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第44話
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独りグラスを傾けながら思う。
自分だってこんな地べたを這いずり回るような平刑事を続けているのは何故かと問われれば、プライドがあるからだと答えるだろう。
心は汚れないというプライドがあるからこそ、それぞれの仕事を続けていられるのだ。
だがそのプライドを捨ててハイファが本音をさらけ出せるのは、おそらくシドの他には鏡だけだ。自意識過剰と言い切れはしないがまず間違いないと自負していた。
それでも七年もの付き合いで初めて今日のような不器用な一面を見せられて、驚くこともある。まだハイファは全てをシドにも晒してはいないのだ。
本人が意識してのことかどうかは分からないが、ハイファは殆ど哀しさや苦しさを見せたことがない。
特殊な生まれ育ちがハイファス=ファサルートという男に、そつなく明るく軽い人格を『演じる』ことを強いたのかも知れない。
そう、丁度別室任務で他人を演じるように。
その人格の隠蔽を脱ぎ捨て本来の自分をシドに対して見せるとすれば、それはハイファの七年にも及ぶ想いをシドが叶えた時かも知れなかった。
だからといってシドにはコミュニケーション手段を増やすためだけにハイファと寝るつもりはなかった。ただ親友としてなるべく近くにいてやりたいとは思う。
逆に自分もハイファになるべく近くにいて欲しいと思っている。そういう部分があることを素直に認めるべきかも知れないと考え始めていた。
口にすると期待させて却って残酷なので言えないが、親友として共に愉しく過ごす時間を増やすくらいは可能だろう。
二人掛けソファの毛布がゆったりと上下しているのを眺めた。
(今更だが同じ職に就けば良かったな。この件が終わったら誘ってみるか、刑事稼業に鞍替え、『俺のバディにならねぇか?』なんてな)
ハイファは乗らないであろう提案と、まるでプロポーズのような言葉に自身で苦笑する。尤も別室が『知りすぎた男』を易々と手放すというのも考えづらかった。
「あー、寝るかな。……つうっ!」
不用意に伸びをしたら左胸と腕が悲鳴を上げた。ハイファの荷物から薬瓶と浸透圧式の無針注射器を掘り起こし痛み止めを射つと午前三時を回っていて大欠伸が出る。
寝室に引っ込む前に毛布の陰のハイファを窺うと銃は吊ったまま、しっぽも結ったままという有様で無心に子供のような顔で寝こけていた。
基本的に弄る訳にはいかない他人の銃はともかく、髪が引き攣れて痛そうだったので、巻きついた細いなめし革の紐を解いてやる。零れた金髪を何となく指で梳いた。
酔っていた割に頬は白く、唇だけが艶やかに赤い。
妙に惹き付けられるその色を眺めるうちに、セントラル・リドリー病院で聴いたピアノの旋律が脳裏に流れ始めた。
何かに辿り着けそうで掴めない、もどかしい感覚が甦る。自分が何に辿り着きたいのか分からない。酔っているのかと自問しつつ立ち上がった。
ただ、指に残るさらりとした感触が、よく撫でてやった妹の志都の髪を思い出させた。
(――いや。今は、今。生き延びて、会いに行く)
ハイファの淹れたコーヒーの香りが寝室に漂ってくるまで夢も視ずに眠った。
◇◇◇◇
コーヒーを飲んでリフレッシャを交代で浴び、出勤した二人は機捜課のデカ部屋で衆目を浴びた。正確には衆目を浴びたのはいつものシドではなくハイファだった。
何年か前にはファッションとして流行したものの今は廃れたアーミールック、いわゆる戦闘服と呼ばれる都市迷彩の上下に足元は編み上げのごついブーツである。これまでのソフトスーツのイメージからは程遠く、目立つのは仕方なかった。
周囲は軍の放出品か類似品のファッションとでも思ったらしかったが、勿論ハイファは現役軍人、全て戦争を意識しての制式品である。
「うーん、シドの気持ちが分かるかも……」
おまけに傷病休暇で追い払ったのに何故出てきたんだというヴィンティス課長の訝しくも哀しげな青い目も、シドだけでなくハイファにまで注がれているのだった。
「ねえ、取り敢えずシドの巣にでも行かない?」
「そうだな。俺は銃の最終点検をしてから行く。お前は先に降りてろ」
「ラジャー。シドも僕が持ってきたお揃い着れば良かったのにサ」
「機動性重視、慣れたこっちの方でいい」
「何たって六十万だもんね、命の代償」
「いいから先、行ってろ。コーヒー持って行ってやるから」
「泥水じゃなくて有料オートドリンカのね。最期のコーヒーかも知れないんだから」
不吉な言葉を吐くハイファの膝裏に軽く蹴りを入れ、階段を下りてゆくのを見送ったのち、シドは課長に武器庫解錠を申し出た。今回の件を何処まで知っているのか分からないヴィンティス課長は憂い顔で多機能デスクを操作する。
武器庫に向かう途中でシドはヒマそうに鼻毛を抜いて長さを比べているヤマサキの前に立った。師長殺人の捜査に上層部からストップが掛かり、事実ヒマなのだ。
「また飲み過ぎっスか、シド先輩?」
自分のデスク上の書類の山、ハイファと共に片付けた残りを抱えると、余計なひとことを放った後輩のデスクの上にドカリと載せる。デスクに張り付いたのもかき集め載せた。
「傷病休暇中の俺からプレゼントだ。文句は課長に言うんだな」
