【完結】朝の霧にほどける ──母に娘として育てられた僕と、彼氏役にされた幼馴染──

春日あお

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「え?!OKしたの??!」

 航の大きな声が、下校直後で混雑する廊下に響き渡った。
 朝霧うるさーい、と野次を飛ばす者や、冷ややかな目で一瞥して去って行く者もいた。
 あっけに取られている航を見て、胸がきゅっとした。
 自分でもこの選択が歪んでいるんじゃないか、と思っているから。

「うん。だから、今日から中野さんと一緒に帰るね」

「今日からって……毎日かよ」

 航ががっくりと肩を落としている。
 毎日一緒に登下校していたから、突然の変化に戸惑うのは自然だと思う。

「ごめん、中野さんがそうしたいって言うからさ。でも、朝はいつも通り一緒に登校しよ」

 僕はできるだけ申し訳ない顔をして、手を合わせた。
 航には本当に心苦しいことをしたと思う。口約束してたわけじゃないけど、航を裏切ってしまったような罪悪感があった。

「……わかった。中野さんによろしく言っといて」

 航が虚ろな目で言った。
 そんなに落ち込むと思ってなかったから、ばつが悪かった。
 僕は、

「じゃあまたね」

 と言って、航の落ち込む姿に後ろ髪を引かれながら、中野さんのもとへ向かった。
 中野さんに返事をするまでの数日、たくさん考えた。自分のこと、母のこと。
 母の娘でいることの息苦しさ。でもそれは家の中での話だ。外では僕は男だ。女の子と付き合うことで肯定される気がした。

「小暮くんって、他の男子たちと違うよね」

 並んで歩く中野さんの言葉に、ぴたり、と足が止まった。

「え…」

 慌てて中野さんを追って、その横顔を見た。

 ──それってどういう意味?

 嬉しそうに頬を赤らめる中野さんを、捉える目が揺れた。

「いつもいい匂いするし、嫌がることしないし、女子の気持ちわかってくれてる感じ」

 息を呑んだ。
 外での僕は、男になりきれていないのか。
 耐えがたい焦燥を感じた。

「そうかな?」

 僕は中野さんの手を取った。
 たぶん、普通の男ならこうするはずだ。迷わず、正解を押し付けるみたいに触れる。
 中野さんは瞬く間に顔を真っ赤にした。

「うれしい」

 と言って、僕の手を躊躇いがちに、きゅっと握り返してくれた。
 男として見てもらえた気がして、ほっとした。
 中野さんの手のひらはあたたかいのに、僕の指先は冷たかった。
 いつも通りリビングに入ると、母がいた。
 ソファに座って紅茶を飲んでいる。

「ママ、ただいまー」

 と言って、僕は母の膝を枕にして、ソファに寝転がった。

「おかえり。詩は、今日も可愛いわねぇ」

 母は笑って、僕のウィッグの耳元を整える。
 家に帰れば母の娘に戻る。
 なぜ僕はこうまでして、自分を偽らなくちゃいけないんだろう。本当は何を守っているんだろう。
 外に出たら男になれると思っていたのに、中野さんの目にはそうは映っていないみたいだった。
 母が鼻歌を歌っている。
 僕は聴きながら、なぜか航の落ち込んでる姿を思い出した。潤んだような視線を向けられた瞬間、どきっとした。なんでどきっとしたのか、自分でもわからなかった。
 胸がじくり、と痛い。僕は痛みに蓋をするように、まぶたをぎゅっとつぶった。



 翌朝、待ち合わせ場所に着くと、既に航が立っていた。
 ……よかった。
 もしかしたら、中野さんとのことで怒らせて、もう一緒に登校してくれないんじゃないかと思っていたから。
 僕は胸を撫で下ろして、航の表情を見て息が詰まった。
 いつもは気だるげに、あくびして待っているあの航が、今は神妙な面持ちで静かに立っている。
 声をかけるのが、怖い。
 僕らの何かが変わってしまいそうな予感がした。
 呆然と立ち尽くしていると、ぱちっと目が合った。

「あ、詩、おはよー」

 ぱっと明るい表情になって、悠然とした足取りで、僕に歩み寄ってくる。

「……おはよ」

 やっとのことで挨拶を返して、並んで歩く。
 この違和感はなんだろう、と思った次の瞬間、航が指を絡めてきた。
 びくっと体が跳ねる。
 絡まった指先。航を見上げると涼しい横顔があった。

「え…な…」

「やだ?」

 優しい声とは裏腹に、航は僕の手をぎゅっと握り込んだ。
 視線は前に向けたままで、僕に拒む隙を与えないみたいだった。
 見られたら、まずい。そう思うのに、振りほどけない。
 触れたところから熱がじわじわ広がって、息が浅くなる。
 拒否したいと思えず、無言の肯定を渡してしまった。
 航の体温が、指先からゆっくりと移ってくるのが心地よかった。
 耐えられず、目線を足元に落とした。
 ……中野さんも、こんな気持ちだったのかな。
 学校に向かう道のり、生徒が増えてきても航はなかなか手を離さなくて、誰かに見られてるんじゃないかと、ひやひやした。
 遠くに校門が見えてくると、名残惜しそうに絡める指をきゅっと強めたあと、そっと離れていった。
 そこにあった熱が冷めていくのが、寂しい。

「詩、顔真っ赤だな」

 くっくっと航が笑う。

「からかわないで」

 むくれると、航は屈託のない笑みを浮かべて、僕の頭をくしゃくしゃとなでた。
 僕はもう茹で蛸になって、全身から湯気が立っているのではないかと思った。

 ────どうして、手を繋いだの?

 理由を聞けないまま、校門をくぐった。




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