暗黒騎士の大逆転

モト

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第1章

マルメロ

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 ザニバルの部屋に入ろうとしたゴブリンのゴニは、ベッドの上でくつろいでいた少女を目にして愕然とする。この部屋にいるのは怪しい黒い騎士のはずなのに。
 ゴニは騎士を脅すために持ってきていた剣を思わず取り落とし、剣は石の床とぶつかって耳障りな音を立てる。

 魔装を解いて本来の少女姿に戻っていたザニバルは呆然とする。
 正体を見られてしまった。
 
「誰? どういうこと?」
 ゴニは部屋に入ってくる。

 ザニバルは慌ててベッドを飛び降り、隅に隠れようとする。
 ベッドの上に猫のキトを置きっぱなしであることに気付き、急いで手を伸ばしてキトを取り上げ、守るように抱きしめる。

 ゴニから見ると、ザニバルの頭上に生えている獣耳がベッドで隠しきれずにぴょこぴょこしている。獣耳の毛が逆立って一回り大きくなっているようだ。

 ゴニはそっとベッドを回り込む。
 ベッドの下の隅に幼い獣耳少女が縮こまっていて、虎縞の猫を胸に抱きしめている。少女は涙目でゴニをにらんでいる。
 少女は長い黒髪を後ろに束ねていて、それが子猫の怯えた尻尾のように膨らみ揺れている。ぴったりした薄手の服を着ていて、細い身体の線が露わだ。服はあちこちが破れ、ほつれている。
 ゴニが近づくと、大きな獣耳がぺしょんと折れ曲がった。ゴニはもう辛抱たまらなかった。

「アニス様! アニスさまあ!」
 ゴニは大声を上げながら部屋を出ていき、すぐに領主の少女アニスを連れて戻ってきた。

 恐怖で身動き一つとれないザニバルを前にして、興奮した面持ちのゴニがアニスに言う。
「ほら、こんなにかわいい生き物が!」

アニスは目を見開く。
「な、なんですの、かわいすぎますわ!」

 近寄ってくるアニスとゴニを「ふうううっ! ふうううううっ!」とザニバルは涙目で威嚇する。

「大丈夫、怖くないですからね」
 アニスは腰を低くして優しく言いながら、そっと手を伸ばす。

 ザニバルはぎゅっと猫のキトを抱きしめて、キトは苦しくなったのかするりと抜け出し、アニスに寄っていってその手を舐めた。緊張した空気が緩む。

「私はナヴァリア州の領主アニス、あなたのお名前は?」
 アニスが尋ねる。

「ま、マリベル」
 そう答えたザニバルは、しまったという顔をする。

「マリベルはどうしてここにいるの?」
「一緒に来たから……」

 アニスは上を向いて思案する。
「一緒に? この子が付いてくる様子はありませんでしたけど」

 ゴニが考えて、
「もしかして、あの虎の魔物はこの子が変身した姿なのでは? 他の生き物を憑依させる魔法について聞いたことがあります」

 アニスはキトとザニバルを眺めて納得顔をする。
「マリベルは変身できるのね?」

 ザニバルは小さくこくりとうなずいて、またしまったという顔をする。

「騎士様はどちらに?」
「……今はいない」

「そろそろお食事にお呼びしようと思っていたのですけど」
 アニスが言うや、ザニバルのお腹が鳴った。ザニバルは恥ずかしそうな顔をする。

「いいですわ、マリベル。一緒に食事をしましょう。その猫もね」
 アニスはザニバルに手を差し伸べて、優雅に立ち上がった。

 ザニバルの服を眺めたアニスは、
「その前に服を着替えたほうがよさそうね。ゴニ、お願い」
「はい!」


◆芒星城の主塔 屋上

 芒星城の中央に位置する主塔は、屋上が小さな丸い広間になっている。
 そこに置かれた丸テーブルで食事が始まろうとしていた。

 テーブルについているのは、アニスとゴニ、そしてマリベルと呼ばれている少女ザニバル。
 ザニバルは椅子の上で縮こまっている。
 その下には小さなミルク皿が置かれていて、猫のキトがミルクを舐めている。

「ああ、もう、なんてよく似合っているのかしら!」
 白いワンピースをまとったザニバルを見て、アニスが感嘆する。
「アニス様が小さかった頃の服、残しておいて良かったです。ぴったりでした」
 服を選んだゴニも満足そうだ。

「どうして…… 魔族を嫌わないの……?」
 ザニバルがぽつりと言う。

 その言葉にアニスは少し驚いてから笑顔になって、
「ナヴァリア州には昔から魔族が多く住んでいるの。ここでは安心して過ごしていいのよ」

 ゴニもうなずいて、
「ナヴァリアはゴブリンの自分たちも受け入れてくれました」

「ほんとう……?」
「そもそもこのナヴァリアという名前は、かつて魔族の長がつけたのだと伝説にありますのよ。もうひとつのヴァリアという意味なのだとか。王国との戦争も終わりましたし、これからはまた魔族と人間で仲良くしていきますわよ」

 魔族とは生まれつきその身に魔法を宿している者たちのことだ。龍や狼に変身する者、詠唱や道具によらず魔法を発動できる者など、魔法の種類によって様々な魔族に分かれている。その魔法や高い魔力と引き換えに子どもは生まれづらく数が少ない。
 彼らの魔法を恐れる人間は多く、魔族側の反発もあり、人間と魔族の争いは頻発してきた。
 今、この大陸は人間が支配する神聖ウルスラ帝国と魔族が強い力を持つウルスラ連合王国に分裂している。

