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一章

プロローグ

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 木々が生い茂る暗い密林の中、争いの雄たけびが轟いている。
 半魚人マーマンの群れが飛龍ワイバーンに襲いかかっていた。

 半魚人は縞鮫と人を混ぜたおぞましい姿。ぬらぬらと黒光りする身体に刺々しい鰭を生やし、鮫の顎には鋭い牙が並ぶ。
 一方の飛龍はしなやかで美しい曲線を描く銀色の姿。神々しくすらある。

 両者の戦いを木々に隠れて観戦する者があった。人間の騎士だ。鎧は無く、一本の剣だけを帯びている。まだ幼くかわいらしい顔をしているが、その目は魔物たちの戦いをしっかり捉えている。
 柔らかな曲線を描く白銀の軍装は、騎士が少女であること、そして聖騎士であることを示していた。聖騎士とは魔に関わる事件解決を任とする特別な騎士だ。

 騎士はひとり胸を高鳴らせていた。
 飛龍を一人で倒せば大手柄だ。勇者に叙される可能性すらあるだろう。

 飛龍が焔を吐いて半魚人を焼く。火だるまになった半魚人は倒れ、嫌な匂いが広がる。
 だが他の半魚人は怯むことなく飛龍に襲いかかる。半魚人に思考能力はなく、ただ旺盛な攻撃本能だけを持っているようだ。

 噛みつかれそうになった飛龍が前肢で半魚人を振り払う。飛龍の爪は半魚人をまとめて切り裂く。
 だが、何ということだろう。二つに分かれて内臓をぶちまけた半魚人がそれでも地面を這って飛龍に迫っていく。黒焦げになったはずの半魚人も起き上がる。
 ただの半魚人ではない。アンデッドなのだ。

 飛龍は焔をまき散らすも半魚人による包囲網は狭まってくる。
 空に逃げれば良さそうなものだが、飛龍には気になるものがあるようだった。
 地面が掘り起こされて、鈍く輝く岩肌が露出している。希少金属の鉱床だ。飛龍がかみ砕いたらしき跡もある。飛龍の目当てはこの鉱床のようだ。

 騎士にとっては半魚人も飛龍も倒すべき獲物だ。このまま待っていれば互いに傷つき弱ってくれる。しかしそんな戦い方は騎士の誇りが許さない。
 騎士は剣を鞘から抜く。剣は金色の輝きを放つ。持つ者の力を聖なる光に変えてアンデッドを討つ特別な機能が付与された剣、錬成剣だ。錬金術士によって鍛えらえたばかりの自慢の逸品だった。

 隠れていた林から騎士は躍り出て半魚人に斬りかかる。一匹を一刀両断した。凄まじい切れ味だった。
 騎士は確認する。刃こぼれ一つしていない。大丈夫だ、今度こそいける。

 次々に半魚人を斬り倒していく。
 騎士の力は高ぶり、錬成剣の輝きもいや増す。
 聖なる力で倒された半魚人はアンデッドの不浄な生命力も絶たれて、もはや蘇ることはない。

 全身全霊を込めて錬成剣で薙ぎ払う。半魚人の群れは密林の木々ごと上下が物別れになる。
 木々の断面は金属色をしている。ここに生えている植物は金属種なのだ。だから飛龍の焔を受けても燃えることはない。

 半魚人は残らず討ち果たし、残るは飛龍だけ。
 何度も戦いを挑んできた飛龍と遂に決着をつける時だ。

 飛龍は前肢に鉱石をいっぱい掴み、翼を広げて今にも空へ舞い上がろうとしているところだった。

「卑劣だぞ! どさくさ紛れに逃げるのかあ!」
 騎士の非難に対して、飛龍は大きく黒い目で睨みつける。
 
 飛龍の体長は騎士の五倍を優に超える。
 騎士は両足に力を込めて高く跳ぶ。人間離れした跳躍で、飛龍の首へと斬りかかる。
 飛龍は前肢で鉱石を投げつけてきた。
 騎士は剣で鉱石を弾き飛ばす。その一つが飛龍の顔に当たり、飛龍は苦悶の叫びを上げて姿勢を乱す。

 騎士は着地した。
 飛龍は顎を開き、空気の塊を連続して放つ。衝撃波のブレス攻撃だ。
 騎士は転がり避けて飛龍との距離を置く。
 
「至高の錬金術士シュガが鍛えてくれた、この錬成剣にかけて! 今こそ貴様を倒してやる!」
 騎士は剣を飛龍に突きつける。

 だが飛龍はその黒く大きな目で騎士の剣を見据えている。
 はっとして騎士は己の剣を見た。自慢の剣にひびが入っていた。
 さきほど鉱石を弾いたときにやってしまったのか。

