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真っ暗

小鳥は死の先で白衣と生きる

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君が大好きで、大好きで……とても痛い。

『ごめん、俺なんか、生きてない方がいいのに。』

絶望の淵で零した言葉。
君は、俺の涙を手で拭った。
大好きな声。大好きな優しい表情。それら全てが俺1人に向けられる。

『いいんだよ。生きてていいんだよ。謝らないで。居てくれて、嬉しいんだよ。生きてくれて、嬉しいんだよ。』

その言葉が俺の絶望を……さらに深くした。
愛しい人の言葉なのに。大好きな人のはずなのに。

(そうか、俺はどうやったって……生きるしか、駄目なのか。)

そう思ったら、喉の辺りが苦しくなった。
空っぽの人形になったようだった。

君の言葉は、俺には鎖でしかなかった。
俺を絶望に留まらせる鎖でしか……。

それを不幸と嘆けたなら、どんなに救われただろ。
けれど、そんなことできない。世界はそれを許さない。

『生きろなんて、言わないで。死ねって言葉は望まないから。だから、生きろなんて言わないで……。』

涙を流しながら、出した SOS は踏み潰されて壊された。

世界は俺を許さない。

『死にたいわけじゃないんだ。だけど、生きたいわけじゃない。』

(ごめんなさい。ごめんなさい。)

何度、心で謝っただろう。

(産まれたことを喜べなくて。
生きたいと望めなくて。
死にたくないと思えなくて。)

そうやって、いつも雨が降る。
悲しくなって、空を仰いで、雨は頬を伝っていく。

(俺は、もう、苦しいよ。)

足を踏み出そうと思った。
空を踏む足を夢見た。

けれど、その足は後ろからの重みに揺れた。

「なにやってんだ!」

眼鏡越しに俺を見る瞳が居た。
驚いて、声が出ないでいるとその人は俺を引きずって空から離した。
少し寝癖のある黒の髪。風で揺れる白衣。その足元から覗く黒いスーツ。

「ったく、勘弁しろよな。僕の特等席で自殺とか、下手したら立ち入り禁止になるじゃないか。」

ぶつぶつ言いっていた彼は、ドアの前で振り返って俺を見た。

「はぁ、一応聞くけどさ、屋上こんなところで何しようとしてたの?」

空は、綺麗に晴れていた。雨が降っていたのは、俺の中だけだったみたいだ。
また、雨が頬を伝った。

「って、おい、何泣いてんだよ……。はぁ、めんどくせぇなぁ……。」

彼はそう言ってドアの側に俺を座わらせた。それから、彼自身も隣に座り、何も言わずただ、俺の頭を撫でた。
絶望に繋ぐ鎖とは違う優しさに、言葉が落ち出した。

「俺、わからないんだ。もう、わかりたくないんだ。だから、やめたくて。でも、やめる方法がわからなくて。……飛んでみようと、思ったんだ。……なにも、考えてなかった。……ごめん。ごめんな、さい。」

黙っていた彼が、最後に優しく頭を撫でて口を開いた。

「……いいよ。謝るな。いっぱい いっぱい だったんだろよ。辛かったらやめたいのは仕方ねぇよ。俺だって、仕事辞めて何にもない世界で生きてぇよ。けど、そんな世界中々ねぇからな。それに、辛いのが 生きること なら、難しいよな。しゃーねぇよ。」

晴れ間が見えた気がした。初めてだった。
許すわけじゃなくて、否定するわけじゃなくて、ただ、認めてくれた。
そう思ってもいいって、気持ちを認めてくれた。

「……あ、りが、とう。」

久しぶりに言った言葉は辿々しかったのに、彼は俺の頭をわしゃわしゃ撫でて「気にすんな」って、照れたように言った。



俺は、その日から屋上に入り浸るようになった。
初め彼は俺が屋上にいることに冷や汗をかいたと言っていた。また、俺が自殺するんじゃないかと思ったらしい。
けれど、すぐにそれも無くなったと笑っていた。

「だってお前、直ぐに僕の近くに座るだろ?それで、ただ喋って、時間が来たらまた明日って言うだろ?そんな奴が、また飛ぶなんて思わなくなったんだよ。」



俺が来る前、彼はこの屋上に休み時間のたびに来てはただ、空を眺めていたらしい。会社のストレスを空を見て癒していたんだとか。



「それにしても、小鳥はこのビルの関係者なんだよな?」

今日も空は青い。コンビニの弁当を食べながら彼は俺を見た。

「んーと、まぁ、そんなところかな?」
「あ?はっきりしねぇなぁ。」
「えっとね、あんまり言いたくないなーって。」
「お前、そう言って名前すら言わねぇじゃんか。」
「そっれは、白衣さんだって教えてくれないじゃん。」
「小鳥が、言わねぇからだろうがよ!」

そんなこんなで、出会って1ヶ月は経つというのに俺は彼の名前を知らない。そして、彼も俺の名前を知らない。だから、お互いに呼び方がわからなくて俺は「白衣さん」(いつもスーツに白衣を着てるから)。白衣さんは、俺を「小鳥」と呼ぶ。(白衣さん曰く、空を飛びたかったのに飛べなかったからだそうだ。俺が言うのもなんだが、不謹慎な気がしなくもない。けど、それも白衣さんらしいと思う。)

