大好物はお兄ちゃん

モト

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1章

4話

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 水族館内の受付前にはベンチが並んでいた。
 俺と美夜はベンチに座って開館を待つ。
 美夜は入場ゲートの先にある水槽をじっと見つめている。その瞳はキラキラを通り越して紅く光っていた。

「ねえ、お兄ちゃん、まだ開かないの? もういいんじゃない。入ろうよ」
 美夜が急かしてくる。
「もうちょっとだから我慢なさい」
 飛び出していきそうな美夜を俺はなんとか押さえつけようとする。華奢な見た目に反して力が強いので一苦労だ。

 美夜は手足をじたばたさせる。
「入るったら入るもん!」
「無理に入ったら追い出されてしまうぞ」

「天井を歩いていれば、ばれたりしないもん」
 ヴァンパイアの力を使えば確かに天井を歩いていけるかもしれない。しかし……

「天井からだと水槽の中なんて全然見えないだろ」
「あ、そっか……」
 美夜はしゅんとしてしまった。

 それにしてもこんなに魚を見たがる美夜には驚いた。そんなに水族館が好きだったのか。
 俺のパーカーをかじったことで失った記憶が刺激されたのかもしれない。

 時間が経って、ぽつぽつと他の客もやってくる。
 開館の間際になると意外に長い行列ができていた。親子連れやカップルもいれば、水族館にはちょっと不似合いな若い男たちの集団も並んでいる。
 漏れ聞こえる会話からは、どうやら人魚姫のショーが人気らしい。水中ダンスが見事だとか、かわいい、歌がうまいとか。
 言われてみれば、壁には人魚姫ショーの楽しそうなイラストポスターが貼られている。双子の人魚姫がイルカたちと歌って踊るのだそうだ。
 前に来たときは普通のイルカショーだったから、新しく始まったここの目玉なのだろう。人魚のショーが美夜に向いているのかどうかは気になるところだ。

 じりじりと待ち続けて、ついに開館時間となった。
 俺たちは一番にチケットを買って通路を水槽へと向かう。
 その後ろから人がわっとなだれ込んでくる。この早さ、年間パスでも持っているのだろうか。
 走らないでくださいとのアナウンスが行われるも人々の勢いはいや増すばかりだ。

 先を進んでいた美夜はたちまち人の渦に巻き込まれて姿が見えなくなる。
 俺は慌てて追いかける。
 人ごみを強引に抜けていくと、か細い声が聞こえて振り向いた。
 
「お兄……」
 通路の隅の陰で美夜は壁に張り付いていた。 
 どこを見ているのかあやふやな目つきでふらふらしている。人の暴流に目を回してしまったようだ。
 普段は家に引きこもっているから、こんな大勢の人には慣れていないのだろう。

 俺が手を差し出すと、美夜は小さな両手で握ってきた。
「置いてかないでよ」

 美夜が先に行ったんだろうとは突っ込まない。
「しっかり握ってろよ」
 美夜の手からは震えが伝わってくる。

 まるで子犬を散歩するかのように俺は美夜を引っ張って水槽へと向かう。
 かつて美夜を水族館に連れてきたときは、俺に怯えて近づいてもくれなかったのが懐かしい。いろんなことがあったけれど、少しは本物の兄妹に近づけているのかもしれない。

 人々が分厚く流れているのをなんとか突破して水槽にたどり着く。
 入り口近くの水槽では近海の魚やエビ、カニなどが展示されていた。
 俺は美夜を水槽前に回して後ろを守る。

 小さい水槽の中で魚が泳いでいる様を美夜はゆっくりと順番に眺める。
 大きめのエビが後ろに突然ダッシュして、驚いた美夜はぎゅっと俺の手を握る。
 昔の美夜だったら逃げ出してしまっていたかもしれない。大丈夫だよと俺は握り返してやる。手の震えは落ち着いてきたようだ。

 人の流れも静まってきた。美夜はいろんな魚の様子に見入りながら水槽を回っていく。
「あ、クラゲだよ! クラゲ!」
 美夜が指さした先には円筒形の水槽があって、クラゲが群れをなしている。
 俺は美夜の手に引っ張られてその水槽まで進む。ぼおっと光って見えるクラゲの揺らめく様は幻想的だ。

 クラゲに見とれる美夜の横顔を俺は眺める。
 まだ家族になる前、初めて出会った時の驚くほどにかわいらしい美夜を思い出す。あの時の俺はすっかり浮かれてしまって美夜に怖がられたものだ。
 もちろん美夜を家族に迎えてからはそんな態度を見せたりはしていない。あくまでも義妹として接し、兄としての態度を貫いている。
 ただ、今の美夜はあの頃よりもさらにかわいらしく、その人間離れした美しさはクラゲなんかよりも遥かに幻想的だ。実際、ヒト属ではない訳だが。

 そんな美夜を間近に見ていると俺の心臓が激しく鼓動し始めてしまって、これはまずいと俺は目を離す。
 美夜から気をそらすためにクラゲを集中して眺める。俺は立派な兄として義妹の居場所を作ってあげねばならないのだ。集中、集中。

「いただきまあす」
 聞こえてきた言葉に俺の集中が砕け散る。
 美夜が小さな口をめいっぱい大きく開いて、俺の手首に噛みつこうとしていた。

「うわっ!」
 美夜は俺の腕をパーカーの上から掴んでいる。慌てて俺はその手を振り払おうとした。
 美夜は手を放さず、パーカーの袖がびろんと伸びてしまう。袖口が美夜にぱくりとかじり取られる。

 美夜はパーカーの布切れをごくりと飲み込んだ。
 ああ、またやらせてしまった。そんなものを食べて、どうして美味しそうに舌なめずりしているのか。

「ご馳走様。でも血のほうが良かったのに」
 美夜は物足りなさそうな顔だ。

「水族館でそんなことをするんじゃありません!」
「そっか、水族館じゃなかったらいいんだね!」
「どこでもダメ!」

 美夜は大きく息を吸い込んでみせる。
「お兄ちゃん、ドキドキしててすごく美味しそうな匂いなのに」
「俺の匂いを嗅ぐのもヤメ!」

 美夜は少し離れて俺を見上げ、
「お兄ちゃんってさあ、ドキドキするほどクラゲが好きだったんだ。ちょっと引いちゃうね」
「俺を変態扱いするのも禁止! 刺胞動物にときめいたりはしない!」

 俺の文句に美夜は小首を傾げる。
「だったらどうしてドキドキしてたの」
「そんなの、ええっと、クラゲはトラウマなんだよ! 泳ぎに行ってあちこち刺されたことがあるんだ。むちゃくちゃ痛いんだぞ」

「へ~、ぷぷっ、お兄ちゃんはクラゲが怖かったんだ。ごめんね、もう次に行っていいから安心して」
 美夜は親切そうに言いながら、吹き出して笑う。おのれクラゲめ……

「ねえ、そろそろ大水槽のご飯タイムなんだって。急ごうよ!」
 美夜が駆け出しそうになるのを抑えながら、俺は不吉な予感に襲われる。そんなイベントがあったら美夜の食欲がもっと刺激されてしまうんじゃないだろうか。
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