 飛龍が咆哮。密林が揺れ、剣も震える。
 剣のひびはみるみる広がり、剣身の前半分が折れて落ちた。

 騎士が愕然としている間に、飛龍は翼を広げて高く舞い上がる。
 風を巻いて飛龍はあっと言う間に急上昇、雲の中に消えていく。
 その美しい飛翔に騎士はしばし見惚れ、我に返った。
 後悔しながら剣先を拾う。
 また武器を壊してしまった。今度こそはと彼女に誓ったのに、どう謝ればいいのだろう。

 騎士は砦に戻ってきた。
 砦の道具屋は大行列だった。
 それもそのはず、入口には薬の入荷を知らせる貼り紙だ。
 ここの薬が特別に効くことが知れ渡って以来、客は増える一方だった。

 そこに騎士も並ぶ。背中には大きな袋を背負っている。
 この砦に駐屯している騎士はただ一人、他に並んでいるのは村人たちだ。
 彼らの目当ては、この砦の錬金術士が作る秘薬だ。南の風土病を立ちどころに治す秘薬は引く手あまただった。

 道具屋の主はまだ幼女。だが大声で店を切り盛りしている。
 値切ろうとした客たちも気押されて、言い値で買っていく。
 行列の半ばほどで薬の在庫が尽きた。
 並んでいた客たちは文句を言うも追い払われる。
 
 道具屋は客が失せて静かになった。
 勘定台に座っている幼女が騎士に声をかけてくる。
「アブリル、買い物は何? 薬? 怪我はないみたいだねえ。まさか……」

 騎士アブリルは言いづらそうな顔をする。
「ペトロナ、あのね……」
「あ、また剣を壊したね」

 アブリルはうつむいて肯定する。
 幼女ペトロナはあきれ顔をしてから、店の奥に向かって大声で呼びかけた。
「シュガ先生! アブリルがまたやったってよ!」

 しばらくすると奥から扉の開く音がした。背の高い女性が姿を現す。
「私、疲れてるんだけど」

 女性は夏だというのに何枚も服を重ね着していた。それでも長くしなやかそうな手足と豊かな体つきが見て取れる。錬金術士のシュガだ。
 腰まで伸ばした銀髪は前にも垂れて、顔を半ば隠している。それでもアブリルは眼を惹きつけられてしまう。
 自分よりもほんの三歳上なだけなのに、どうしてこうも違うのだろう。

「ごめん、シュガ姉。偵察先で半魚人と龍にでくわして……」
 アブリルは鞘に納めた剣を差し出す。

 錬金術士シュガは物憂そうに剣を両手で受け取る。
「今度のは自信あったのに、やっちゃったなあ」
 露骨にがっかりした様子だ。

「龍が石を投げつけてきて、剣で弾いたらぽっきり……」
「うん、あれは失敗だったよ」

 アブリルは目を見開く。
「剣を持っただけで分かるの!? さすがシュガ姉、至高の錬金術士!」

「あ、その、なんとなく、ね……」
 シュガは気まずそうな様子で後ずさる。
 前髪が揺れて、シュガの大人びた顔が露わになる。その頬には一筋の赤い傷があった。

「その傷! どうしたの、早く治療しないと。そうだ、店の薬を!」
 慌てるアブリルにシュガは手を振る。
「ちょっと引っかかれただけだし、薬だったら自分で作るから。それよりもジュラニウムが尽きてさあ……」

 アブリルはぱっと顔を明るくして、背負っていた袋をシュガに差し出す。
「これ、役に立たないかな。龍から投げつけられた石を拾ってきたんだ」

 シュガは袋を開いて中を確認する。
「そう、これ! この鉱石が欲しかったのよね…… ありがと、アブリル」
「これで剣は直せるかな」
「大丈夫、任せて」

 シュガは出てきたところへと引き返していく。
 その背中にはアブリルの声。
「シュガ姉の剣にかけて今度こそは龍を倒すよ!」

 シュガは扉を閉めて閂を二つ下ろす。しっかり閉まっていることを確認する。
 そして深くため息をついた。
「そろそろ龍退治は諦めてくれないかなあ。退治するのはアンデッドだけにしてよ」

 ここは錬金術士シュガの仕事場。
 二つの部屋を合わせて作った広い空間だ。

 シュガは預かった剣を抜いてみる。きれいに折れている。
「こう言っちゃなんだけど、龍の鱗だって切断できる切れ味に仕上げてたのに。こうもきれいに折れちゃあ自信なくすわ。アブリルっていったいどうなってるの」

「それにしても、自分の鍛えた剣で狙われちゃあ世話ないね」
 シュガは壊れた剣と鉱石を溶鉱炉の中に入れて、距離を置いた。
「さあ、今度こそは折れない剣を。私の騎士のために。願わくばアンデッド相手にだけ使ってくれますように」
 外には聞こえないように気を付けて魔法の呪文を唱える。
「あぶそるれんす・ぼるくれむ」
 空間が歪み、シュガの姿が変わる。そこには飛龍が出現していた。
 飛龍が焔を吐くと溶鉱炉の剣と鉱石はたちまち融けていった。
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