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金鎖
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「極光って知ってる?」
頬から鼻にかけて散らばる雀斑が印象的な子だった。
「なに、極光って」
「オーロラの日本名らしいんだけどね...」
続けて彼女は、オーロラっていうのは天体の極域近辺に見られる大気の発光現象でね、とまるで検索サイトからそのまま持ってきたかのような説明をする。
その楽しげな彼女をただ見つめる。
「ねぇ、いつか見に行こうよ」
楽しかったあの頃の記憶。
晩夏、
ヒグラシの声がうるさくあたりに響く。
無意識に頬から鼻を撫でる。
彼女と同じ鼻の脇に集まっている小さな雀斑。
それを見るたびあの日を思い出す。
私たちは愛し合っていた。
「ねぇ、だいすき。あいしてるの。」
彼女は毎日のようにそう言った。
「わたしも、あいしてる。」
そして私がそう返すのがいつものパターンになっていた。
相手のためなら何を差し出しても構わない。
子供ながらにそう言い切れてしまうほどに、私たちは愛し合っていた。
「ぜったいけっこんしようね、ぜったいだよ。」
私たちは無邪気な子供だった。
もう少し大人になったらお互いの親に挨拶をしよう。結婚式はどこでやろう?
どんなドレスを着る?ケーキには2人の人形を飾ろう。
いずれ来るであろう2人の幸せな将来を想像しては笑いあっていた。
そしてあの日、今から10年前のちょうど彼女が14歳になったばかりの頃だった。
「ねぇ、私14歳になったの。」
「知ってる。」
「そうじゃなくて!もう大人になったの!」
現在日本の成人年齢は20歳、結婚ができるようになる年齢は16歳...
彼女は一体何を持って自身を「大人」と称しているのだろうか。
「14歳はね、何か犯罪を犯したら裁判にかけられて裁かれるようになるの!」
だからね、もう大人なの。
と、続ける彼女。
どうやら彼女は独特の「大人観」を持っているようだった。
「そう、それならこれからは何かやらかさないように気をつけなきゃね。」
「それはお互い同じことでしょ!人とか殴っちゃダメだからね!」
そんなことしない。するわけがない。
が、彼女があまりにも真剣な顔で言うものだから思わず笑ってしまった。
笑われたことで彼女は不満そうだったが、好物のお菓子を渡せばすぐに機嫌を直した。
14歳。
大人の仲間入りを果たした気分でいた私たちは実に無邪気で、そして未熟であった。
そんなやり取りをした次の日、私は彼女の家へと向かっていた。
私は親がほとんど家におらず毎日一人で過ごすことが多いため月に何度か彼女のご両親に家に招いてもらい、一緒に食事をするのがなんとなくの習慣になっていたのだ。
家に着いてインターホンを鳴らすと、すぐにドアが開いた。
「いらっしゃい」
彼女の母が優しく出迎えてくれる。
いつもありがとうございます、とお礼を言い、促されるまま家の中へ入る。
奥へ進むとリビングのドアが開き、彼女が顔を出す。
「いらっしゃい!もうご飯できてるからはやく一緒に食べよう!」
「その前に2人とも、手洗ってきて」
はーい、と返事をして彼女と共に洗面所に向かう。
手を洗い終わり、ドアノブに手をかける。
「まって」
彼女の声に手が止まる。
「なに?」
自分で呼び止めたくせに、
彼女は黙ったままだ。
暫くして意を決したように口を開く。
「あのね、今日パパやママに言おうと思って。私たちのこと。」
なぜ今日なのか、14歳になったから?
