恋するピアノ

紗智

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78.夢見ていた職業

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※※※甲斐視点です。


二週間前とは明らかに違って生き生きと輝く植物たち。
日差しが穏やかに降り注ぐせいか。
入学式の午後は、なんだかのんびりした雰囲気だ。
夜穂ちゃんが部活をやめて暇そうにしてるせいもあるんだろう。
「電話、切られちゃった……」
覚くんに電話をかけていた明日生くんがうなだれた。
「へ? そうなのか?」
「取り込み中だったみたいですね」
「すぐ断ってこないってことは、来るんじゃないの?」
良実ちゃんの慰めの言葉に、明日生くんは目を輝かせる。
「僕、着替えてきますね!!」
止めるまもなく談話室を出て行く明日生くんをみんなで見送った。
「着替えなくてもちゃんとした格好してんのになあ……」
「明日生にしちゃ気が抜けた格好だったんじゃないの?」
「あの二人も来るなら行き先を考え直さなきゃいけませんねえ」
言いながら良実ちゃんのパソコンに横から手を出した。
「考える? あの二人だといつも行くとこ決まってるんじゃないの?」
「あそこは洋食レストランですから、なんだか肉とか食べたい気分じゃなくてですねえ……」
「……ぜいたくな」
明日生くんは、電話で話しながら談話室に戻ってきた。
声が弾んでる。
来ることになったのだろう。
「えっと、じゃあ6時に。迎えに行きますよ」
浮かない顔になる。
迎えを断られたらしい。
以前から双子は高等部にはいってからは迎えは要らないといっていた。
確かに、もう180cmにもなろうかという男子を二人も誘拐はされないだろう。
夜穂ちゃんがまだ電話中の明日生くんの頭をぽんぽんと撫でた。



安っぽい回転寿司でも双子は喜んだ。
良実ちゃんや明日生くんにアドバイスしてもらって、かっぱ巻き、おしんこ巻き、納豆まき、いなりずし、ナス握り、フライドポテトなど、意外と食べるものはあったようだ。
それ以上に回転する寿司が面白かったらしい。
直接レーンから寿司を取りたがって、レーン側に座っていた私は何度かつぶされそうになった。
まあ、彼らのような薄い身のひとにつぶされたってなんともない。
もう私より背が高くなったのに、まるで子どものようだ。
演奏するときや改まった場に出るときは大人顔負けの表情を見せるくせに。
こういう意外性に明日生くんは惹かれたのだろうか。
酢飯だと口当たりが軽いためか、普段あまり食べない明日生くんや良実ちゃんも食が進んでいる。
みんな喜んでいるようで私も気分がいい。
こんなに楽しいのに、それぞれにはうまくいかない恋の悩みを抱えているなんて、想像もつかない。
この楽しさがずっと続くといいのに、この先はどうなっていくのだろう。



「そういえばさ、甲斐がアクセサリー付けてるの珍しいね」
「どうしたの? 自分で買ったの?」
寿司屋からの帰り道にみんなで歩きながら、双子に尋ねられた。
「はい……まあ、いいことがあった記念に自分で買いました」
「いいこと?」
「何があったの?」
内緒です、そういって笑うと、双子は拗ねて夜穂ちゃんに絡んでいった。
「夜穂ちゃーん!」
「甲斐が冷たいー!」
「おう、甲斐はもともと低体温だぞ。血圧も低いらしいぞ」
「「そういう問題じゃなくって!」」
にぎやかなみんなを眺めておとなしく笑っていると、明日生くんが横からボソッと言った。
「それ、純金ですよね。どうしたんですか、ほんとに。記念ってそんなすごいことなんですか?」
「まあ……そのうち話しますよ」
「はい……」
特別に秘密にするつもりはないのだけど。


数日前、風邪で息苦しかった身体がようやく回復してきたころ、出版社から電話があった。
秋にコンテストに応募した私の小説が入賞したそうだ。
小さなころから夢見ていた職業、小説家に一歩私は足を踏み入れたことになる。
周りにはもう少し経つまで話さずにいようかと思う。
このことが信じられない話じゃなくなるまで。
もう少し、小説家らしくなれるまで。
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