恋するピアノ

紗智

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91.訊かないで

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※※※良実視点です。




夜穂やすおは黙り込んでしまった。
信じられない、と言いたげな様子で。
ひとつ息をついて、もう一度言ってやった。
「付き合ってもいいよ」
沈黙をピアノの音が埋める。
「あの……」
やっと口を開いたやすの声は掠れていた。
「病人扱いするなって……どういう意味だよ?」
がさがさの声をしながら、やすはやっぱり綺麗な顔立ちをしてる。
笑った顔もいいけど、こういう真剣な表情は特に魅力的だ。
「健康な相手と付き合うことになったらやすは何がしたい?」
「えっと……」
こんな時ばかりくちごもる。
普段うるさいくらい下ネタを言ってるくせに。
「それをすればいい」
唇を噛んで、やすは少し怒ったように返した。
「無茶言うなよ……!」
表情が豊かで、ほんとに飽きない。
「やす、俺は人並みの質の生き方をしたい。病人らしくおとなしくして長く生きるより、短くなってもいいから普通の生き方がしたいんだ」
はっと目が覚めたような顔をして、やすは呆然とした。
「それは……わからなくねえけどさ……」
「だから遠慮するなよ。だいたい、そんなに俺の病気ひどくないよ」
自分の身体のことくらい、知ってる。
それくらい平気だと思う。
やたら気遣われるのは気持ちが悪い。
「馬鹿なこと……!」
やすの言葉を、指を口に押し当てて止めた。
「それが条件。飲まないなら付き合わない」
手を、握られる。
「……付き合ってくれよ」
なんて目で俺を見るんだろう。
もともとすごく綺麗な瞳で、そんな何もかも忘れたように真剣な訴える顔をしないでほしい。
目が離せなくなるじゃないか。
「いいよ」
意外にも、やすは笑わない。
嬉しすぎて笑うのを忘れてるのか、まだ信じられないのか。
信じられなくても、今、俺とお前は付き合うことになったんだよ。
そう思ったら、俺は自然と微笑んでた。
しばらく黙って、二人でピアノ曲に耳を傾けた。




突然、水を飲んでくるといってやすは放送室を出て行った。
掠れた声をしてたから無理もない。
やすはきっとまだ混乱してる。
まだ、『大事なこと』には気付いてないはずだ。
CDを流行ってるPOPのアルバムに変えた。
歌に集中して思考を散らす。
今はいろいろ考えたくない。
気付きたくないことがある。
ドアの開く音がして、やすが黙って入ってきた。
髪が濡れて、癖毛がくるんと丸まった束になってる。
「水飲むついでに水浴びしてきたの?」
「暑いんだもんよ」
そのまま、やすは俺に近付いてきた。
「ついでに、頭も冷やしてきた」
抱きしめられた。
それも強く。
いつだったかの抱きしめ方が別人のように、きつく、抱きしめてくる。
痛いなんて絶対言ってやらない。
胸が苦しい。
「暑い、やす」
「うるせえ……! したいことすればいいって言ったのお前だろ」
ため息をついて見せた。
「まあ、言ったけど」
頷いた。
ふわりと頬に感触がくる。
ああ、キスされたんだ。
このままどこか触られるのかと思ったけど、やすはあっさり離れて椅子に座った。
目を閉じて踵で曲のリズムを取り始めた。
歌いだしそうな雰囲気。
目を閉じても、ほんとに綺麗な顔をしてる。
「しないの?」
「何を?」
本気で何のことかわからないみたいだ。
「セックス」
びっくりしたように、やすは目を開けた。
俺に向き直って、俺の顔を呆然と見た。
無表情で言った。
「するよ。……そのうちな」
「それまでに俺が生きてるといいね」
冗談っぽく言ったのに、やすはものすごい顔で俺を睨んだ。
まるで怒りのあまり言葉が出てこないといった表情だ。
そんな怖い顔も、綺麗なだけなのに。



アルバムが終わると、放送室を引き上げることにした。
片付けて、部屋を出るばかりになってやすは俺の肩を掴んだ。
「あ、あのさ」
「なに?」
少し息を吐いてから、やすは訊いてきた。
「どうして俺と付き合ってくれる気になったんだ?」
それは訊かないで。
「さあね」
自分でもそれはまだ、気付きたくないんだ。
認めたくないんだ。
「だって……」
不安がらせたくはないから、少しは言っておく。
「誰かと付き合うこともしてみたかった。やすならいいかなって思った」
時々見蕩れてしまうのは、ただやすが綺麗な顔をしているから。
付き合うって、別に特別なことじゃなくて好奇心が理由でもいいはずだ。
何度も自分に言い聞かせる。
抱きしめられて胸が苦しくなるのは、きっと病気のせいだ。
今、まだ、認める必要はないだろ。
出口のドアを開ける直前、一瞬唇を重ねられた。
心臓が跳ねる。
ほんとに、認める前に寿命が尽きそうだ。
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