あの時の約束の「もう少し大人になったら」のタイミングが今だというのか。
「まだ、やめておいたら?」
「どうして?」
彼女の真剣な顔は、てっきり賛成してくれると思っていたのに、なぜ反対するのか?と訴えかけてくる。
私は何も言えなかった。
「だって、あと2年で結婚できる歳になるんだよ!」
彼女は結婚結婚という割に今の法律上、
私たちは結婚できないということを知らない。実に無知で無邪気で、私は彼女のそういうところが好きだった。
「そう、だね」
彼女がそうしたいのならそうすればいい。それくらいの気持ちで頷いた。
それじゃ、戻ろうか。と彼女を洗面所から出るよう促す。
ダイニングに入ると、テーブルにはもう既に美味しそうな料理が用意されていた。
「今日は一緒に食べる日だから、ママがたくさん作ってくれたの!」
確かに、彼女と私の好物がたくさん並んでいる。
「さ、食べましょう」
彼女の母に促され、席に座る。
テーブルには彼女の父、母、姉の家族全員が揃っている。
月に何度かだけ体験できる温かい家庭の食事が始まる。
「ねぇ、パパ、ママ」
テレビを見ながら談笑している中、遂に彼女が切り出す。
「あのね、あの、私たち...」
愛し合ってるの。結婚したいと思ってる。
彼女にしては随分冷静な言い回しだった。
私はスープを口に運んでいた手を止め、静かに打ち明けられた二人の様子を伺う。
先程まで楽しそうに会話していたのが嘘のように表情をこわばらせ、黙りこくってしまった。
しばらくして、両親ではなく姉が口を開いた。
「気持ち悪い。」
一言だけ呟いて、部屋を出て行ってしまった。
残された私たちは四人とも、ただ黙って目の前の食べ物を片付けていった。
それ以来、夕食に呼ばれることも彼女の家に招かれることもなくなった。
彼女も、自分の発言で家族と私の関係が気まずくなったことを気にしてか、あまり話しかけてこなくなった。
今まで彼女だけが私を見て、
私を愛してくれていたのに。
すべてを失った気分だった。
しかし、そんな日々も長くは続かなかった。
突然のことだった。
あの日、突然彼女が家に押しかけてきた。ちょうど梅雨の時期で雨が降っていた。
傘もささずやってきた彼女を誰もいない部屋へ招く。
風呂の準備や、タオルと着替えを用意している間もいつもうるさいくらいによく喋る彼女は黙っていた。
ここで無理に聞き出さず、とりあえず風呂に入らせ、濡れた服も着替えさせる。
「それで、どうしたの?」
風呂に入り温まって少し落ち着いたであろう彼女に優しく尋ねる。
彼女はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「私、お姉ちゃんを殺しちゃった」
その言葉は彼女の髪をタオルで乾かしていた私の手を止めた。
風呂で温まったはずの体は震えている。
「あの時の話で、喧嘩になって...それで...」
あの時の話というと、最後に彼女の家で食事をした時の告白についてだろう。
「わざとじゃないの、わざとじゃなかったの。ねぇ、どうしよう!」
彼女はあの時と同じ言葉を吐いた姉を突き飛ばしたようだった。
いきなり衝撃を受けた姉は耐えきれず後ろへ倒れた。
そしてそこに運悪く箪笥の角があったそうで、彼女の姉はそこに頭を打ちつけ、血を流した。
意識も失っているため、彼女は怖くなってここまで走ってきたという訳だった。
姉を殺したかもしれない。
その事実が彼女の冷静さをいていく。
「私、私、14歳になったから、捕まっちゃうのかな...」
その言葉で彼女の大人の基準が「裁かれるかどうか」にあったことを思い出した。
「あなたは、何も悪くない」
泣きじゃくる彼女にかけるべき言葉がわからなかった。
ただ、なんとか慰めようと口から出た言葉だった。
「それじゃあ、一緒に逃げて。」
もし私が捕まったら、次に会えるのがいつかわからない。
