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3、「映画館の思い出」(コメディー)

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 M氏は有給の消化で出来た休日に映画を観に行くことにした。
 映画は突如地球に現れた謎の物体を巡る、異星人コンタクト物のSFだ。
 ショッピングモールにあるシネコンで、カウンターでチケットを買い、平日の昼間だから空いているだろうと、会場五分前に合わせて上映のスクリーンに向かうと、思いがけず三十人ほどの列が出来ていた。なかなか評判がいいらしいとは思っていたのだが、これほど人気があるとは迂闊だった。もっとも、並んでいるのは、いつでもシニア割引で観られるおじいちゃんおばあちゃんのカップルが大半だったが。
 開場して中に入ると、二百二十人入る大きな劇場だったが、やはり真ん中の席は取られてしまっていて、仕方なく出来るだけ中寄りの空いている席に着いた。
 照明が暗くなり、長い予告編が終わって、いよいよ本編が始まった。
 始まって十分くらい経った頃だろうか、暗い座席のほど近い所から、

 ズズズ、 ズズズ、

 と、地響きにも似た、いびきが聞こえてきた。
 映画に集中していたM氏は、おいおい、勘弁してくれよ、といびきの主を捜したが、ほど近い所から聞こえてくるのは確かなのに、それが前からなのか後ろからなのか、サラウンドの音響設計バッチリの劇場内では判然としなかった。
 ズズズ、ズズズ、といびきは続き、イライラしていると、突如、バラバラバラバラ、と上空をヘリコプターが通り過ぎる爆音が響き、いびきが止まった。
 びっくりしただろうな、ざまあみろ、と、あまり人格者ではないM氏はちょっぴりいい気味に思った。

 映画は、現在進行形の異星人の物らしい謎の巨大物体の調査に、主人公である女性言語学者の若くして亡くなった一人娘の思い出が時おり挿入される形で進行していく。
 久々の本格的なSFらしいSFストーリーに引き込まれたが、半ばに掛かる頃には地味な展開にM氏自身が眠気を感じてきてしまった。
 すると、今度は前方のエリアから、

 クカアー……、 クカアー……、

 と、また別のいびきが聞こえてきた。
 観客は年寄りばっかりだからなあ……、と、今度はM氏もいささか優しいまなざしで傍観した。
 ふと、

 そういえば……、

 と昔の、もう四十年近く前の、子ども時代のことが思い出された。


 それは、小学校の中学年くらいのこと。
 M少年は、当時大人気だった、SFスペースバトルアニメの、リバイバル上映に父親に連れて行ってもらった。
 当時は今みたいに上映回ごとの入れ替えではなく、いつでも入退場出来て、映画館を出なければ何度でも繰り返し観ることが出来た。
 M親子が入ったのも、映画の途中からだったんじゃないかと思われる。映画は三本立てで、同じプロデューサーの手塚治虫原作テレビアニメの編集版と、スペースバトルアニメのテレビシリーズの編集版と、その続編の劇場オリジナル作品だった。
 映画館に入ったのは、スペースバトルアニメの編集版のクライマックス辺りだった。リバイバル上映にも関わらず、ブームのまっただ中で、若いお兄ちゃんお姉ちゃんたちでいっぱいだった。
 事件はM親子が席を見つけて落ち着いて、M少年はテレビの再放送を見ていたから、ああ、もうこのシーンかあ、と思いながら見始めて間もなくのことだった。
 やっぱりテレビで見ていたのか、それとも前の回を既に見ていたのか、M少年と同じか、少し下くらいの男の子が、スクリーンの主人公たちのセリフを当てレコし出したのだ。
 スクリーンでは敵本星での激烈な戦いが終わり、破壊し尽くされた都市を眺め、主人公が涙ながらに戦いの無情を嘆き、「愛」の大切さを説く名シーンが繰り広げられている。その名セリフにほぼバッチリのタイミングでそっくり上からセリフを被せてくる。多くの観客はムッとしていたと思うが、かすかにクスッと言う笑いも漏れていた。それに気を良くした男の子はすっかりオンステージ状態で続く地球へ帰還する名シーンにも当てレコを続けた。『受けた』と思ったのだろう、おどけた誇張も加えて熱演した。
 男の子はM親子から少し離れた所で当てレコしていた。そして、周りが一向に注意する様子のないことに、M父の怒りが爆発した。
「静かにしなさい!」
 と叱りつけたのだ。
 男の子の当てレコはピタッと止まった。
 アニメのシリアスなファンだったM少年はふざけたガキにムカついていて、それを注意した父親を『偉いなあ』と尊敬し感謝した。劇場内の多くの観客もそうだっただろうと思った。思ったのだが、その後、しーんと静まり返った客席で、M少年のみならず、当てレコ少年のみならず、多くの観客がまた、いたたまれない思いで映画の続きを鑑賞していたのもまた、紛れもない事実だった…………


 この思い出には後日談があった。
 あの事件は、今だったらツイッターなんかであっという間に拡散していただろうと思われるが、もちろん当時はそんな環境になかった。
 二週間ほど経った日曜日のことだった。
 M家族は父親の運転する車でドライブの最中だった。車内にはカーラジオで民放の番組が流れていた。
 そこでリスナーからのお便りが紹介された。

『先日、彼女と映画を観に行った時のことです。
 映画は人気の悲しい恋愛ドラマで、映画館には多くのお客が入っていました。
 クライマックスの涙なみだのシーンになって、隣りに座っている彼女が顔をうつむかせて、肩を震わせ始めました。僕はきっと彼女があまりに悲しくて泣いているのだろうと思い、そっと肩に手を置いて、「だいじょうぶ?」とききました。すると彼女は、「ごめんなさい」と謝ったのですが、彼女は泣いているのではなくて、必死に笑いを堪えているのでした。僕は驚いて、「どうしたの?」とききました。すると彼女は答えました。「ごめん、ちょっと思い出しちゃって。先週見た○○の映画で、子どもが大声でセリフを言ってて、そしたらよそのおじさんにさ……」僕もその話は知ってましたし、その場にいたお客の中にも知っている人がけっこういたみたいで、僕らの周りでクスクスと笑い声が起きてしまいました。感動の涙を流したかった皆さん、ごめんなさい』

 助手席で放送を聞きながらM少年は思った、

 うちのお父さんだ、

 と。
 そのM父は放送の内容に気づいているのかどうか、真剣に前を見て運転している。真面目な人なのだ。
 それにしてもそのラジオは全国放送の番組だった。投稿の内容にしても、あの程度の情報で先週の事件がスタジオでも、「ああ、あれね」と笑われてしまうなんて、自分たちが知らない間に全国に共有されてしまっていたらしい。
 M少年は恥ずかしい思いをしながら、全国区のヒーローとなった父への尊敬の念をますます強くしたのだった…………



 現在。
 映画は感動のクライマックスを迎えたが、途中眠くなってしまったのと、あちこちで聞こえる老人たちのいびきと、ふと思い出してしまった幼少のみぎりの映画館エピソードで、いまいちディープな感動を覚えることは出来なかった。
 しかし、長いエンドロールを最後まで見て、ぞろぞろ続く列に入って劇場を出たM氏の心は温かかった。
 ああ、俺も子どもの頃父親にしてもらったみたいに、自分の子どもを連れてきて一緒に映画を観たいなあ、と思うM氏は、この年にもなって独身の親不孝者だった。
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