課長が私を好きなんて!

伊東悠香

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1巻

1-1

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   1 苦手な上司


 誰もいないコピー室に、ゴウンゴウンというコピー機の音が響く。少量のものならフロアでコピーできるけど、両面印刷を十部以上となると時間がかかるから、コピー室を使わせてもらう。
 便利なもので、設定さえちゃんとしていれば、多量の両面印刷だってきちんと希望部数を作ってくれる。私は何もしないで、それが完成するのを待つだけ。

「よし、完成」

 できあがった資料を手に、少しだけ気合いを入れる。これから手渡す相手を考えて軽くブルーになっているのを、悟られてはいけない。
 早足でフロアに戻り、黙々と仕事をしている上司をチラリと見る。私が戻ったことには、これっぽっちも気付いていない。

「コピーできました」

 依頼されていた書類を、いかにもテキパキ仕事をしている仕草で上司に手渡す。

「ありがとうございます」

 彼はとくに表情も変えず、ずっしりと重い資料を受け取って自分のデスクに置いた。

「いえ」

 いつもの事務的な言葉のやりとり。

(相変わらず固いなあ……やっぱり、苦手なのよね……この人)

 この目の前でムッツリしている上司……えのき課長が私は苦手だ。二人きりになっても、会話なんか成り立たない気がするし、仕事のことしか頭にないイメージ。
 だから、彼と会話するのは一日一緒にいても本当に少ない。

「今日も……暇だなあ」

 誰にも聞こえないように、ポソリとつぶやく。
 一日一日を文句なく充実感を持って働けてる人なんて、いるのかなと思う。
 OLっていう言葉には、何となく素敵な響きがあって憧れていた。でも……自分がそうなってみると、どうってことのない毎日が繰り返されるばかり。
 退屈しているのを誤魔化すように、私は自分のマグに入れたコーヒーを口にする。すっかり冷めてしまって、美味しいわけじゃないけど……少しは気分転換になっていいかなという感じだ。
 私が働くこの会社は、ちょっと難しい実験をしていて、どの資料を見ても私にはさっぱりわからない。それでも資料の作成を頼まれればやれるし、名簿を作ってくれと言われればそれもこなせる。
 私はただ、それだけの存在だ。
 誰でもできることじゃないの……って、時々虚しい気分になるのは否めない。それでも、私はこの生活を変えようとか、そういう上昇志向もあまり強く持っていない。


 中田なかた美羽みう、二十九歳……独身。
 このままいい出会いがなかったら、マンションでも買おうかと思うこの頃。
 先にも言った通り、それほどたいした仕事もしてないけど……お給料はわりといい。ハッキリ言って三十歳間近の女性社員に、ここまで手厚い待遇をしてくれる会社はそうないのではないだろうか。

「美羽は会社の居心地がいいから、彼氏を作る気がないんでしょ」

 友達にはこんなふうに指摘された。
 まあ、そうとも言えなくはない。結婚の予定どころか、彼氏もいない状態が長らく続いている。会社が快適じゃなかったら、もう少し焦っているはずだ。そりゃあ、まったく焦ってないといえば嘘になるけれど、同い年の友達に比べたらのん気にしている方だと思う。
 職場に不満はないんだけど、さっきコピーを手渡した課長だけが……私はやや苦手だ。
 課長の榎幸生ゆきお氏は、仕事のできる四十歳。
 いつもムッツリしていて本心が見えないのが怖いし、全体的にとても固いイメージがある。目上の人に対してだけじゃなく、部下に対しても「です・ます」口調っていうのは、会社では普通なんだけど、彼が使うと何だかものものしい感じがするのだ。
 つい先日も「あの、中田さん。今よろしいですか」と声をかけられ、振り返ると榎さんがすごく真剣な顔をしているから驚いた。

「何かミスしましたか!?」

 朝、頼まれたプリントの枚数が違っただろうか。伝えた電話のメモ内容が間違っていただろうか。
 いろいろ自分のしくじりを考えていると、彼はポケットから何かを取り出し……私の手の平に乗せた。

