暗香浮動 第一章

澪汰

文字の大きさ
上 下
6 / 16
心を澄まして、

心を澄まして、#01

しおりを挟む
 雨月が初めて見世に来たあの日からひと月が経った。あの日以来、雨月は今日まで一度も見世に現れなかった。その頃になると蛍もようやく〝自分の立場〟というものに慣れ、大人しく張見世に参加するようになっていた。それでも客を取ることは躊躇われて、他の男娼の後ろに隠れたりしながら、極力客に捕まるまいとしていた。

 毎夜客をやり過ごしながら考えるのは、やはり雨月の事ばかり。

(……雨月のばか……また来るって……言ったのに……)

 そう心の中で毒づく。この体質のせいで親からも裏切られ、それでもなんとか頑張ってきて、ようやく心を許せる相手に出会えたと思ったのに……また裏切られるのだろうか……。雨月が初めてだったのだ。自分を拒んでくれたのも、自分を本当の意味で受け入れてくれたのも……。

(だから……オレは……)
「……おい、お前。見世にはしばらく出なくていいぞ」

 その日もいつもと変わらず張見世の準備をしていた蛍のところへ、楼主が現れて唐突にそう告げる。

「……ど、どういうことですか……? オレ…捨てられるんですか……」

 不機嫌さを隠そうともしない楼主に、蛍は焦りを覚える。今まで、客を取ることを拒んできたせいだろうか。心臓がどくどくと脈打つ。

「……貴様なんぞ、そこらに捨て置きたいところだがな。お前さんのひと月分の代金を払ってくれたお人がいてな……」
「……ッ!」

 楼主の言葉に息を呑む。見世に出なくてよくなったことは喜ばしい限りだが、一体誰が……。立場を受け入れ見世に出るようになってから、何人か客を取った。その中の誰かが、自分を買ったというのだろうか。

(いや、だ……嫌だ……)

 見世に出られなければ、雨月に会えなくなってしまう。自分は……雨月の『また、会いに来ます』という、あの言葉だけを信じて今まで頑張ってきたのだ。それなのに……。

「……それは……、一体……誰です、か?」

 震える唇で楼主に問う。それに、もうすぐ〝あの期間〟がやってきてしまう。自分の意思とは無関係に起きるアレの間は、誰にも会いたくなかった。自分がどうなってしまうのか……想像出来ないし、したいとも思わなかった。
 張見世ならば、見世に出なければ指名されることはない。けれど、〝買い付けられた〟となれば、客は蛍の部屋まで上がってくる。そうなれば逃げ場はなかった。

「……お前は知らなくていいことだ。部屋で大人しくしてることだな。お前のような躾のなっていない、溝鼠を買い付けて下さったお客人に感謝することだ。それと、間違っても逃げようなんぞ思うなよ。そんなことをしてみろ。ただじゃおかんぞ」
「……わかり、ました……」

 やっとのことでそれだけ言う。全身に沸き上がる嫌悪感。込み上げてくる吐き気を、なんとか堪える。

(……雨月っ!)
しおりを挟む

処理中です...