暁が燃えるとき

宇土為名

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「まさかまた会えるなんて思わなかったな」
 僕は頷いて、聞いた。
「…職場、あの辺?」
「いや、今日は他の用事でこっちまで来てて。いつもは別の場所にいるよ。君はあの辺なんだろ?」
 頷かないでいると、彼はかすかに笑い声を立てた。
「大丈夫だよ。誰にも言ったりしないし、押しかけたりもしないよ」
「そういうわけじゃ…」
 ない、と言い切れないところがずるい所か。そういう心配をするのはまさか二度目があるとは思わなかったからだ。
「隠してるのはなにも君だけじゃないよ」
 彼は、先日僕が寝た相手だった。


 落とした照明の明かり、連れてこられたのは小さなバーだった。
 路地の行き止まりのような作りの、カウンターしかない狭く細長い空間。冷たい石が剥き出しの壁、半地下のその店は、元は上にあったレストラン専用のワインの貯蔵室だったらしい。
 よく知らない相手と一緒でも不思議と落ち着けたのは、目を凝らさなければ相手の表情が見えないほど暗いせいかもしれなかった。
 互いに気配だけで話が出来る。
 頼んだ飲み物が運ばれてきて、それぞれの前に置かれた。
「これも何かの縁だからさ、名前教えてくれない?」
「…必要ないと思うけど」
「3度目はないって?」
 僕は頷いた。そもそも2度目があるとは思ってもいなかったのだ。
「冷たいな」
 笑いながら彼はグラスを傾ける。
「これを飲んだら帰るよ」
「そんなに警戒しなくてもいいよ」
「そうじゃない」と僕は言い返した。
「ああ…明日もまだ仕事だしね」
 僕を横目に見る彼は悪戯っぽく微笑んでいた。
「じゃあ友達になろう、俺と」
「え?」
「友達になろう」
「あなたと?」
 僕の声の中にある警戒をはっきりと嗅ぎ取ったのか、おかしそうに頷く。「それで、俺が君の呼び名を考える」
「どうして?」
「知らない仲じゃないから」
 彼の指がグラスを握る僕の指を撫で下ろす。
 その瞬間びくっと大袈裟なぐらい肩が跳ねた。
 前にも、似たようなことがあった。
「何もしなくてもいいんだ。同じ秘密を抱えてる者同士ってことで仲良くしたいだけなんだよ。話をしたり、食事をしたり、こんなふうに一緒に飲んだり、もちろん…」
「──」
 僕の耳元に口を寄せて彼が囁いた。
「ね?悪い話じゃないだろ」
 ゆっくりと体を離し、どうかな、とにっこりと笑う。その顔を僕は見返した。
「俺のことは朝倉《あさくら》でいいよ」
 そう言ってカウンターの上のペーパーナプキンにさっと携帯の番号を書きつけた。
 それを僕の手に握らせる。ほとんど押し付ける強さで。
「朝倉…さん」
「そう」朝倉は言った。「呼び捨てでいいよ」


 ポケットから白いものが床に落ちた。
 帰宅した部屋の中、僕はそれを拾い上げた。朝倉が僕にくれたペーパーナプキンだ。
 ペンのインクが滲んで、朝倉が書いた携帯番号は数字の一部が潰れてしまっていた。馬鹿だな、と苦笑する。ペーパーナプキンにサインペンで書いたりするから。
『いつでも電話して、俺は大抵暇だよ』
 そのときまでに僕の呼び名を考えておくと、別れ際に言った。
 変な人だ。朝倉というのも偽名だろう。
 僕はそれを手近にあった本に挟んだ。
 本を閉じながらパラパラとページを繰り、ふと朝倉の言葉が甦る。
 隠しているのは何も君だけじゃない──
 僕だけではない。
 そうだ。
 みんな、何某かの秘密を持っている。
 誰にも心の内は明かせない。
 妹にも…愛にも、秘密はあったんだろうか。
「……」
 僕にあったように。
『直、おかえり』
 ──直
 白い花の咲く木の下で、僕を撮りたいとカメラを構えていた妹。
『直、ほら、ちゃんと笑ってよ』
 笑ってるよ、と僕は言った。
 カメラを向けられることが苦手だった僕はいつもうまく笑えなかった。
 どうにかして僕を笑わせようとする妹に、呆れて言った。
 僕の写真なんか撮らなくてもいいだろ?
 確かそんなふうに。
『だって…』
 だって、と愛は何かを言いかける。
『だって直の──』
『え?』
 風が強く吹いていた。春の甘い匂いのする風に流されて、声は僕のところにまで届かなかった。
 妹は僕を見ていた。
 開きかけた唇で微笑んでいた。
 巻き上げられて舞う花の白さだけがずっと残っている。

 気がつくと朝になっていた。僕はソファに寄りかかったまま眠っていた。
 懐かしい記憶の夢。
 どこか甘い匂いが部屋の中に残っている気がする。
 返してもらってからクローゼットにしまっていた妹のパスケースを取り出した。
 朝の陽ざしの中で見るそれは、ずっと古ぼけて見える。
 入ったままのあの日撮った写真。
 これを茅山が持っていた。
 あのとき愛は何を言おうとしたのだろう?
 
