切り替えスイッチ~割り箸男2~

志賀雅基

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第7話

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 和音が煙草を一本灰にし、エセルのセットしたコーヒーが沸いた頃、第三SIT室にやってきたのは春野本部長と丘島西署長に水山北署長、それにスーツ姿の男が二人だった。
 簡素な応接セットに腰掛けた五名に、まずはエセルが春野本部長直々にブレンドしたコーヒーを出す。自分たちはマグカップを片手にデスク付属の椅子をガラガラと引いてきて座った。

「いや、悪いね、休日出勤させて」

 にこやかな本部長に和音は、今度はどんな無理難題を押しつけられるのかと身構える。本部長と同じくらいの歳のスーツ姿二人は部外者だが何処か自分たちと同じ官品臭がしていたからだ。前回は麻薬関係の案件で厚生労働省の役人だったが、この二人は何者か推測できない。
 だが何処に所属していようと上級幹部であるのは確実で重大案件を予感させた。

 本部長を見据えた和音はいつもと変わらないラフな口調で訊く。

「別に休日出勤は構わねぇが、もしかしたら話の内容には構うかも知れねぇな」

 あまりにぞんざいな和音に二名の署長が慌てた。けれど春野警視監はにこやかなままだ。

「まあ、そう尖らずに話だけでも聞いてくれたまえ」
「聞いたが最後、特命だろうが」
長瀬ながせ組がアジアのある地域からの密入国を手引きしているらしいのだ」

 問答無用で本部長は一息に言うと笑みを収め、和音とエセルを交互に見て頷いた。長瀬組は水山北署管内に本拠地を置く暴力団で、小さいながらも武闘派として鳴らしている。
 そこでスーツの男が本部長のあとを引き取って話し始めた。

「それも単に密入国者から手数料をせしめているだけではない、武器弾薬の密輸を同時に行っていると我々は睨んでいる。既にかなりの量のハンドガンや弾薬が流入した形跡がある」
「それらの密輸品は既に全国に売り捌かれているとみられる」

 自己紹介もなしで喋ったスーツ二人は入国管理局の役人らしい。さしずめ入国管理局の官房審議官と調査部門長か、その周辺人物だろうと和音は思った。

 丘島西署長が和音とエセルを見て重々しく口を開く。

「我が管内の海で四人の身元不明死体が上がったのは知っているかね?」

 昨日のことを思い出し和音とエセルは頷いた。丘島西署長は憂鬱そうな顔つきだ。

「身元不明死体は長瀬組の密輸に関わった密入国者だと思われる」
「密輸をさせておいて秘密を知った奴を長瀬組が消してる、そういうことでいいんだな?」

 訊いた和音に頷いたのは水山北署長である。

「我々はそうみているが、まだ全ては推測に過ぎない。だがおそらく船便での密入国幇助及び密輸で間違いないだろう。始まってから既に時間が経過し、状況は悪化の一途を辿っている」

 それから二人の署長が厳しい目つきをして、日本国内で食い詰めた密入国者による強盗事件や、銃を使用した特筆すべき凶悪犯罪の数々を羅列した。

 一区切りついたところで春野本部長がおもむろに切り出す。

「そこで立花和音巡査部長とエセル=ユージンくんに特命を下す。長瀬組に潜入して事実関係を確認し、今後の密入国幇助及び武器弾薬の密輸阻止に従事せよ」
「ちょっと待て、俺とエセルが長瀬組と敵対する夏木組に潜入してから二ヶ月と経ってねぇんだぞ! 面が割れてる可能性が高いだろうが!」

「幸いきみたちのお蔭で夏木組は組長を逮捕され、跡目争いで現在分裂中だ。中には長瀬組に吸収された者も多く、そのために長瀬組は破竹の勢いとなりつつある」
「だからって俺たちは幹部クラスだったんだぞ?」

「幹部クラスだからこそ、歓迎もされるだろう」
「そいつはどうかと思うぜ。特にエセルは夏木組長のガードとして、長瀬組のチンピラを束で殺っちまってる。潜入、即、海に浮かべられるのがオチじゃねぇのか?」

 コーヒーをひとくち飲むと本部長は指を一本立てて横に振って見せた。

「心配は要らん。長瀬組の下部組織である浜口はまぐち会に潜入中のエージェントが根回しをしている上に、『伝説の金髪ヒットマン』は長瀬組に於いても受けがいいそうだ」
「受けがいいって……マジかよ?」

 それだけで『心配要らん』という本部長の思考回路こそ和音は心配になる。残りの四人までもが大真面目に頷くのを見て呆れると共に、本当に和音は警察を辞めたくなった。
 だがこれだけは譲れないと思い、和音は本部長以下五名を順に見据える。

「俺は潜入してもいい。けどエセルはだめだ、危険すぎる」
「なっ、アナタ何言ってるのサ! 和音だって夏木の若頭補佐だったんだよ、危険なのは一緒じゃない! アナタ独りでそんなこと、させられないからね!」

「一週間しか潜入してなかった俺と、数ヶ月単位で潜入してたお前とは危険度が違うだろ」
「僕だってまともに僕の顔を見た敵は全て殺ってるし、逆にアナタも面が割れてれば立場は殆ど変わらないよ。それを踏まえてエージェントは足場を固めてる筈だし」

「でも、だめだ。またお前が夏木組で遭ったような目に……んな真似させられるとでも思ってるのか?」

 潜入中のエセルは夏木組組長のガードであり愛人のような扱いだった。いや、愛人というよりオモチャだ。麻薬を与えられ、際限なく躰を弄ばれたのである。そんなことは二度とさせられない。和音はアメジストの瞳を切れ長の目で見つめ、無言でそう訴えた。
 しかしエセルは和音からあっさり目を逸し、春野本部長に宣言してしまう。

「了解しました。特命を拝命致します」
「エセル、お前!」
「そんな大声出さなくても。大丈夫、長瀬組の組長くらい僕が堕としてみせるから」
「何が大丈夫なんだよ、そいつは俺が……チクショウ!」

 自らの躰を上司に抱かせることで『夢の国』である日本での任務をもぎ取ったというエセルは、その辺りが多少麻痺しているのは和音も承知していた。だが自分を前にそこまで言い放つのは、もう何処かが壊れているとしか思えない。

 そんなエセルの精神を構成してしまった過去の哀しさと、自分だけに繋ぎ止めておけない悔しさが一度に押し寄せてきて、和音は言葉を失くし束の間黙り込む。
 けれどエセルが特命を受けるなら自分も受けるしかない。

「……分かった、拝命する」
「そうか、成果を期待している。現在浜口会に潜入しているエージェントが午後には顔を出す予定だ。詳細を彼から聞いて可及的速やかに長瀬組に潜入してくれたまえ。以上だ」

 それだけ春野本部長が言うと五人はコーヒーを飲み干して出て行った。
 ドアが閉まるなり和音は泣きたいような思いでエセルの華奢な身を抱き締める。

「どうしてそこまでして特命なんか受けるんだよ?」
「だって日本国籍は取得したけど、警察官のアナタと一緒にいられてバディまで組める職場なんて他には絶対見つからないよ。外国人の僕には就職も厳しいの、知ってるでしょ」

「お前一人くらい、俺が食わせてやるぞ?」
「そんな問題じゃないの。僕は何処までも和音と一緒にいるって決めたんだから」

 その『一緒にいる』ための方法が本末転倒だというのを、これまで身ひとつで渡り合い生きてきたエセルにどうやって説けば分かって貰えるのかが解らず、和音は満身の想いを込めて抱き締めることしかできなかった。
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