「それより、白衣さんはなんでいつも白衣着てるの?」
「お前、話逸らしたな。つか、それもっと早く聞くやつだろ。」
「だって、なんか、聞きにくくて。」
「そうかよ。あー、これはな、俺の仕事着だ。」
「……はぁ。」
「んだよ、その薄いリアクションは!お前が聞いたんだろうが!」
「だって、なんか、普通だったから。」
「あん?じゃぁ、なんだったら良かったんだよ。」

喧嘩腰になった白衣さんが、俺を睨むがあまり怖くないので笑いそうになる。

(可愛いなぁ)

「えーっとね、例えば、白衣がないと落ち着かないからとか……恋人に、貰ったとか?」

何故だか、と言って苦しくなったが知らないふりをした。

「あー?まぁ、白衣がねぇと落ち着かねえのは確かだな。けどな、恋人って……空に癒し求めるような奴が、いると思うか?」

「んー、いないね。」

「だろ?……っと、もうすぐ戻らねぇと。」

「あ、もうそんな時間かぁ……。」

「まぁ、お前と居ると時間経つの早えのは確かだな。」

「んー、じゃあ、また明日?」

「……あー、そうだな……お前さえ、よければなんだが……僕の家、来るか?」

白衣さんの予想外の言葉に振ろうとした行き場のない手で困惑する。

「あ、別に、変な意味は無いからな!つか、男同士だし……。ただ、もう少し話てぇなとか、思っただけだし……。嫌なら、いいんだぜ?ちゃんと断ってくれるならな!」

凄く、嬉しい誘いだ。本当なら、ここで頷いてしまいたかった。
けど、俺は……。

「白衣さん、ごめんね。俺、人の家に行くの禁止されててさ。それを破る力、俺になくて。嬉しいのに、断らないといけないんだ。」

白衣さんは、顔を赤くして、早口になった。

「いや、別にいいよ。仕方ねぇな!それならな!僕、いかねぇといけないから、行くな!また、明日な!」

「うん。また、明日。」

閉まった扉を見つめる。

「……ごめんね、白衣さん。」


『君は、僕が好きだろう?私も君が大好きだよ。だから、君ならわかってくれるだろう?他の男の家に行くのも、他の女の家に行くのも嫌だと思う私の気持ち。本当は、私の家にずっといて欲しいくらいなんだからな。』

君は、優しくて、弱くて……。
俺は君を裏切れなかった。
いや、君は裏切らせてくれなかったんだ。

『君は生きていていいんだよ。むしろ、生きていないと困るよ。君がいない世界なんて、私は生きられない。君がいなくなったら、私も一緒にいなくなるからな。』

優しく告げる声、大好きな表情。愛しい人のはずだ。運命だと、重ねたはずなのに。どうしてそれが鎖のようになったんだろう。

『大好きだよ。愛しい人。私は君と生きるために産まれてきたんだよ。』

(やめて、やめてよ。お願いだから。俺の命を縛らないで。)

そう思うのに、突き放すことができない。

そのせいで、馬鹿みたいに約束を未だに守ってしまう。もう、俺はそれを守る必要がないのに。

それに、どちらにせよそれを破ることは今の俺にはできない。

「ごめんね、白衣さん。俺に“明日”なんて、本当はなかったんだ。」


毎月、1日だけ白衣さんじゃない人が花束を持って扉を開く。

「本当は、俺が居ない世界でも生きれただろう?」

俺の言葉を擦り抜けて、その人は屋上の淵へ行く。

「未だに、私は分からないんだ。何故、君が1人でいってしまったのか。ただ、君と生きていただけなのに……。その方法すら、わからなかったなんて……。私は愚か者だ。本当に……私は、駄目だなぁ……。」

君はどこまでも愛しくて、君の言葉はどこまでも痛い。

「俺は、君が大好きだけど、俺は生きることを望んだことはなかったよ。ごめん。ごめんね。俺は、馬鹿なんだ。初めから、そう言えればよかったね。」

君は僕を擦り抜けて扉を閉じた。
また、朝が来て白衣さんが扉を開ける。

「おはよう、白衣さん。」
「あぁ、おはよう小鳥。」

ふと考える。
俺はいつこの世から消えるのか。
この、茶番じみた幸福はいつまで続くのか。

「あ、もうそろそろ、戻らねぇと……じゃ、また昼な。小鳥。」
「うん。白衣さん。」

この世界が、もし本物なら……。

(馬鹿みたいな夢だ。本当に……愚かなのは、俺だよ。永遠に続けばいいと思ってしまったんだ。
名前も知らない、彼との世界が。)

そう思ったら、なんだか体が軽くなった。

(うん。そうか。そうなんだ。俺、白衣さんと生きてみたいんだ。)



キラキラキラキラ 世界が光って見えた。



「小鳥?……おい、小鳥!小鳥どこだ!」

屋上を見回すが、人の姿はない。怖くなって、屋上から下を見るが、人だかりができている様子もない。

ひとまず安心して、いつもの場所に腰を下ろすと小さな鳥が目に入った。

「ん?小鳥?」

その言葉に反応するように、その鳥が鳴き声を出した。

「……お前、小鳥か?」

やはり、タイミングよく小鳥は返事をする。

「…………なぁ、お前、鳥だったのか?」

小鳥は、それを聞いてか白衣に近付き、2回鳴き声をあげた。まるで、問いを否定するように。

彼は少し考えてから、口を開いた。

「小鳥、僕の家に来るか?」

小鳥は、白衣の手に頬ずりをした。

「そうか。じゃあ、沢山小鳥と話せるな。」

白衣は、涙を流して困ったようにそう言った。

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