「これ、落ちていましたよ。中田さんのではないですか?」
「あ……」

 それは確かに、私が昨日落としたヘアピンだった。
 束で買った安物だから、なくしてもまったく問題なかったんだけど。

「ありがとうございます」

 こうして受け取ったヘアピンは、何だかもう二度となくしてはいけないもののような感じがしてしまう。
 親切心からしてくれたことだろうけど、この一件からも私は彼に対して「真面目で固いなあ……」という印象を強くしたばかりで、あまり好意という感情はわいてこなかった。
 それでも、彼は社内でかなりの人気者だ。男性社員、女性社員区別なく、彼を慕う人は多い。
 彼には年齢をある程度重ねた男らしさがあるし、重厚なオーラというか……とにかく物事を軽んじない丁寧さがある。
 私の好みのタイプではないけれど、彼に思いをよせる女性社員だってたくさんいる。彼はもらったラブレターを無造作にデスクに置いたりするから、私がそれを見かけたことも一度や二度ではない。それに、休憩室で緑茶を買うのが彼の習慣なんだけれど、そこで偶然を装って声をかけている女性社員を何度も見た。なのに……鈍感なのかシビアなのかわからないけど、そういう誘いにのっている彼は見たことがない。「ええ」とか「そうですね」という丁寧な受け答えはしているけど、そこから話はふくらまないみたいだ。
 先日は、部長にお見合い話を持ちかけられていた。

「榎くん、いい女性を紹介するよ。どうだね」

 この言葉に榎さんは……彼らしい言葉を返す。

「お心遣いありがとうございます。でも、相手は自分で見つけたいと思っていますので」

 速攻でお断りだ。部長も強くは言えないのか、それ以上は勧めなかった。
 この様子を見ていたら、少し部長が気の毒に思えてしまった。
 にしても榎さん……「自分で見つける」と言っているわりに、彼女がいるという話は聞かないし、しょっちゅう女性社員からの告白も断っていると聞く。本当は結婚する気がないだけじゃないんですか?……と、私は心の中で突っ込みを入れる。
 私から見れば、榎さんは「近付きがたい男性」という感じ。
 まさか女優とか、そういう美人を求めているんだろうか。ものすごく理想が高かったりして?
 こんなふうに私は、少し意地悪な見方をしてしまっている。でも、そう思うのにはちょっと理由がある。
 会社にいる時の彼は、ほとんど……いや、全然笑わないのだ。
 仕事が忙しいのはわかるけれど、他の社員がお茶の時間に世間話をしながら笑っている時にも、彼はいつも無表情。

「ねえ、榎さんもそう思うでしょう?」

 気を遣って話しかけても「え、何のことですか」と、まったく聞いていないようだ。
 ランチ後のオフタイムも、一人でパソコンに向かっているし。
 おやつの時間にお茶を入れて運んでも「ありがとう」とだけ言って、顔も上げず仕事に没頭している。
 仕事が恋人?
 それも悪くないと思うけど、もうちょっと遊び心があってもいいのではないか。
 私はお笑い系の明るい男性が好きだから、そういうタイプの榎さんが好みではない。……というか、私にとって彼のポジションは「意識の外」という感じかもしれない。


「中田さん、榎さんの好きな食べ物とかわかる?」

 飲み会の仕切りをする他の課の女性にそんな質問をされても、私にわかるわけがない。一緒に働いているからといって、親しくしているとは限らないの!
 そもそも彼は、お昼に何を食べてるんだろう。ランチタイムになると一人でフラッとどこかに消えてしまい、社員食堂にはいたことがない。
 孤独が好きな人っていうのもいるし、結婚が面倒くさいと思う人もいるだろう。
 だから、私はあえて榎さんの生き方を否定する気はない。でも、彼は私の上司で毎日仕事の指示などをもらう相手だし、ほんの少し距離が開いてはいるとはいえ、席がほぼ真向かいだからちょっと気まずい……
 顔を上げると、時々目が合ったりもする。
 別にそこで微笑む人でもないから、私は「えーと……この書類は」とか独り言を言ってわざとらしく目をそらす。
 こんな具合に榎さんと顔を合わせるのは気詰まりだけど、他の面ではまったく問題がないから、結局この会社に勤め始めて今年で十年目を迎えた。
 二十九歳。結構リアルな数字だ。
 こんな私を見かねたのか今週末、友達がお見合いのようなものを計画してくれている。

「美羽、次は期待してね! 外見は普通だけど、面白い人だから」

 そう言われ、私は期待に胸をふくらませている。
 面白い人が一番だ。カッコイイとか仕事ができるとか……そんなの生活してしまえば関係ないもの。
 食事の時に雑談しながら笑い合える、これが理想。
 私がルームウェアで歩いていてもOKな、気を遣わないでいられる楽ちんな人がいいの。
 結婚したけれど、旦那がいい男過ぎて彼の前でメイクを落とせません! という悲痛な叫びを聞いたことがあるけれど、そんな生活息苦しいよ。あり得ない。
 こんな訳で……私は「お笑い系彼氏募集中」の看板を下げて生活している。