後輩の言葉にならない呻きを背に武器庫へと向かった。
自分だってこんな地べたを這いずり回るような平刑事を続けているのは何故かと問われれば、プライドがあるからだと答えるだろう。
心は汚れないというプライドがあるからこそ、それぞれの仕事を続けていられるのだ。
だがそのプライドを捨ててハイファが本音をさらけ出せるのは、おそらくシドの他には鏡だけだ。自意識過剰と言い切れはしないがまず間違いないと自負していた。
それでも七年もの付き合いで初めて今日のような不器用な一面を見せられて、驚くこともある。まだハイファは全てをシドにも晒してはいないのだ。
本人が意識してのことかどうかは分からないが、ハイファは殆ど哀しさや苦しさを見せたことがない。
特殊な生まれ育ちがハイファス=ファサルートという男に、そつなく明るく軽い人格を『演じる』ことを強いたのかも知れない。
そう、丁度別室任務で他人を演じるように。
その人格の隠蔽を脱ぎ捨て本来の自分をシドに対して見せるとすれば、それはハイファの七年にも及ぶ想いをシドが叶えた時かも知れなかった。
だからといってシドにはコミュニケーション手段を増やすためだけにハイファと寝るつもりはなかった。ただ親友としてなるべく近くにいてやりたいとは思う。
逆に自分もハイファになるべく近くにいて欲しいと思っている。そういう部分があることを素直に認めるべきかも知れないと考え始めていた。
口にすると期待させて却って残酷なので言えないが、親友として共に愉しく過ごす時間を増やすくらいは可能だろう。
二人掛けソファの毛布がゆったりと上下しているのを眺めた。
(今更だが同じ職に就けば良かったな。この件が終わったら誘ってみるか、刑事稼業に鞍替え、『俺のバディにならねぇか?』なんてな)
ハイファは乗らないであろう提案と、まるでプロポーズのような言葉に自身で苦笑する。尤も別室が『知りすぎた男』を易々と手放すというのも考えづらかった。
「あー、寝るかな。……つうっ!」
不用意に伸びをしたら左胸と腕が悲鳴を上げた。ハイファの荷物から薬瓶と浸透圧式の無針注射器を掘り起こし痛み止めを射つと午前三時を回っていて大欠伸が出る。
寝室に引っ込む前に毛布の陰のハイファを窺うと銃は吊ったまま、しっぽも結ったままという有様で無心に子供のような顔で寝こけていた。
基本的に弄る訳にはいかない他人の銃はともかく、髪が引き攣れて痛そうだったので、巻きついた細いなめし革の紐を解いてやる。零れた金髪を何となく指で梳いた。
酔っていた割に頬は白く、唇だけが艶やかに赤い。
妙に惹き付けられるその色を眺めるうちに、セントラル・リドリー病院で聴いたピアノの旋律が脳裏に流れ始めた。
何かに辿り着けそうで掴めない、もどかしい感覚が甦る。自分が何に辿り着きたいのか分からない。酔っているのかと自問しつつ立ち上がった。
ただ、指に残るさらりとした感触が、よく撫でてやった妹の志都の髪を思い出させた。
(――いや。今は、今。生き延びて、会いに行く)
ハイファの淹れたコーヒーの香りが寝室に漂ってくるまで夢も視ずに眠った。
◇◇◇◇
コーヒーを飲んでリフレッシャを交代で浴び、出勤した二人は機捜課のデカ部屋で衆目を浴びた。正確には衆目を浴びたのはいつものシドではなくハイファだった。
何年か前にはファッションとして流行したものの今は廃れたアーミールック、いわゆる戦闘服と呼ばれる都市迷彩の上下に足元は編み上げのごついブーツである。これまでのソフトスーツのイメージからは程遠く、目立つのは仕方なかった。
周囲は軍の放出品か類似品のファッションとでも思ったらしかったが、勿論ハイファは現役軍人、全て戦争を意識しての制式品である。
「うーん、シドの気持ちが分かるかも……」
おまけに傷病休暇で追い払ったのに何故出てきたんだというヴィンティス課長の訝しくも哀しげな青い目も、シドだけでなくハイファにまで注がれているのだった。
「ねえ、取り敢えずシドの巣にでも行かない?」
「そうだな。俺は銃の最終点検をしてから行く。お前は先に降りてろ」
「ラジャー。シドも僕が持ってきたお揃い着れば良かったのにサ」
「機動性重視、慣れたこっちの方でいい」
「何たって六十万だもんね、命の代償」
「いいから先、行ってろ。コーヒー持って行ってやるから」
「泥水じゃなくて有料オートドリンカのね。最期のコーヒーかも知れないんだから」
不吉な言葉を吐くハイファの膝裏に軽く蹴りを入れ、階段を下りてゆくのを見送ったのち、シドは課長に武器庫解錠を申し出た。今回の件を何処まで知っているのか分からないヴィンティス課長は憂い顔で多機能デスクを操作する。
武器庫に向かう途中でシドはヒマそうに鼻毛を抜いて長さを比べているヤマサキの前に立った。師長殺人の捜査に上層部からストップが掛かり、事実ヒマなのだ。
「また飲み過ぎっスか、シド先輩?」
自分のデスク上の書類の山、ハイファと共に片付けた残りを抱えると、余計なひとことを放った後輩のデスクの上にドカリと載せる。デスクに張り付いたのもかき集め載せた。
「傷病休暇中の俺からプレゼントだ。文句は課長に言うんだな」
後輩の言葉にならない呻きを背に武器庫へと向かった。
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