温厚な日本人。相手が大人しく退いてくれるか分からなくて、心臓がばくばく鳴っている。
 せめて、表情だけは威厳があるように見えていたら良いのだけど。
 わ、わたくしは侯爵令嬢! 悪役令嬢!

わたくしが、兄様から教わった貴族の振る舞いとは随分違っていますのね」

 小首を傾げてクスクス笑いながら、さりげなくフルール嬢とご令嬢たちの間に割り込む。
 優雅に割り込んだけれど、実は膝が笑っていること、ばれてませんように!

「ち、ちが! ただ、彼女の無礼な振る舞いを、窘めて差し上げていただけよ!」
「まあ、そうでしたの? でしたら、わたくしにも是非お教えいただけますかしら? せっかくですから、兄様にも教えて差し上げなくてはいけませんわね」

 元は温厚な日本人。しかし、アラサーである。
 彼女たちを黙らせる理論武装をしてから話しかけているのである!
 兄様の権力――兄様の背後には殿下がいる――を利用するのは心苦しいけれど、フルールさんだけじゃなく、わたくしにも被害がないようにするには、こうするしかない。兄様、申し訳ございません……!

「な、何よ! のくせに!」

 きっとまなじりを吊り上げたご令嬢が、だんっと一歩前に詰め寄って来る。
 うっっっわ。待って。お願い待ってください。視界いっぱいに美少女!!
 美男子は兄様のおかげで耐性が出来ているけれど、美少女耐性は皆無だったみたい!
 えっ、うそ、彼女、毛穴がひとつも見えないのですけど!?

「うひゃあ!」
「…………は?」

 うっとりしてしまうほどの美少女の顔面を、間近で浴び続けるのはまずい。美は圧力だって、前から言ってるでしょう!
 うっかり恋に落ちてしまう、と距離を取ろうと後ずさったら、その場で転んでしまった。
 動揺が隠しきれていない。何なら、動悸息切れも抑えられない。
 こいつ、何もしてないのに勝手に転んだんだけど、みたいな冷たい視線が、方々から降り注ぐ。
 ち、ちが、深い意図はないんです! でも過ぎたる美貌は兵器だから、簡単に距離を縮めたりしないで!?

「――――ここで何をしている?」

 世界最強兵器、もとい兄様の声。
 おそらく、“浮遊”Schwebenを使ったのだろう、ふわりと窓から飛び降りて来た兄様が、音もなく降り立った。
 兄様の最高級に美しい紫の瞳が、呆れた色を湛えながら見下ろしてくる。
 …………はっ!

「に、兄様! 違うのです! これは彼女たちに何かされたのではなく、わたくしが勝手に転んで……!」
「知っている」
「え」

 誤解があってはいけない、というわたくしの心配は杞憂で済んだ。
 でも、知っているとはどういうことでしょう。確かに、わたくしのどんくささは、兄様もよくご存知のはずですけれど。
 きょとんと目を丸くしているわたくしに、兄様が「見ていたからな」と溜息混じりで教えてくれた。

「何故、何もないところで転べる?」
「わ、わたくしだってそこまでドジではございません! ただ、その、あちらの美少女が本当に可愛らしくて動揺してしまって……!」
「なっ!」

 美少女がぶわっと顔を真っ赤にした。照れてらっしゃるところも、なんて可愛らしいのだろう。
 さすが乙女ゲーム。モブでさえも、顔面偏差値が高い。
 なんて感心しつつじっと見つめていたら、急に目線が高くなった。ついでに、兄様の最高峰に美しいお顔が、とても近い。
 ……あれ?

「面食いめ」

 兄様に! 抱きかかえられている!!
 え、これはなんなんです? 俗にいう、お姫様抱っこというものではありません?
 推しの、身体が。わたくしの身体と推しの身体が触れて。服越しにも伝わる、たくましい兄様の身体。そして、ほのかに薫る香水。

「ひっ」

 変な声が出た。貴族令嬢として、あるまじき振る舞いだけど、致し方ないと思う。まって、本当に心臓が痛い。

「レミニシア、こちらを見なさい」
「むりです」
「そこの女と私の顔、どちらが好ましい?」
「もちろん兄様ですけれど!」

 必死にそらしていた視線を兄様に向け、即答。兄様はしたり顔で笑っていた。良い人生だった。

「ケーニヒス伯爵家の娘だな」
「イクシス様、その……!」
「レミニシアの言う通り、貴様たちの振る舞いは貴族の振る舞いには程遠い。他人を悪し様に罵るよりも先に、自分の言動を省みるが良い」

 兄様の冷ややかな視線に、ご令嬢が身を竦ませる。
 怒った兄様はとても怖いのだ。わかるわかる。それ以上に、怒った兄様の顔はとてもとても美しいのだけれど。

「それから……貴様に、私の名を口にする許可はしていない」
「し、失礼します!」
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