 明日はお見合いの日――という金曜日の夕方。
 仕事が多かったから、少しだけ残業をしてしまった。
 そろそろ帰ろうと思って支度している私を、榎さんが呼びとめた。

「あ、中田さん。お帰りですか」

 彼から声をかけてくるなんて珍しいなあと思って、私は榎さんの方へ振り向いた。

「はい。もう六時なんで……」

 もう少し頼みたい仕事があるとか言われるのかな……と思ったけど、違った。

「僕も帰りますので、ご一緒していいですか」
「え? ……はあ、いいですけど」

 一瞬、目が点になる。
 榎さんが私と一緒に帰る?

「ありがとうございます。では、ジャケットを取ってきますので」

 そう言って、彼はロッカーを開けている。
 本気で私と一緒に帰ろうとしているようだ。どうしよう……話すことなんか何もないよ。
 私の動揺をよそに、彼は机の上をささっと片付けて「では行きましょう」と言い、先に歩き出した。私は何が何だかわからない気分で、その後ろをテクテク歩く。
 外はまだうっすら明るい。それでも、これから秋に向かってどんどん日は短くなるんだよね……なんて考えたりしていた。

「寒くありませんか?」

 少し風が強かったからか、榎さんは私にそう言った。

「いえ、これぐらいでしたら平気です。私、寒さには結構強いので」
「そうですか」

 そう言って、安心したように少し彼が微笑んだのを、私は見逃さなかった。

(能面の榎さんが笑った……!)

 その微笑に胸がドキッとしてしまった自分の気持ちが理解できない。苦手だとすら思っていた人に、こんな簡単にトキメくものだろうか。


 予想通り私たちの間に話題はなく、私は無言のまま彼の隣を歩き続ける。
 このまま駅までの道のりを黙って帰るのはきつい。いつもなら、音楽を聞きながら軽やかに到着するはずの駅が遠く感じる。
 榎さんはいったい何の理由があって、私と一緒に帰ろうなんて言い出したのか。そのことばかりが頭の中をグルグル回る。
 一緒に歩くこと八分。本当は短い距離なんだけれど、今日の私には何倍にも長く感じた。
 上司の気まぐれに付き合った……程度の認識だった私は、彼が何か重大な決意をしていることなど気付きもしなかった。

「榎さん、どうしました?」

 あと少しで改札、という場所まできたところで榎さんが立ちどまったから、私は驚いて彼の顔を見上げる。すると、いつも真面目な彼が、さらに真面目な顔で私を見つめていた。
 やだ……そんなに見られたら、ドキドキするじゃない。
 私の中で、すでに混乱は起きていたのだけど、次の言葉で益々その度合いが強くなった。

「あの、不躾ぶしつけなことをうかがいますが、中田さんは今、お付き合いされている方はいらっしゃるんですか?」

 突然の言葉に驚いて、私は一瞬言葉に詰まった。

「お……お付き合いですか?」
「ええ」

 明日その運命の人と出会うかもしれないですけど……とは答えられない。

「いえ、今はいません」

 私がそう言うと、彼はホッとした表情を見せた。

「では、僕とお付き合いしてもらえませんか」

 仕事の話題以外であまり話したことのない男性から、いきなり告白された。
 ……あり得ない。この人だけはあり得ないと思っていた。
 心臓がバクバクして、正常な返答ができないほど私は焦りまくっている。

「ええと、何か冗談をおっしゃってるんですよね?」

 私は何と答えていいかわからなくなって、こんなセリフを言っていた。
 私の言葉を聞いて、榎さんはちょっと不思議そうな顔をする。

「冗談? ……ああ、そういう断り方もあるんですか」

 そう言って、彼は何かを納得している様子だ。

「やだ、榎さん。そんな深刻な顔をして!」

 私は思わず榎さんの前でマジ笑いしてしまった。
 すると彼は、フッと顔を緩めて「中田さんはやはり、笑顔が素敵ですね」と言った。
 顔がカーッと熱くなり、変な汗が出てくる。あの無感情人間と思っていた榎さんが、私の笑顔を素敵だと言っている。さらに、その前に付き合ってもらえませんか……とも言った気がする。
 私の小さな脳みそでは、現状を受けとめきれず……頭がパンクしそうだった。