もうあの家にはいられないの。だから...と彼女は続ける。
彼女の真剣な眼差しに射抜かれ、辺りを見渡す。
彼女が捨てていこうとしているものが、私にはない。
「うん、一緒にいこう。」
あの頃の私たちは、ただ無邪気で、ただ未熟であった。
私の家で一晩だけ過ごし、2人で逃げる。すべてを置いて外へ出た。
あれほど激しく降っていた雨はすっかり止み、空は晴れていた。
「これからどうしようか。」
「あの山!山に行こう!」
オーロラが見られるかもしれないから、と続ける彼女。
2人はただ、逃げて、逃げた先に私たちだけの楽園を求めていた。
私たちは山を登って行った。
二人手を繋いで、離れないように。
しばらく歩いていくと黄色い花が目に止まった。
それは藤のように頭上から垂れ下がり、まるでカーテンのようだった。
「あ、この花!」
花が好きで詳しい彼女はその花を知っているようだった。
「それはキングサリって花でね、5月から6月くらいに咲く花なんだけど...」
今の時期まで花が残ってるなんて珍しいと、彼女は嬉しそうに花へ手を伸ばす。
「この花の花言葉はね、「相思相愛』」
この花は私たちだ。
彼女も同じことを考えたのだろう。
微笑みながら私を見つめている。
「この花にはね、毒があるの。ほら、この種を口に含むと死んじゃうの。」
彼女の指す方をみると、枝豆やインゲンのような房がいくつもぶら下がっている。
「ねぇ、ここまで逃げてきたね。」
いきなり話題を変えた彼女に驚きつつも、
「そうだね、2人だけで。」
と返す。
「もうあの家にも、あの場所にも戻れない。」
「戻るつもりなんかない」
そして
「ねぇ、一緒に食べてくれる?」
彼女の手にはキングサリの種。
心中を持ちかけられている、とすぐに分かった。
今までの記憶を辿る。私はずっと色のない世界に生きていた。
ただ彼女だけが、この山の中に咲く黄白い花のように私に色を与えた。
もう戻れない、と言い切った彼女は私が断ったとしても1人で食べるつもりだろう。
ならば、それならば
「うん、一緒に。」
彼女となら何処へだっていける。
それから私たちは、キングサリの種を集めた。
房の数が少なかったり、もうすでに種が落ちてしまっていたりして多くは集まらなかったが十分だった。
「ねぇ、あいしてるの。」
「私も愛してる。」
せーの、の掛け声で二人同時に種を口に含む。そして二人で向かい合い、手を繋いで草の上に転がる。
これで二人の世界へ行ける。
あの頃の私たちは無邪気で未熟だった。
しかし目を覚ますと、そこは病院だった。
病院......すぐに失敗したとわかった。
医者の話によれば山に入った人が私たちが倒れているのを見つけ、通報。
私は口に種を含んで眠っており、彼女は種を「噛み砕いた」ことで毒がまわり、見つけた時にはもう死んでいたという。
私たちが食べたキングサリの種はただ口に含むだけでは毒にならず、噛み砕いて種の中身を食べることではじめて毒になるらしい。
花が好きな彼女は当然それを知っていた。
知っていて私に教えなかった。
どうして?
なぜ私を置いていったの?
一緒にいこうっていったのに。
私には、あなただけだったのに。
結局私だけ生き延びてしまった。
あの時の絶望は10年経った今でも忘れられない。
彼女を失ってから、世界は再び色をなくしてしまった。
私は今、彼女の生きられなかった晩夏を生きている。
夏ももう終わりだと言うように、ヒグラシが鳴き続けている。
昔のことを思い出しているうちにあの場所へと辿り着いていた。
あれから10年間、1度も訪れなかったこの場所。
「キングサリ......」
さすがに季節外れのあの黄色い花はどこにもなかった。
しかし、あの時彼女と共に口に含んだ種はたくさん残っている。
私は種を集める。10年前、彼女とそうしたように。
数粒口に含む。
そしてゆっくりと噛み砕く...