***
 
 昼休み直前、総務室に戻って来た室長にランチに誘われて外に行くことになった。
 飛びついてきそうな勢いで同僚の女の子が私も、と言うのを前原は片手で拝んで、軽く断った。
「荻野《おぎの》さん悪いね、今日は男同士ってことで!」
「ええーっずるいですよ!室長!私も久我さんとランチしたいっ」
「今度な!今度。久我、ほらっ出るぞ」
 頬を膨らませた荻野に手を振って前原は僕の背を押した。慌てて上着と財布を手にして、肩越しに荻野に会釈すると仁王立ちでこちらを睨んでいた。
 彼女は僕に気がある。また何か言われそうだ。
 押されるままにエレベーターホールに出て、ちょうど来た下行きのエレベーターに乗り込んだ。
 背中の視線が痛い。
「好かれちゃって、おまえも大変だね」
「はは…」
 乗るなりため息をついた僕に向かって、前原は笑った。
 前原がいちおしだと言う、会社から少し離れたところの洋食店に入り席を取った。赤いギンガムチェックのテーブルクロスが掛かっている。
 店員からメニューを受け取ると、おしぼりで手を拭きながら前原は僕に昨日の礼を言った。
「助かったよ、おかげで向こうに借りを作れたわ」
 水を飲んで椅子の背によりかかると、ニヤッと前原は笑った。
 午前中、前原は僕が昨日仕上げた書類を持って営業部へと赴いていたのだった。
「あー、じゃあ上手くいったんですね」
「勿論、おまえのお手柄だよ。ざまみろっての、意味もなく急かしやがって、クソが。ほら何でも好きなもの頼んでいいぞ」
 なるほど、これはそのお礼というわけだ。
 上手くいったのなら言うことはない。自分の仕事が役に立てることは素直に嬉しい。
「うわ、やった、なににしようかな…」
「この際だから高いのにしろ」
 手に取ったメニューの一番高いものはフィレステーキセットだったが値段は予想よりも高かった。ランチにしては高すぎる。
 とりあえず三番目辺りを選んで前原に言うと、店員を呼んだ前原がフィレステーキセットを2つ、と注文した。
「はーいステーキセット2つー」
「えっ」
「付け合わせは、マッシュ?ベイクド?クレソンいけます?」
「マッシュ、クレソンOK、俺は焼き方ミディアムでね。おまえは?レア?」
「えっ、あ、じゃ僕もミディアムで…」
 ぽかんとしていると急に確認されて狼狽えた。
「はーい」
「ライスね」
「はいライスー、お客さんは?」
 どう見ても男子高校生にしか見えない店員がにこにこと笑って僕を見た。よく見れば髪は銀髪だ。
「あ、ライスで…」
「はーい、かしこまりでーす」
 妙に愛嬌のある彼がそう言ってメニューを下げ奥に引っ込むと、僕は声を潜めてテーブルに身を乗り出した。
「室長、あれちょっと高いですよ…!」
「いいんだよ。ここはあれが一番美味いの。大体おまえ遠慮したろ」
 目を瞠る僕に、前原はにやりと口の端を持ち上げた。
「こういうときはねえ、遠慮なんかしないでズバズバ高いもの頼むんだよ、おれの奢りなんだし。な?」
「はあ…」
「もっと強《したた》かになれよ。荻野さんみたいにさ、さっきこっち睨んでたろ」
 ここで荻野の名前が出て苦笑した。彼女は諦めずに僕のことを好いてくれているが、強かなのかどうかは考えどころだ。
 打たれ強さは知っているが。
 上着を脱いで前原はネクタイを緩めた。店の中は汗ばむほどに暖かかった。僕も上着を脱ぐ。
「したたか、ですか」
「そう、もっとおまえはさ、色々欲しがった方がいい。なんかいつも我慢してるだろ?」
 そういうの体に良くないぞ、と屈託なく前原は笑った。


 食事は文句なく美味しかった。昼からステーキなんて胃にもたれるかと思ったけれど、そんな心配は無用だった。
 帰りに前原と一緒に総務室用にとおやつを買う。
 主に荻野の怒りを収めるためだ。
 ちょっと気を使い過ぎではと思ったが、人間関係は──主に部下(女性)との関係は──円滑でかつ平穏に、というのが前原の信条のようだ。
 案の定オフィスに戻ったとたん目を吊り上げて寄って来た荻野に前原が菓子の入った紙袋を渡すと、ぱっと彼女の顔が輝いた。怒りも一瞬で吹き飛んだようで、他の総務室の女性たちと紙袋の中のケーキ箱を嬉しそうに取り出している。箱の中身は色とりどりのプチフールの詰め合わせだった。
「きゃあ美味しそう!」
 前原が僕と視線を合わせて肩を竦めてみせる。
 ほら、上手くいっただろ?と目が柔らかく笑っていた。
 僕も微笑んでデスクに戻った。


 午後の仕事は滞りなく終わり、定時に上がることが出来た。
 冬になりかけのこの時期、日暮は早い。外は既に暗かった。
 明日は休みだ。最寄り駅までまっすぐに帰り、駅ナカの書店をぶらついてからスーパーで買い出しをする。料理は好きでも嫌いでもないが、食事の為にいちいち外に行くのも億劫だった。冷蔵庫に何かがあれば、自分ひとり分の食事くらいどうにでもなる。
 買い物袋を提げてスーパーを出ると、夜は少し進んでいた。
 マンションまでの道を歩く。
 上り坂にさしかかり、自分がずっと下を向いていたことに気がついた。顔を上げる。空にはちぎれたような雲が漂い、坂の上にはもうすぐ満月になる月があった。
 出たばかりの月だ。
 坂を上りきると、マンションの入口が見えた。
 マンションを取り囲む生垣のそばに誰かがいた。
 僕の足音に気づいたのか、顔がこちらを向いた。
「おかえり」
 その顔の輪郭を月明かりが照らす。
「え…?」
 目を見開いて呟く僕の顔は、彼の方からはよく見えているはずだった。
 なぜ彼がここにいるのか。
 ここに、いるはずがない。
 足が竦み動かなかった。
「話がある」
 と常盤は言った。
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