「突然失礼なことを言いました。では、お疲れ様です」

 榎さんは私に一つおじぎをして、そのまま改札の中に入っていってしまった。残された私がそこから動くのには、数分かかった。
 私は明日お見合いなのよ。職場の上司にジョークを言われて動揺してる場合じゃない。そう、榎さんは冗談を言っただけ。私は彼から告白なんかされてない! 混雑してきた駅の中で、私は自分の中で起こったパニックを収めるのに必死だった。



   2 上の空


 土曜日の朝……
 昨日の夜はほとんど眠れなかった。榎さんに話かけられて、あたふたしている夢を見た気がする。
 軽く頭痛のする状態で時計を見ると、約束の一時間前だった。

「やばい!」

 移動時間を考えると遅刻ギリギリだ。お洒落したかったのに、ほとんど何もできない。寝坊で遅刻なんて、最初から印象が悪過ぎる。
 慌てて着替えを済ませ、お化粧も猛スピード。ほとんど何も考えずにアパートを飛び出した。
 カバンの色と洋服が合ってないとか、サンダルにしようと思っていたのにいつものクセでパンプスをはいてきてしまった……とかに気が付いたのは、電車に乗ってからだった。
 決して「お洒落で素敵な人」ではないけれど、特別おかしな格好じゃないからまあいいか。
 とりあえず時間厳守を最優先にした私は、何とか遅刻をまぬがれた。

「こ……こんにちは」

 息が苦しくてうまく言葉が出ない。
 遅刻しそうだったのがバレバレだろう。

「美羽がこんなギリギリなのって珍しいね」

 友人の佐々木理恵ささきりえがそう言って笑っている。

「ちょっと準備とか、手間取っちゃって」
「そうなんだ。あ、坂本さかもとくん。こちらが私の短大時代の友人、中田美羽です」

 坂本くんと呼ばれた男性は、メガネをかけたシンプルな服装の優しそうな人だった。
 同い年だと聞いていたけど、もう少し若い感じがする。

「初めまして。佐々木さんの同僚の坂本一平いっぺいです」

 笑顔が非常にマイルドな好青年だ。
 手を差し出され、私もそれに応えて「初めまして」と小さく言った。
 最初から二人きりはつらいだろうからってことで、理恵が間に入って私と坂本くんの会話を取り持ってくれた。

「坂本くん、今日は無口だね。普段はもっとギャグとか連発するじゃない」

 理恵がそう言って水族館のチケットを買っている彼の肩をパシッと叩いた。

「俺だって緊張することあるんだって。叩くなよ」
「美羽にいい所見せようとして緊張してんの? 最初からありのままを見せた方がいいよー」
「別に普通だよ。そんなこと言ったら、普段の俺が相当おちゃらけてるみたいに聞こえるだろ?」

 二人のやりとりを見ていて、私はププッと笑ってしまった。
 私より理恵の方が、坂本くんにはお似合いなんじゃないかな……とか思った。
 呼吸が合っている。でも、理恵は超メンクイだから、坂本くんは好みじゃないのかもしれない。


 薄暗い水族館の中を見ながら、私たちはブラブラ歩いた。
 坂本くんは物知りで、魚の名前とか、どういう水温の場所に何が住んでるのかとか……やけに詳しかった。

「魚が好きなんですか?」

 私がそう言うと、彼はちょっと首をひねった。

「いや、好きってほどでもないかな。食べるのは大好きだけどね」
「私も食べるのは好き! とくにさっき泳いでいたサンマとか……思わず塩焼きにしたいと思っていました」
「俺も思った」

 そこまで言って、私たちは顔を見合わせて笑った。
 いい感じだ。この人と一緒にいると楽な感じがする。
 理恵とのやりとりを見ていてもわかるように、人を選ばずナチュラルに愛想がいい。
 社会人としての経験もある程度積んでるから、面白い人だけど妙に浮いてるところもないし。
 でも……この「でも」のせいで、私の心はまとまらない。
 昨日の榎さんの微笑が頭に焼き付いて離れない。
「笑顔が素敵ですね」と言った声が、いつまでも耳に残っていている。
 あまり告白とかされたことがないから、自意識過剰になってるのかな。
 あの超真面目人間の榎さんが、何故私に告白したのかわからない。
 気に入られたポイントは本当に「笑顔」だけなのかどうか……それも気になってしまう。
 やっぱり冗談だったんじゃないかな。