それを繰り返す。
今度は間違えないように。
あの時と同じように草の上に転がる。
横を向けばすぐそこに彼女がいる気がした。
『ねぇ、あいしてるの。』
「わたしも、あいしてる。」
私はゆっくりと目を閉じる。
意識が遠のいていくのを感じた。
今度こそ、この鎖が私たちを繋いでくれる。
今度こそ彼女と一緒に、極光を見に行けるような気がした。
頬から鼻にかけて散らばる雀斑が印象的な子だった。
「なに、極光って」
「オーロラの日本名らしいんだけどね...」
続けて彼女は、オーロラっていうのは天体の極域近辺に見られる大気の発光現象でね、とまるで検索サイトからそのまま持ってきたかのような説明をする。
その楽しげな彼女をただ見つめる。
「ねぇ、いつか見に行こうよ」
楽しかったあの頃の記憶。
晩夏、
ヒグラシの声がうるさくあたりに響く。
無意識に頬から鼻を撫でる。
彼女と同じ鼻の脇に集まっている小さな雀斑。
それを見るたびあの日を思い出す。
私たちは愛し合っていた。
「ねぇ、だいすき。あいしてるの。」
彼女は毎日のようにそう言った。
「わたしも、あいしてる。」
そして私がそう返すのがいつものパターンになっていた。
相手のためなら何を差し出しても構わない。
子供ながらにそう言い切れてしまうほどに、私たちは愛し合っていた。
「ぜったいけっこんしようね、ぜったいだよ。」
私たちは無邪気な子供だった。
もう少し大人になったらお互いの親に挨拶をしよう。結婚式はどこでやろう?
どんなドレスを着る?ケーキには2人の人形を飾ろう。
いずれ来るであろう2人の幸せな将来を想像しては笑いあっていた。
そしてあの日、今から10年前のちょうど彼女が14歳になったばかりの頃だった。
「ねぇ、私14歳になったの。」
「知ってる。」
「そうじゃなくて!もう大人になったの!」
現在日本の成人年齢は20歳、結婚ができるようになる年齢は16歳...
彼女は一体何を持って自身を「大人」と称しているのだろうか。
「14歳はね、何か犯罪を犯したら裁判にかけられて裁かれるようになるの!」
だからね、もう大人なの。
と、続ける彼女。
どうやら彼女は独特の「大人観」を持っているようだった。
「そう、それならこれからは何かやらかさないように気をつけなきゃね。」
「それはお互い同じことでしょ!人とか殴っちゃダメだからね!」
そんなことしない。するわけがない。
が、彼女があまりにも真剣な顔で言うものだから思わず笑ってしまった。
笑われたことで彼女は不満そうだったが、好物のお菓子を渡せばすぐに機嫌を直した。
14歳。
大人の仲間入りを果たした気分でいた私たちは実に無邪気で、そして未熟であった。
そんなやり取りをした次の日、私は彼女の家へと向かっていた。
私は親がほとんど家におらず毎日一人で過ごすことが多いため月に何度か彼女のご両親に家に招いてもらい、一緒に食事をするのがなんとなくの習慣になっていたのだ。
家に着いてインターホンを鳴らすと、すぐにドアが開いた。
「いらっしゃい」
彼女の母が優しく出迎えてくれる。
いつもありがとうございます、とお礼を言い、促されるまま家の中へ入る。
奥へ進むとリビングのドアが開き、彼女が顔を出す。
「いらっしゃい!もうご飯できてるからはやく一緒に食べよう!」
「その前に2人とも、手洗ってきて」
はーい、と返事をして彼女と共に洗面所に向かう。
手を洗い終わり、ドアノブに手をかける。
「まって」
彼女の声に手が止まる。
「なに?」
自分で呼び止めたくせに、
彼女は黙ったままだ。
暫くして意を決したように口を開く。
「あのね、今日パパやママに言おうと思って。私たちのこと。」
なぜ今日なのか、14歳になったから?
