楽園の方舟~楽園1~

志賀雅基

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第16話

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「へえ、一〇〇三号室の人の上半身と下半身、繋がったんですか。それはすごいな」

 格好こそハイソでないが妙に人好きのする黒髪の好青年が、カウンター席で襟に天然ファー付きガウンを着た右隣の老人と話を弾ませている。
 その好青年であるシドを左隣から不機嫌に眺めるハイファ。仕事の一環で聞き込みと分かっていながら『二人きりの初ティータイム』など期待したのが馬鹿だった。

「それにしてもアンタら一〇一三号室のお見舞いやったんやろ? 残念やったなあ、折角来たのに三日も前に亡くなってはって。遠い田舎からわざわざご愁傷様やわあ。こんな綺麗なお孫さんらの顔、冥土の土産に見てから逝かはったら良かったのに」

 ハイファはハイファで後ろのテーブル席のオバチャンに気に入られ、凝った絵付けをした華奢なティーカップをひねくり回しているのだった。

「ところで皆さん、お元気そうですよね。何処がお悪いんですか?」

 嫌味に聞こえないようシドが極めて朗らかに斬り込む。

「いやあ、あたしはお腹のアブラを取って内臓を小さくしてもろたん。最近コレクションで見つけて気に入ったクチュール一点モノのスカートが入らへんかったんよ」

 シドもこれには驚いたのか固まって僅かに間が開いた。

「……それはそれは。きっとお似合いでしょうね」
「わしは肝臓の取替えじゃよ、三度目のな。今、新しいのを培養中で手術待ちしておる。どうしてもコニャックがやめられん。次の肝臓は二種の分解酵素増強版じゃ」

 これこそ本当の斜め上具合で、さすがにハイファもシドだけに任せるのが痛くなった。刑事を演じた上で刑事臭を出さず見舞客を装うというややこしい立場で喋る。

「そうですか、じゃあ退院後の一杯は格別でしょうねえ」

 仕方なく半ば自棄気味に言ってみた。だが老人は素で首を傾げる。

「退院後? これもコニャックじゃぞ。グランド・シャンパーニュ」

 いやに濃いアイスティーだと思っていたが。

 三十世紀前の大陸大改造計画で旧フランス・コニャック地方はその銘酒を造るためだけに葡萄畑を残された。毛皮をとるための天然動物といい、稀少で貴重なAD世紀の遺産である。

 そのコニャックの中でもグランド・シャンパーニュと呼ばれる最高級品がいったい幾らだか平民二人には想像もつかないが、要は普段からロンググラスでガバガバ呑めるようなシロモノではないということであり、この老人はそれだけのカネのチカラを持っているのだ。

 萎えかけた気力を振り絞って、更に明るくシドは話を進める。

「ここの皆さんは入院中にこうしてお友達になったりしちゃうんでしょうね?」
「そうやねぇ、入院前からの知り合いも多いわ。もう殆どみんな顔見知りで、退院したらパーティーが愉しみ……あ、でも見たことない人が一人おるわ」
「病室から出られないほどの重病なんですかね?」
「違う、違う。じつは『一〇七二号室の謎』っていうのがあってね。うふふ」

 意味深なオバチャンの笑いに、シドは首を傾げて先を促した。

「だあれも入院してないのに若い男の子が時々花束持ってくるんよ。きっと彼女が亡くならはった部屋で、そのあと誰も入院させんようにキープしてるんやろって噂」
「何故、誰も入院してないと?」
「看護師さんもお医者さんも入らへん。食事も同じ。患者おらへんやろ、それは」
「それで身なりのいい青年だけが花を持ってきよるんじゃよ」
「なんや純愛ゆうの? ロマンチックやわあ」

 両手を組んで目をキラキラさせるオバチャンを前にシドはハイファに目配せした。

 別室でも気付かない訳だ。別室が仕入れた情報リストの『空き部屋』に一〇七二号室は記載されている。花束を持つ青年が通うこの部屋は幽霊の住処ではない。

 ロマンチックな謎ではなく、ナースステーションから伸びたチューブが栄養補給の点滴を流し続け、排泄は自動処理だ。気付かれぬよう数日に一度、深夜の巡回時にでも清潔を保ち身なりを整えてやるだけで、その患者は生き延び眠り続けるのである。

 おそらくヒットした。ミカエルティアーズに因る眠り姫だ。何処の金持ちの娘かは分からないが初日にして探り当てた。

 ハイファは若草色の瞳をシドに向ける。老人たちと談笑を続ける切れ長の黒い目、そこには七年の付き合いだからこそ分かる僅かに得意げな色が浮かんでいた。

「あ、俺たちはそろそろ詰め所にお礼を言ってから帰りますんで」

 ハイファの袖に隠れた軍用リモータの僅かな振動を捉えてシドは腰を上げる。ジャケットの長めの裾をさりげなく引っ張って大型の銃口を隠しつつ二人でチェックへ。
 勿論ここの茶代はハイファ持ちだ。チェックパネルにリモータを翳してアホみたいに高いクレジットを気にした様子もなく支払った。別室は経費も潤沢らしい。

「昼食もサーヴィスしますよ。幾らでも、何処ででも」
「それとな……」
「分かったってば、この仕事中の食事は全部奢りでいいからサ」
「そうじゃねぇって。……お前、あの美人看護師タラせるか?」
「う、そうきたかあ。せっかく今晩もアナタと一緒にいられると思ったのに」
「警察では認められてねぇ囮捜査だ。それこそお前、お得意の『仕事』だろうが」
「シドの方がいいよぅ」

 小声で文句を垂れつつナースステーションの前に到着する頃には、ハイファは本領発揮の準備は完了、それは美々しくも毅然とした刑事の顔を整えている。

「わたくしに何かご用がある刑事さんたちというのは貴方たちかしら? こう見えてとっても忙しいので手早く済ませて頂きたいのだけれど」

 ハスキーボイスの主は赤毛を高く結い上げ、師長の印であるピンクの二本線の入ったナースキャップをドデカいジュエリー付きのピンで留めた大柄な女性だった。

 師長というと、どちらかといえば年配で少しばかり福福しい様相を脳裏に描いていた男二人だったが、とんでもなかった。先程の看護師が尻の青いガキに思えるような美女だったのだ。それも超弩級のナイスバディ、大型獣のごとき貫禄があった。

 これはグッドコップ・バッドコップ、つまり二人組で一人は乱暴に詰め寄り、もう片方がそれを『まあまあ』と諫めて同情を装い吐かせるという手を使う訳にはいかない。そんな手になど、とても引っ掛かりはしないだろうと二人は瞬時に悟る。

 我が儘放題の患者たちの相手をせねばならない、特別室階の師長を務めているのはダテではなさそうだ。この大胆なボディラインで迫られたら女性患者は萎縮し、男性患者は一も二もなく従う筈だ……などとシドとハイファが考えたのは仕方ない。

 二人共に健全な成人男子である。ハイファは一途にシドを想っているが、ぶっちゃけ、想うだけでスッキリさっぱりするなら世話はない。人類がはびこる所以である。


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