 テーブルの中央に置かれた焼きたてパンを、アニスはザニバルの皿に渡す。
「さあ、いただきましょう!」

 テーブルの上には天蓋が設置されていて、夏の強い日差しを遮っている。
 高い屋上を爽やかな風が吹き抜ける。
 蒼空が広がり、小さな白い雲が点々と浮かぶ。
 谷の上方には彼方に白い山脈がそびえ、その反対側には緑の大地が広がり澄んだ川が流れている。

 こんなに落ち着く場所をザニバルはこれまで知らなかった。
 パンやお肉も、戦場で食べていたものとは比べものにならない美味しさだ。
 いや、ザニバルは思い出す。お父さんやお母さん、お姉ちゃんがいた頃、自分を包んでいたのはこんな世界だったと。まだ自分はマリベルと呼ばれていた。
 あの時、自分から永遠に奪われてしまったと思ったのに。

 この穏やかさに耐えかねて、ザニバルの中のバランが暴れ出すのを感じる。
<ザニバル、腑抜けてるんじゃないよ! お前は自分で地獄を選んだんだからね! ったく、まだマリベルなんて名前にしがみついてたとはね>
<分かってるもん! あいつを滅ぼすまで戦うんだもん! ただ……>

 ザニバルの頬を二筋の涙が流れていて、そっとアニスがハンカチで拭った。

「デザートもあるのよ」
 アニスがマルメロの果実を取り分ける。
 皮をむかれ、きれいに切り分けられている。

 どこでも売れていなかったマルメロなんてと思いながら、ザニバルは一口食べる。驚いた。まるで陽の光と吹き抜ける風が凝縮されたかのような、新鮮で爽やかな味。しゃくしゃくとかじるたびに、甘さと酸っぱさの絶妙な果汁があふれてくる。

 あまりの美味しさに、ザニバルはあっと言う間に皿の上のマルメロを平らげてしまった。
 その様をうれしそうに眺めていたアニスは、
「ナヴァリアのマルメロは美味しいでしょう。他で取れるものは酸っぱくて食用には向かないの。ここのは特別なのよ」

「我らゴブリンが収穫しているのです」
 ゴニが自慢げに言う。

「こんなに美味しいのに、どうして売れないの?」
 ザニバルの問いに、アニスはため息をついた。

「ナヴァリアのマルメロは他と違うということを知られていないのがひとつ。メロッピにもっと宣伝してもらわないといけませんわ」
 アニスの説明に、メロッピはちょっと止めた方がいいんじゃないかなとザニバルは思う。

「一番は、王国との貿易路が途絶えたままということですわ。戦争が終われば貿易が再開されることを見越して、お父様がマルメロの栽培や芒星城への商店誘致を進めておられたのですけど……」

 そこでゴニがテーブルを叩いて、ザニバルはびくりとした。
「暗黒騎士ザニバルが元凶なのです。奴めが国境で大虐殺を引き起こして、それ以来、王国は貿易路を高い壁で封鎖してしまったのです。戦争はもう終わったというのに!」

「あまりにも強い恐怖が残っているのですわ。そんなことをしておいて、さらにこのナヴァリア州をも奪おうだなんてザニバルはまさしく悪魔ですわ」
「ザニバルのせいでナヴァリアは借金塗れになってしまいましたから、奪えば借金もついてくるのがお笑いです」

 アニスとゴニはくすくす笑ってから、
「借金はなんとかしないとですわね」
 真顔になる。

 美味しいものを食べていい気分になりかけていたザニバルはまた縮こまる。
 先の戦争中、ザニバルは山脈伝いの強行軍で王国に奇襲をかけて大軍を殲滅した。手柄だと思っていたのに、そのせいでナヴァリアが貿易をできなくなっていただなんて。
 それと、もともとこのナヴァリアを受領するためザニバルはやってきたのに借金塗れだなんて、一体どうすればいいのだろう。

 この親切な人たちに土地を寄こせというのも怖い。
 土地をザニバルが正式に受領すれば、領主であるアニスはナヴァリア州を失う。
 ザニバルが帝都で賜った印章付き指輪はナヴァリア州領有の証だ。これを見せれば、アニスはナヴァリアを明け渡さざるを得ない。

 沈んだ様子のザニバルに気付いたアニスが、
「安心して。あなたのデル・アブリル様がザニバルなんて何度でも追い払ってくださるわ」
 そう言われたザニバルはますます縮こまる。

 階段から慌ただしく駆け上がってくる音。急ぎの様子で役人がやってきた。
「お食事のところすみません。アニス様、火急の要件がございまして」

 アニスは居住まいを正す。
「どうしたのですか?」
「収穫待ちだった特級のマルメロが盗まれてしまいました」
「なんですって!」
 アニスは青ざめる。

 ゴニは拳を握りしめて、
「許せないです。手塩にかけて大事に育ててきたのに!」

「全部盗まれたのかしら?」
「いえ、四分の一ほどですが、このままでは残りも盗まれるのではないかと」

 アニスは立ち上がった。
「調べに行って、対策を考えましょう」
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