あの時の約束の「もう少し大人になったら」のタイミングが今だというのか。
「まだ、やめておいたら?」
「どうして?」
彼女の真剣な顔は、てっきり賛成してくれると思っていたのに、なぜ反対するのか?と訴えかけてくる。
私は何も言えなかった。
「だって、あと2年で結婚できる歳になるんだよ!」
彼女は結婚結婚という割に今の法律上、
私たちは結婚できないということを知らない。実に無知で無邪気で、私は彼女のそういうところが好きだった。
「そう、だね」
彼女がそうしたいのならそうすればいい。それくらいの気持ちで頷いた。
それじゃ、戻ろうか。と彼女を洗面所から出るよう促す。
ダイニングに入ると、テーブルにはもう既に美味しそうな料理が用意されていた。
「今日は一緒に食べる日だから、ママがたくさん作ってくれたの!」
確かに、彼女と私の好物がたくさん並んでいる。
「さ、食べましょう」
彼女の母に促され、席に座る。
テーブルには彼女の父、母、姉の家族全員が揃っている。
月に何度かだけ体験できる温かい家庭の食事が始まる。
「ねぇ、パパ、ママ」
テレビを見ながら談笑している中、遂に彼女が切り出す。
「あのね、あの、私たち...」
愛し合ってるの。結婚したいと思ってる。
彼女にしては随分冷静な言い回しだった。
私はスープを口に運んでいた手を止め、静かに打ち明けられた二人の様子を伺う。
先程まで楽しそうに会話していたのが嘘のように表情をこわばらせ、黙りこくってしまった。
しばらくして、両親ではなく姉が口を開いた。
「気持ち悪い。」
一言だけ呟いて、部屋を出て行ってしまった。
残された私たちは四人とも、ただ黙って目の前の食べ物を片付けていった。
それ以来、夕食に呼ばれることも彼女の家に招かれることもなくなった。
彼女も、自分の発言で家族と私の関係が気まずくなったことを気にしてか、あまり話しかけてこなくなった。
今まで彼女だけが私を見て、
私を愛してくれていたのに。
すべてを失った気分だった。
しかし、そんな日々も長くは続かなかった。
突然のことだった。
あの日、突然彼女が家に押しかけてきた。ちょうど梅雨の時期で雨が降っていた。
傘もささずやってきた彼女を誰もいない部屋へ招く。
風呂の準備や、タオルと着替えを用意している間もいつもうるさいくらいによく喋る彼女は黙っていた。
ここで無理に聞き出さず、とりあえず風呂に入らせ、濡れた服も着替えさせる。
「それで、どうしたの?」
風呂に入り温まって少し落ち着いたであろう彼女に優しく尋ねる。
彼女はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「私、お姉ちゃんを殺しちゃった」
その言葉は彼女の髪をタオルで乾かしていた私の手を止めた。
風呂で温まったはずの体は震えている。
「あの時の話で、喧嘩になって...それで...」
あの時の話というと、最後に彼女の家で食事をした時の告白についてだろう。
「わざとじゃないの、わざとじゃなかったの。ねぇ、どうしよう!」
彼女はあの時と同じ言葉を吐いた姉を突き飛ばしたようだった。
いきなり衝撃を受けた姉は耐えきれず後ろへ倒れた。
そしてそこに運悪く箪笥の角があったそうで、彼女の姉はそこに頭を打ちつけ、血を流した。
意識も失っているため、彼女は怖くなってここまで走ってきたという訳だった。
姉を殺したかもしれない。
その事実が彼女の冷静さをいていく。
「私、私、14歳になったから、捕まっちゃうのかな...」
その言葉で彼女の大人の基準が「裁かれるかどうか」にあったことを思い出した。
「あなたは、何も悪くない」
泣きじゃくる彼女にかけるべき言葉がわからなかった。
ただ、なんとか慰めようと口から出た言葉だった。
「それじゃあ、一緒に逃げて。」
もし私が捕まったら、次に会えるのがいつかわからない。
もうあの家にはいられないの。だから...と彼女は続ける。
彼女の真剣な眼差しに射抜かれ、辺りを見渡す。
彼女が捨てていこうとしているものが、私にはない。
「うん、一緒にいこう。」