「美羽! どうしたのよ、ボーっとして」

 私たちは足を少し休めるために、フードショップで座っていた。
 理恵と坂本くんが会話している最中、私は榎さんのことを考えていた……

「何でもないよ。ごめん」
「ちょっとさあ、今日の美羽おかしいよ。上の空っていうか」

 ちょうど坂本くんがトイレに立った隙を狙って、理恵は私にそう突っ込んできた。

「ごめんね。別に何もないけど……坂本くん、気分悪くしてないかな」

 明らかに今日、自分が上の空なことを自覚していたから、私は素直に謝った。

「あの人は天然だから、物事を悪い方には考えないんだ。そこがいい所なんだけど『真剣味が感じられない』とか言われて、友達どまりなんだよなーって嘆いてるよ」
「そうなんだ」

 言われてみて、確かに坂本くんてそういう感じだなと思った。
 すごく裏表のない「いい人」なんだけど、そこから先にはなかなか進まなさそうなタイプっていうか……

「どうする? 私はこのまま帰っても大丈夫かな」

 まだ二時なのに、理恵はそんなことを言い出した。
 榎さんと二人きりになるよりは数倍マシだけど、坂本くんともどうやって間を持たせたらいいのかわからない。

「大丈夫、彼は結構遊ぶ場所知ってるし。それなりに楽しませてくれるって」

 そう言って、トイレから戻った坂本くんに「私はお邪魔なので帰ります!」と言い残して去ってしまった。
 坂本くんはそれで慌てるような様子はなくて「何かせわしない人ですよね、佐々木さんて」なんてボソッと言った。


 結局、坂本くんと二人の時間は夜の七時まで続いた。
 理恵が言った通り、彼は美味しいデザートのお店とかゲームセンターとかいろいろ退屈しないで過ごせる場所に連れて行ってくれた。
 確かに楽しかったし、嫌な思いは全然してないんだけど……どうにも「友達といる」という感覚から抜け出せなかった。
 まだ会った初日だし、恋愛はいきなり燃え上がるものばっかりじゃないよね。
 私はちょっといろいろ贅沢に注文を付け過ぎなのかも。
 一緒にいて楽で……気取らなくていいんだから、坂本くんは私の必要条件を満たしている。

「今日はありがとう。すごく楽しかった」

 駅の改札に到着し、お互い別々の電車に乗るからそこでさようならということになった。

「こちらこそ。中田さんて可愛いから俺なんかでいいのかなあって不安だよ」
「いえいえ。そんな大したものではないですよ」

 おばさんっぽいリアクションをしてしまった。
 私は褒められるとテンパってしまうという情けない性質があるのだ。それは昨日のことでも証明されている。

「これから、少しずつ付き合ってもらえるかな」

 今まで笑顔だった坂本くんが、ちょっと緊張した顔でそう言った。
 二日連続で告白されてしまった。
 本来なら、坂本くんの申し出に迷わず「YES」って答えられたはずなのに。
 なのに……、私は答えるまで少し時間がかかってしまった。

「中田さん?」
「あ、うん。そうだね。たまに会ってご飯とか食べたり……少しずつね」

 私は今ここで、正式にお付き合いの返事をするのではなく、「友達から始めましょう」というものに留めておきたかった。
 そういうニュアンスが坂本くんにも伝わったようだ。

「急がないから。暇があったら遊んでやる……くらいの気持ちでいいよ」
「ありがとう」

 坂本くんと別れ、帰りの電車に乗る。
 いい人だった。
 榎さんのせいにするのは申し訳ないけど、あの人の昨日の言動さえなければ私は坂本くんにもっと興味を持っていたかもしれない。
 なのに、頭の半分を、何故かあの人が占めている。
 おかしい。
 どうも告白されたという事実が、私を妙に浮つかせている。
 きっと榎さんと一緒にいたって会話なんか一つもなくて、居心地が悪くて……気まずいに決まってる。そう思うのに……月曜のことを考えると、胸がドキドキしてしまう。
 どういう顔をすればいいのかな。普通に挨拶できるかな。

(自意識過剰もいい加減にしなさいよ)

 自分で自分に突っ込みを入れてしまう。
 空席があったのに、私は何だかソワソワして座っていられなくて立っていた。


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