あの頃の私たちは、ただ無邪気で、ただ未熟であった。
私の家で一晩だけ過ごし、2人で逃げる。すべてを置いて外へ出た。
あれほど激しく降っていた雨はすっかり止み、空は晴れていた。
「これからどうしようか。」
「あの山!山に行こう!」
オーロラが見られるかもしれないから、と続ける彼女。
2人はただ、逃げて、逃げた先に私たちだけの楽園を求めていた。
私たちは山を登って行った。
二人手を繋いで、離れないように。
しばらく歩いていくと黄色い花が目に止まった。
それは藤のように頭上から垂れ下がり、まるでカーテンのようだった。
「あ、この花!」
花が好きで詳しい彼女はその花を知っているようだった。
「それはキングサリって花でね、5月から6月くらいに咲く花なんだけど...」
今の時期まで花が残ってるなんて珍しいと、彼女は嬉しそうに花へ手を伸ばす。
「この花の花言葉はね、「相思相愛』」
この花は私たちだ。
彼女も同じことを考えたのだろう。
微笑みながら私を見つめている。
「この花にはね、毒があるの。ほら、この種を口に含むと死んじゃうの。」
彼女の指す方をみると、枝豆やインゲンのような房がいくつもぶら下がっている。
「ねぇ、ここまで逃げてきたね。」
いきなり話題を変えた彼女に驚きつつも、
「そうだね、2人だけで。」
と返す。
「もうあの家にも、あの場所にも戻れない。」
「戻るつもりなんかない」
そして
「ねぇ、一緒に食べてくれる?」
彼女の手にはキングサリの種。
心中を持ちかけられている、とすぐに分かった。
今までの記憶を辿る。私はずっと色のない世界に生きていた。
ただ彼女だけが、この山の中に咲く黄白い花のように私に色を与えた。
もう戻れない、と言い切った彼女は私が断ったとしても1人で食べるつもりだろう。
ならば、それならば
「うん、一緒に。」
彼女となら何処へだっていける。
それから私たちは、キングサリの種を集めた。
房の数が少なかったり、もうすでに種が落ちてしまっていたりして多くは集まらなかったが十分だった。
「ねぇ、あいしてるの。」
「私も愛してる。」
せーの、の掛け声で二人同時に種を口に含む。そして二人で向かい合い、手を繋いで草の上に転がる。
これで二人の世界へ行ける。
あの頃の私たちは無邪気で未熟だった。
しかし目を覚ますと、そこは病院だった。
病院......すぐに失敗したとわかった。
医者の話によれば山に入った人が私たちが倒れているのを見つけ、通報。
私は口に種を含んで眠っており、彼女は種を「噛み砕いた」ことで毒がまわり、見つけた時にはもう死んでいたという。
私たちが食べたキングサリの種はただ口に含むだけでは毒にならず、噛み砕いて種の中身を食べることではじめて毒になるらしい。
花が好きな彼女は当然それを知っていた。
知っていて私に教えなかった。
どうして?
なぜ私を置いていったの?
一緒にいこうっていったのに。
私には、あなただけだったのに。
結局私だけ生き延びてしまった。
あの時の絶望は10年経った今でも忘れられない。
彼女を失ってから、世界は再び色をなくしてしまった。
私は今、彼女の生きられなかった晩夏を生きている。
夏ももう終わりだと言うように、ヒグラシが鳴き続けている。
昔のことを思い出しているうちにあの場所へと辿り着いていた。
あれから10年間、1度も訪れなかったこの場所。
「キングサリ......」
さすがに季節外れのあの黄色い花はどこにもなかった。
しかし、あの時彼女と共に口に含んだ種はたくさん残っている。
私は種を集める。10年前、彼女とそうしたように。
数粒口に含む。
そしてゆっくりと噛み砕く...
それを繰り返す。
今度は間違えないように。
あの時と同じように草の上に転がる。
横を向けばすぐそこに彼女がいる気がした。
『ねぇ、あいしてるの。』
「わたしも、あいしてる。」
私はゆっくりと目を閉じる。
意識が遠のいていくのを感じた。
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